六 祖父にして養父
大内義隆の妻はこれで二人出てきたが、もう一人にして二番目の正室は、何を隠そう、あの大宮佐井子である。
勘解由小路在富が京へ戻ったのち、佐井子もまた義隆に見初められて側室となった。在富との想いを抱えた佐井子にとっては辛い心境であったが、ひとたび義隆の目に留まっては、その想いはたやすく打ち砕かれてしまったのだった。
気丈すぎる性格と気位の高さが災いして、正室万里小路貞子は豪傑義隆とのそりが全く合わなかった。一夫多妻が当たり前であった当時にあっては尋常でないほど嫉妬心も深く、義隆の側室との付き合いにたびたび強い苦言を呈した。そこにあって、義隆の心はいつしかすっかり、謙虚で温厚な佐井子に移ってしまったのだ。
天文十四年(一五四五)、おさいの方と呼ばれた大宮佐井子は二十六歳の時、のちに嫡子大内
ここに至って正室貞子の面目は完全に潰され、大いに憤慨したあげく離縁して京都の実家へ戻ってしまったのだ。佐井子は正室に昇格し、貞子の旧邸・東の御殿を与えられ、以後そこに住むこととなった。かくしてのち、佐井子とその初子・宇治丸とは二度と会うことがなかった。
これまたこれを大いに喜んだ佐井子の父・大宮伊治は、翌年の天文十五年(一五四六)、五十一歳にして山口に下向してきた。伊治は二代目正室の父として大名大内義隆に大いに歓待され、すっかり上機嫌になった。そして、乱世の動乱続きで荒れ果て政情不安定な京の都と、繁忙なわりにうだつの上がらない朝廷の官職をなげうって、屋敷を与えられてそのまま山口に住み込む身となってしまった。
伊治は、娘・佐井子の落とし子の宇治丸、そして大内義隆の落とし子で同い年の広という娘の存在を知ると、二人の養父となることを申し出た。かくして、数え八歳になった宇治丸と広は、宇治丸の母方祖父・大宮伊治の山口邸宅に引き取られ、共に育てられることとなった。
二人は、養父伊治に家学の算学と公家としての教養「
・宇治丸と広を大宮伊治が養子としたという点は架空。
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