八 伴天連との出会い

 前年の伴天連来訪を目撃して感激を覚えた宇治丸と広は、二度目の来訪も懲りずに眺めに行き、三度目の来訪で伴天連一行が晴れて大名の許可を得て山口に長期滞在することが叶ったと知るや、此度こそはと思いきって連れ立った。数え十三歳の時であった。

「当分大道寺留め置きだって。今度こそしっかり間近に拝みに行きましょ!」

「うん。今度こそ! 口実は僕がうまいこと伝えておいたから」

 荒れ寺となっていた大道寺は、今や南蛮寺・天主堂として立派に補修され、梁には異国の文字の額、屋根の破風には十文字形の飾りが掲げてあり、大勢の人々が集っていた。が、伴天連は洋装ながら質素な修道服、日本人のキリシタンは首に提げた十字架以外は全く僧侶の姿をしており、期待したほどの異国情緒は見られなかった。

 二人はその末席に着いて、会衆と伴天連が語り合う問答に耳をこらした。


「天主様のまします神の御国とは、いずこに在るのでござりましょう。伴天連様方の出でて来られたというはるか西の海の彼方のふるさとには、極楽浄土がまことに在るのでござりましょうか」

 伴天連の前に座り込んで、熱心に問いを発し、その答えに聞き入る僧形の男がいた。うつろな眼と視点の定まらないしぐさ、持ち物と身なりから、琵琶法師と分かった。琵琶法師には目の不自由な者がなる、というのは通例である。

「我々のふるさとは、西方極楽浄土などではありませぬ。神の御国とは、何処に在る、其処に在る、というものではありませぬ。神の御国は、我々、そなた方、全ての人のうちにこそ在るのです」

 一人の伴天連は、二年間の日本滞在の間に、日本語をそつなく話せるようになっていた。少し訛りはあるものの、その博覧強記ぶりが伺われる。

「それでは、我々も今すぐに、その恵み深き神の御国を垣間見て、天主様のみ恵みに与ることができるのでしょうか」

「救い主なる現人神・耶蘇やそ様(イエス・キリスト)と結ばれ、そのみ教えを受け入れ、その行いに倣い、その命の光を一身に受ければ、この身は耶蘇様の復活の命に与り、日ごとに新たにされてゆく――そこにこそ、全て時と空間を超えて、神の御国は顕現するのです。御父・御子・聖霊の三位一体なる天主様は全宇宙を創り給うた方、耶蘇様もまた父なる神と一体なる御子にして主なる神。そのみ恵みは、全て生きとし生ける者、森羅万象に至るまで、あらゆる処にあまねく注がれています。太初はじめにありし如く、今も何時も世々に――」

 最後の一句とともに、伴天連は指先で胸元に十文字の形を切り、天窓から差し入る光を見上げて念じた。

「で、ではどうか今ここに、その顕現をお見せくださりませ。我々は日々苦しみ、み救いを待ち望んでおります……私めのごとき目の見えぬ者でも、尊きみ姿を拝することが出来るのでござりましょうか」

 琵琶法師もまた、差し入る光を手探りするように首を上げた。

「目の見えぬ者は幸いです。この世の虚しくも衆目を囚われにする美に目眩ますことなく、まことに美しく尊き、見えざる天の賜物に目を開くことができるからです」

 伴天連は優しく、琵琶法師の手を取り、額から目元にかけて手をかざした。

「日曜日の巳の刻(午前十時)、ミサという聖なる祭儀を行います。その中で献げる聖餅せいへいと聖葡萄酒が、先ほど読み上げた聖福音経せいふくいんけいの通り、耶蘇様が尊き十字架の死に引き渡され給うた前の晩、弟子たちに仰せになった如く、聖霊によって耶蘇様の尊き御体と御血になります。そこに、死より復活し、死を以て死を滅ぼし、世々に生き統べたもう耶蘇様が、全てを超えて臨在せられ給い、全てを超えて我々と交わり、神の御国の窓が顕現するのです」

「あな畏れ多きことかな……かくのごとき聖なる祭儀に、私めのような下賤の者でも与ることができるのでござりましょうか」

「貧しき者、苦しむ者は幸いです。その人は満たされ、癒やされます。父なる天主様はそのような『小さき者』のためにこそ、御子耶蘇様を世に遣わし給うたのです」

「伴天連様……!」

 琵琶法師は、半開きの虚ろな眼から涙を流した。探りゆらぐ琵琶法師の手のひらを、伴天連は慈しみ深く握りしめた。

 この問答と光景を見聞きして、宇治丸と広も幼心にも強く心打たれ、澄んだ目を潤ませた。


 散会際、無心になって最後まで残っている二人に、先程の一人の伴天連が声を掛けた。

「今日はようこそ。お二人は武家のご子息ですかな?」

「はい、あっ、いえ。大宮家という公家の元に養われている身です」

「そうか公家ですか。では学問にも励んでおいでのことでしょう」

「はい、実は神道の勉強を。僕の実の父は京の陰陽師――天文学者、らしいのですが」

「ほう、天文学の家柄ですか。それは素晴らしい。しばしお時間はありますかな?」

「あ、はい。少しくらいなら大丈夫です」

 「天文学」という宇治丸の一言を聞いて、伴天連は興味を示し、奥の司祭館に二人を案内した。

「これは天球儀、天体の巡りを模式化した道具です。東洋にも確か似たものがありましたな。しかし、こちら東洋では星座が西洋とはだいぶん異なるようですな」

「渾天儀とよく似ていますね! はい、日本にも似たものがあります」

 寺の住坊を改装した司祭館は少しばかり洋風の設えで、珍しい舶来の品々があった。期待していた異国情緒を目にして、二人は興味津々、目を輝かせた。

「そして一番お見せしたかったもの、これは地球儀。地を象って球に全地上の陸と海を記したものです。全ての大地は、一つの球のもとに繋がっているのです」

「わあ、それは初耳です! 地は球の形をしているのですか……!」

「左様。太陽や月と同じく、夜空に輝く千々の星々も、みな大小の球。地球もまた、大宇宙にあっては一つの小さな星に過ぎず、太陽の回りを水星・金星・火星・木星・土星と同じように周回しているのです」

 地球儀は、二人にとって最も興味をそそられ、また驚きの事実を示す品だった。

「地球もまた一つの小さな星……それぞれの星にも人は住んでいるのでしょうか? そう考えると、この地上の人間というものは、なんだかとてもちっぽけな、塵砂粒にも満たないような者に思えてきますね……」

「地球以外の星に生き物がいるか否か、それは分かりませぬ。しかし、我々の知る限り、天主様はこの地球と我々人間を深く慈しんでおられる。人間一人一人、そして天地の全てのものは、天主様が大いなる慈しみを込め、『善し』と仰せになって創られ、命を分け与えられた、『神の似姿』。主の御目には、誰一人、何一つとして、価値なきものは在らぬのです」

「命を分け与えられられた、神の似姿……」

 二人は改めて地球儀を見つめつつ、伴天連の言葉を反芻した。


「ね、宇治丸、感動したね……」

「うん、感動した……」

「あの琵琶法師のおじさん、救われるといいね……」

「うん、救われるよ……きっとね」

 帰り道、二人は五月晴れの夕日の中、並んで道を歩きながら、固く手を握り合った。


 この琵琶法師は、ほどなく洗礼を受け、「キリシタン」となった。後にイエズス会の強力な宣教師となった「ロレンソ了斎」(一五二六~一五九二)。そして、宇治丸と広の相手をした伴天連が、のちに二人を窮地から救い出す恩人となった、コスメ・デ・トーレス司祭(一五一〇~一五七〇)である。


 山口での宣教は成功し、約五百人もの信徒を獲得した。ザビエルは大道寺を与えられて宣教を始めてから約二ヵ月間の宣教活動が過ぎた和暦七月頃、豊後国の中央都市・府内(現・大分市)にポルトガル船が来着したとの話を聞きつけ、山口での宣教をトーレス司祭に託し、豊後府内へ向かった。そこでも、守護大名・大友義鎮よししげに迎えられ、その保護を受けて大々的に宣教を行った。この時の大名が、後にキリシタン大名として知られる大友宗麟そうりんである。


・ザビエルが山口大道寺にて布教し、ロレンソ了斎がその際に入信したことは史実。その他の描写は架空。

・「神の御国とは、何処に在る、其処に在る…」――ルカによる福音書17章21。

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