九 非業の養子
こうして山口ではザビエル再来で平和な時が流れていた頃、京の都は未だ政情不安定、そしてまた勘解由小路家を巻き込んだ一動乱が起こっていた。
時は遡って、勘解由小路在富が京へ戻った翌年の天文八年(一五三九)、ちょうど宇治丸が生まれた年のこと。在富の弟・
在富としては、山口にて別れた大宮佐井子に宿された自らの子が気がかりだったが、それは表沙汰にはできぬ秘められた話であり、手紙も交わせる状況ではない。産まれたのは男児か女児か、はたまた死産やも分からぬうえに、いくら平和な西の都山口とはいえ、乳飲み子が青年まで育つ保証はどこにもなく、夭折が日常茶飯事であった時代である。一か八かの落とし子に賭けるのは無謀なことだ。
自らも寄る年波は五十歳、しかも京を離れている間に縁組の談はほぼ固まっていたとあって、在富は秘めた想いを押し殺して、この甥・在種との養子縁組談を呑んだ。
時戻って、その十二年後の天文二十年(一五五一)、ちょうどザビエル一行が三度目の山口入りを果たして大道寺にて布教を始めていた、和暦三月のことである。
この頃、細川
そんな中、三月七日、十四日の二日にわたって、京都洛中で将軍の留守を預かる幕府
在種は、この暗殺未遂事件に図らずも関わってしまったのだった。
在種としては、勘解由小路家の復興に少しでも役に立ちたいという一心で引き受けた仕事だった。しかも、まさかこのような物騒な事件になるとは知らなかった。ただ、とある知り合いの武士に呼び出され、伊勢貞孝邸付近や洛中の近況と、今月の「日柄」を訊ねられて答え、守秘命令とともにわずかな謝礼を受け取っただけであった。
しかし、事が起きると暗殺計画への関与を疑われ、義父在富ともども三好方の尋問を受け、あわや懲らしめ寸前という一大事になってしまったのだ。在富は痛く肝を冷やし面目丸つぶれとなったが、在種本人こそが、誰よりも心外のあまり啞然とした。
三月十四日の晩、雨の中を呆然と勘解由小路邸に戻ってきた在種を待ち受けていたのは、怒髪天を衝くばかりに怒り打ち震える義父在富だった。在種はおののきのあまり、何も言葉が出なかった。
在富は戦慄する拳で杖を握り絞め、六十二歳の老体を力の限り振り絞り、地も鳴る勢いで在種の顔面を打ち据えた。在種は抵抗なく打ち飛ばされ、雨濡れた門前の石段に背中から倒れこみ、数段転げ落ちた下の地面で仰向けに横たわったまま小さく震え悶えた。在富はそれを放って、息を荒らげながら屋敷の奥へ戻っていった。
「殿、さすがに堪忍して給わりませ……」
「構わぬ、放っておけ。一晩くらい頭冷やせばよい。なに、死にはせぬ」
在富は家人の心配をはねのけ、
「手助けなどしたらお前たちも容赦せぬぞ」
と強く命じた。雨音が強まる夜であった。
在富としては目一杯の仕置きのつもりであった――のだが、不運なるかな、よほど打ち所が悪かったのだろう。明くる朝、在種は濡れねずみで、昨晩のまま門前の石段下に倒れていた――息を失い、冷たくなって。
「在種、在種よ! すまぬ……起き上がれ、在種!」
顔面蒼白で「それ」を揺さぶる在富。しかし、明らかに手遅れであった。
かくして、勘解由小路家を
・在種は実在の人物。その父在康が天文法華の乱で没したという点は架空。
・勘解由小路家の新邸が吉田神社脇という点は架空。
・在種が義父・在富の手により「横死」したという点は史実。在種の生年は十年早く設定。細かい顚末と描写は架空。詳細は第一部末コラム参照。
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