第2話

「え? これを俺に?」

「うん。もらってくれる?」

 クリスマスイブの日。

 明日から冬休みっていう日。

 いつものように部活が終わり、部員たちが帰ってしまったあと、私は隣のピアノ室でドキドキしながらそのときを待っていた。

 もう外は真っ暗で、音楽室の窓の傍にある旧式のストーブの上に置かれたヤカンからシュンシュンと湯気が立っていた。

 なんでこの学校ヒーター入れてないかなーと思ったけれど、すごく古めかしい学長で、教室では絶対ストーブといって聞かなかったそう。

 でも私はストーブの暖房がけっこう好きだった。

 それは来海くんも同意見だった。

 私たち二人はそのストーブの傍にパイプ椅子を持ってきて、仲良く並んで座っていた。

 彼は紙袋からごそごそとマフラーを取りだし、一瞬目を見張った。

 茶色のマフラーで、両端に白い線が二本入ったシンプルなデザインのものなんだけど、そういうの作るのが苦手な私だったのであまりうまくはできなかった。

 ちょっと恥ずかしかったけど、頑張ったんだ。

 しばらく彼はそのマフラーをじっと見つめてから、ぼそりと呟いた。

「…他にあげる人いるんじゃない?」

「え?」

 言ってる意味がわからなかった。

「古山ってモテるんだぜ。俺の知ってるヤツでもあんたがいいって言ってるのいた。でもきっと彼氏いるんだろうなーってそいつ言ってたし……俺もそう思ってたんだけど……」

「えー、何それ。私彼氏なんていないよ」

「じゃ、これ……」

 言うんだ。

 今がチャンスだ。

 言え、言うんだ、真衣!!

「うんっとね…彼いないくせしてさ、マフラー作ったはいいけど誰もあげる人いないでしょ。だから来海くんにもらってもらおうと思って。いつも話し相手になってくれるし……」

「……なんだ、そーなんだ……」

 バカ───!!

 真衣のバカやろう!!

(うううう…私ってなんて意気地のない……)

 泣きたくなった。

 もうすでに言う機会は逃しちゃって。

 窓の外ではチラチラと雪なんぞ降ってきていた。

 そんなふうに最悪なイブの夜は終わったんだ。




 あのあと、さんざ真美ちゃんには「バカバカ」言われたよなあ。

 でも仕方ないじゃない。

 言えなかったもんはしょーがない。

 だから、冬が終わり春が来る頃になってようやく私は決心したのよ。

 春休み中に絶対告白するぞって。

 でも、結局うだうだしてるうちに春休みがもう今日で終わってしまうという問題の日になってしまったわけ。

 この日を逃したらもう告白するチャンスはない。

 春休み中も毎日彼は音楽室に来ていた。

 当然部活があるからね。

 で、もちろん私も毎日ピアノ室で歌の稽古。

 それで、その問題の日。

 前もって呼びつけるのもなんかイヤだし。

 いきなり告白するのがいいんじゃないって思った私。

 実は、くじけた時のことを考えた予防策とも言えなくもないんだけど。

 どこまでも卑怯者な私だった。

 それでも。

 ドキドキしながら時間が過ぎるのを待っていた。

 ああ、今でもそのときのことを思い出す。

 何度も何度も繰り返してきたその時間だけど、いつでも私はドキドキしっぱなし。

 で、やってきた運命の時。

「来海くん」

 みんな帰ったあと、一人になったのを見計らってひょっこり顔を覗かせた私。

「よお、古山か」

「………」

「どした、入れよ」

「うん……」

 もたもたしている私。

 でも、決心して音楽室に入った。

 おそるおそる彼の近くまで行き、傍らに立つ。

 さあ、言うんだ、真衣。

「ええっと…」

「ん?」

 顔を上げる彼。

 言え、今だ!!

 ドキドキドキドキドキ………ダメだ。

 なんで「好き」の一言が言えないんだろう。

 私は途方に暮れて窓の外を見た。

(…………)

 思わず見とれてしまった。

 窓の外には大きな桜の大木が───

 ハラハラとピンクの花びらが、風に舞って散っていくさまが目に映る。

 なんて幻想的な眺めだろう。

 一瞬桜の花吹雪に包まれる幻覚にとらわれた。

「古山?」

「!!」

 はっとして我に返る。

 無理やり視線を窓の外の桜から引き剥がし、私は来海くんを見つめた。

 彼はにっこり笑ってた。

 笑わないで。

 いつもなら、はにゃーんってなってしまう笑顔なのに、今日の私にはグサリと突き刺さる。

 まるで意気地のない私を笑っているみたいで。

 彼に限って、そんなはずないのに。

「…………」

 玉砕。

 私は敗者だった。

 どうしても「好き」の一言は言えない。

 なぜ言えないのだろう。

 それから私はすぐに家に舞い戻った。

 泣きながら半紙に「好き」と言う言葉を毛筆で書き連ね、私は急いでまた音楽室に戻った。

 彼はまだいた。

 椅子に座り、トランペットを布で磨いている。

「来海くん」

「よお、古山」

 彼はにっこり微笑むとこっちを向いた。

 今度こそちゃんと伝えるんだ。

 声に出せないのなら見せて伝えるんだ。

「来海くん、これ見て」

「なんだよ」

 彼はペットを机に置き、立ち上がり近づいてきた。

 目の前に来たとき、手にしていた半紙をぱっと広げた。

「…………」

 彼の息を飲む音がした───

 そのとたん、一度目の時間逆行が起きたんだ。




 どうしてそんなタイムスリップが起こったんだろう。

 私は歩きながら考えた。

 もしかしたら私と来海くんは、結ばれちゃいけない運命なんだろうか。

 だから、神さまが私たちをメビウスの輪に閉じ込めちゃったんだろうか。

 私が告白するその瞬間、時間が戻り、告白する日の朝へと引き戻す。

 それがいったい何回続いたことだろう。

 たぶん十回くらいは繰り返したような気がする。

 だって、告白は絶対しなくちゃって思い続けてたんだもん。

 だけど───

(なんかとってもお腹すいてきた……)

 朝ご飯抜いてくるんじゃなかった。

 今日は何だかとってもお腹すいちゃった。

「だんだん慣れてきちゃったんだろうか……」

 自分がこんなに能天気な性格だったとは気づかなかった。

 もっと悲壮感が漂うもんじゃない?

 こんな悲劇な物語って前に読んだことあるけれど、主人公はとにかく悪夢のようなメビウスの輪から逃れたくて必死だったよなあ。

 確かに、よっく考えたら永久にこのメビウスの輪から脱出できなくて、永遠に時の輪の中をぐるぐると生き続けるってことは気が遠くなるほど怖いことなのかもしれない。

「…………」

 私は空を見上げた。

 春特有の霞がかかったようなほんわかした空。

 真夏のハッキリとしたブルーな空も好きだけど、こんなふんわりとした空もいいよなあ。

「でもやっぱり今度で最後にしたいよね」

 私は視線を向こうに見える学校に向けた。

 さあ、今度はどうしよう。

 告白はやっぱりしたい。

 告白やめてみようかと思ったこともあったけど、それは私にはできないことだった。

 自分でも融通のきかないバカだって思ったけど。

 今告白しなくても、時間が流れたあとでまた再チャレンジしてみればいいじゃんって。

 だけど、わかんないじゃない。

 もしかしたら、そのときからまた時間の逆行が起きてしまうかもしれないし。

 誰も保証はしてくれないもん。

「あー、もうっ!」

 だけど、じゃあどうればいいのよっ。

 今の私にはどういう態度を彼に取っていいのか皆目わからないといったところだ。

 ちょっと途方に暮れていた、といったほうがいいかな。




 そして、問題のそのときがきた。

「…………」

 目の前に愛しい彼が立っている。

 だけど───

(うー、お腹すいて死にそう……)

 やっぱり慣れって怖い。

 大好きな彼が目の前にいるっていうのに、今回はそれよりもお腹のすき具合が気になってしかたがない。

 ううん。

 それどころかとっても腹が立ってきた。

 あまりにもお腹がすいて。

(まったく、どうしてこんなくだらないことしてるんだろう)

 おっと。

 そんな危険な思いまで生まれてきてしまった。

 でも、お腹すくと機嫌が悪くなるってほんとだね。

 今の私はすこぶる不機嫌になっていた。

 あーもう!!

 いったい誰のせいでこんな目に合ってるんだよっ!

 みーんなこいつのせいじゃん。

 なんであんたなんか存在してるんだよっ!

 もーもーもーもー、イライライライライラ。

 すっかり私は自分のこと棚に上げて、人のせいにしまくっていた。

 人間お腹すくと正常に物事を考えられなくなるもんだ。

 だから、私が、大好きな彼にこんなこと叫んでも、まあしかたない。

「あんたなんか、だいっきらいっ!」

 思いっきり叫んでやった。

 あーすっきり。

 さあ、これで元に戻ってご飯食べれるぞっと。

「…………」

「…………」

 あ、あれ?

 あれれれ??

 私、気絶しない?

 しかも、目の前の来海くんもびっくりした顔のまま、私のことを見つめてる。

「えっとぉ…私…」

 私は思わず首を傾げた。

 なんでなんでー??

 なんで時間が戻らないのー。

 おっかしーじゃん。

 絶対、おっかしー。

「え…? 嫌い…だって?」

「…………」

 やっと来海くんが喋った。

 搾り出すように。

 私はまだ気が動転してて、彼の様子がおかしいことにそのとき気がつかなかったんだけど。

「は、ははは…そんなバカな……そんなはずないだろ……嫌い? 嫌いだって??」

「?」

 そこにきて、私はようやく来海くんのおかしな態度に気づいたのだ。

 彼は何をブツブツ呟いてるの?

 そんなはずないって?

 何のことなの?

 もー、時間は戻んないし、来海くんは変なこと言ってるし、お腹はベリ減るし。

 いいかげん、空腹に目が回りそうになったんで(まったく…一大イベントよりも食欲が勝っちゃうなんて、乙女のやることじゃないよね)、

「あのー、来海くん…?」

「古山」

 すると、みょーにマジメな表情になった彼が言った。

「ほんとのほんとに俺のこと嫌いなの?」

「え……」

「マジで? なんで?」

「そ、そんなこと……」

 なんか調子狂うよ。

 何が言いたいんだか、誰か私に教えてー。

「俺……」

 すると、彼は私の言葉を待たずに喋り始めた。びっくりするようなことを。

「あんたが俺のこと好きだって思いこんでた。普通に考えればわかるよな。あんた、気づいてないかもしれないけど、俺と喋るとき、首が真っ赤なんだぜ。顔とかは普通な顔してるのに、俺と喋る時だけタコみたいに真っ赤っか。あー、俺のこと好きなんだーって思ったよ」

「…………」

 げげげっと思った私は、思わず自分の首に手をやった。

 そーだったんだ、はずかしー。

「マフラーくれたろ。あのときくらいから、そうなんじゃないかって思ってたんだ。実はさ、あの頃はまだ気が合うなってくらいにしか思ってなかったんだけど、それからだんだんといいなー、けっこうあんたいいかもって思うようになって……」

 え?

 えええっ??

 それって、どういう───

「古山」

 さらにぐっと表情を引き締めた来海くん。

 彼は真正面から私を見据え、両肩に手を置いた。

「俺、あんたが好きだ」

「はぃぃぃ??」

 ごめん、素っ頓狂な声上げてしまって。

 だって、しかたないじゃん。

 そりゃー、彼に好きだって言われて、嬉しいことこの上ないんだけど。

 何が何だかよくわかんない。

 どういうことなの?

 来海くんが私のこと好き?

 で?

 時間逆行はいったいどうなったの?

 私が「嫌い」っていったら時間が流れた。

 まるで私が告白するのを誰かが邪魔するみたいに。

 これはいったいどういうこと?

「俺、男だからさ」

 すると、まるで私の心の声が聞こえたみたいに、彼は言いはじめた。

「あんたが俺のこと、どうやら好きらしいってわかって、それで俺も何となくあんたがいいなーって思い始めて、よし告白するぞって思って。あ、自分から告白しようって気持ちになったの初めてなんだ。あんた真美と仲いいみたいだからもう聞いてるだろうけど。でも、あいつと昔付き合ってたけど、あれも別に男と女としてっていう感じじゃなかったんだぜ。それは信じてくれよな。それで、いつ告白しようかと思ってたら、あんたが意味深な態度してきただろ。俺、焦ったぜ」

「………」

 彼は私の肩から手を離すと、窓に近づいた。

 ガラリとあける。

 そよそよと気持ちのいい風が吹きこんでくる。

「俺、男だからさ」

 彼が同じセリフをまた言った。

「女から先に告白されちゃ、男がすたるもんな」

「え…?」

 誰かが邪魔してた。

 でも私は彼のことが大好きで。

 とにかく告白しなくちゃって思ってて。

 アタックあるのみだったのだけど。

 なのに、それは許さんってばかりに時間が戻ってた。

 これはいったいどういうこと?

「真衣」

「はっはいぃ」

「なんて声出すんだよ」

「ごっ、ごめんなさい~」

「で?」

「は?」

 来海くんは、あたしのアホ面を見てちょっと心配そうな顔をした。

「答え聞かせろよ」

「は?」

「答えだよ、俺の告白聞いたんだろ?」

「あ…」

「ま、嫌いって言われたわけだからさ、答えは決まってるんだけど、それでも一応な」

 彼のすねたような表情を見つめながら。

 私はここに至ってビビビっと気づいたことがある。

 ええと、まさかと思うけど。

「時間戻してたの、来海くんなの?」

「え? 時間?」

(彼は知らないんだ)

 彼のせいかとも思ったけれど。

 でも、もうそんなことどうでもいい。

 彼は私を好きだった───

 それだけでもう時間を逆行した苦しみもどうでもよくなった。

 神か悪魔か知らないけれど、彼が先に告白するべきだって決めたんだ。

 だけど、それに逆らおうとした私。

 彼に告白するチャンスを与えるために、時間の逆行が起きた。

 私の告白を阻止するために。

──サアァァァ

 そのとき、開け放たれた窓から突風が吹きこんできた。

 桜の花びらも一緒に吹きこんできた。

 私たちは桜の花びらに包まれて、何だか結婚式の誓いの壇上にいるみたい。

 春だ。

 春たけなわだ。

「私も来海くん、大好きよ!」

 そう言って、私は彼に抱きついた。

「やったー、じゃないかと思ったんだ。ったく、ひやひやさせるぜ、このお嬢さんはよー」

 あきらかにホッとした声でそう言う来海くん。

 そして、私を抱きとめてくれた。

 やっと終わった。

 私たちの春休みがやっと今終わったんだ。

 最後の春休みが。


 そして、これから始まる新しい春。

 二人の新しい春が───

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最後の春休み 谷兼天慈 @nonavias

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