二 陰陽師、その地味な史実

 いまだかつて一目たりとも顔合わせたことなき宇治丸の父、その名は勘解由小路かでのこうじ在富あきとみ(一四九〇~一五六五)。公家としては下級な部類の家柄ながら、二十五歳にして朝廷陰陽寮の長官「陰陽頭おんみょうのかみ」に任ぜられ、宇治丸出生の三年前・山口下向時には上流公卿と肩を並べるじゅ二位、先の物語の翌年・天文二十年(一五五一)には六十二歳でしょう二位まで昇りつめた、老練な陰陽師。在富の場合はあくまで長寿と長年の功労に報いた、「非参議」という実権のない名誉位階ではあるが、正二位とは本来の律令の官位では左右二大臣に相当する高い位階であり、家格からすれば稀代の大出世である。

 賀茂氏勘解由小路家は、かの安倍晴明あべのせいめい(九二一~一〇〇五)の師である賀茂忠行かものただゆき(八九〇~九七〇)・保憲やすのり(九一七~九七七)父子以来、朝廷の陰陽師を世襲してきた家柄。晴明の子孫・安倍氏は天文道、片の賀茂氏は暦道という、陰陽道の二本柱をそれぞれ家学としてきた、いわば陰陽道の二大家元の一つである。室町時代になると、安倍氏嫡流は土御門つちみかど家、賀茂氏嫡流は勘解由小路家を苗字として名乗るようになった。

 なお、陰陽道賀茂氏の出自はいささか不確かながら、山城国(京都)の上賀茂・下鴨神社を氏神とする在郷氏族「賀茂県主かものあがたぬし氏」ではなく、大和国(奈良)葛城(現・御所ごせ市付近)に発し、天武朝から奈良時代にかけて朝廷中枢に官人として仕えた「賀茂朝臣かものあそん氏」の子孫と伝わる。


 さて、ここで大前提を話しておこう。史実の「陰陽師」とは、俗に知られる魔法使いのような存在ではなく、本来は、朝廷の部署「陰陽寮」に属し、天文観測を元に暦を作り司る、いわば国立天文台職員のような理系専門技術職――あえて云ってしまえば、地味な下級国家公務員である。

 もっとも、日柄や方位、天象などの「吉凶」が重んじられた平安朝廷にあって、陰陽師はそれらにまつわる「占い」や「厄祓い」をも任されるようになり、次第に、道教・神道・仏教(密教)の要素が渾然一体となった独特の呪術的体系を形成していった――さらには、やがて朝廷の官人以外の巷でもこれを模倣した占い・はらえの祭儀が行われるようになり、民間呪術者集団を形成していき、彼らも俗に陰陽師と称されるようになった、ということもまた事実である。

 いずれにせよ、宇治丸の父方・勘解由小路家は、乱世に翻弄され身を潜めつつ、京の都の片隅で日々暦司りに忙殺される下級公家。妖術使いや妖怪退治などは、残念ながらこの物語には無関係なことである。

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