四 落人の落とし子
絶望の淵からのしばし貴重な安息――こんな時に、否、こんな時だからこそ、であろう。在富は山口滞在中、一つの「気の緩み」を生んでしまった。
「西の都」山口には多くの公家が落ち延びて暮らしていたが、大内義隆の「後宮」もまた、公家の娘揃いであった。正室は、天文十五年(一五四六)に内大臣まで進んだ中堅公卿・
その貞子に仕える侍女「
最初の時には数え十七歳のうら若き乙女であった大宮佐井子と、父子ほどの歳の差である四十七歳の在富は、山口での二年の間に、こともあろうか行きずりの恋仲になってしまったのだ。
京からの一行来訪歓迎の宴席で佐井子と出会った在富は、彼女の家柄を知って関心を持ち、言葉を交わした。他の公家柄の者と違って、成り上がり公卿である自分に対しても高飛車ではなく、誰に対しても分け隔てなく慎ましやかに振る舞う佐井子に、好感と娘のような親近感を覚えた。
同じ才女でも、気性が強く気位も高い正室貞子と違い、佐井子は利発ながら謙虚で温厚な乙女だった。暦道と算学という近しい家学からも意気投合し、学問の話の文を交わし、歌文を交わし、想いを交わし――それは絶望の淵にあった在富にとって、この上ない安らぎであった――そしてやがて、相通じ合う仲となった。
まるで源氏物語のような話だが、現実問題は美談でも笑い事でもない。恋相手は、世話になっている大名の奥方の侍女である。当然秘め事であったが、運命なるかな――二年の時を経て、在富が間もなく京へ戻るというその時、佐井子は身籠ってしまったのだ。
二人は、別れを惜しんで、しかし運命を受け入れて、静かに涙を呑んだ。そして別れ際、
時に在富四十九歳、佐井子十九歳。在富は、二歳下の同輩公卿で前年周防に下向した
年が明けた天文八年(一五三九)一月末、凍てつく梅の枝にもつぼみがほころび始める頃。山口の街の片隅で、公に祝われることもなく密やかに、のちに賀茂在昌となる男児は産まれた。京都の岩清水八幡宮になぞらえて、先代大内義興の代に大改修し立派な社殿が建立された「今八幡宮」。男児はその社家に預けられた。
創建当初の祭神・
・おさいの方は実在。佐井子という字と年齢は架空。在富との恋も架空。
・在昌の幼名「宇治丸」は架空。
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