4-2 リスト音楽院への留学

 翌日、交換留学の選考に通り、留学することが正式に決まった慎一はさっそく真智子にメッセージを送った。


―今日、交換留学の選考結果が出て、芸大の協定校の一つ、リスト音楽院に留学することが決まった。リスト音楽院はハンガリーのブタベストにあるんだ。留学期間は半年もしくは一年でパートタイムコースに留学することになった―。


 慎一からのメッセージを見た真智子はもうすぐ慎一に会えなくなると思うとすぐにでも会いたい気持ちでいてもたってもいられなくなった。


―まだ、試験まで間があるし、今日、昔、ふたりでクリスマスイブの時に一緒に夕飯を食べた池袋のレストランでお祝いしようよ―。


―えっ、試験前なのに真智子は忙しくないの?


―食事ぐらいなら、大丈夫だよ。7時にレストランの前で待ち合わせでどうかな?

―了解。僕も大丈夫そう。じゃあ、レストランの前で7時ね。もし、都合が悪くなったら、早めに連絡すること―。


 真智子は放課後の練習を早々に切り上げた。最寄駅の仙川駅から京王線で新宿へ出た後、いつもは都営大江戸線に乗り換えて光が丘駅まで向かうのだが、今日は山手線に乗り換え池袋に向かった。真智子の脳裏に昨年の思い出が巡る―。


―そういえば、私たち、音楽室では毎日のように一緒に練習したけど、外では会うのは数えるほどだったな―。


池袋に着いて、待ち合わせ場所のレストランに向かうと、すでに慎一が着いて、真智子のことを待っていた。


「慎一、待った?」

「さっき、着いたとこだよ。池袋は芸大からの方が近いし、僕にとっては帰り道だからね。真智子、会うのは久しぶりだね」

「うん……。ゴールデンウイーク以来だから二ケ月ぶりだね。あっという間のニケ月だったのに、慎一はその間に留学のことを決めたんだね。おめでとう!」

「ありがとう。詳しい話は食事しながらにしようか」


ふたりはレストランに入るとウエイトレスの案内で空いている席に座った。慎一も真智子も本日のお奨めのエビフライセットを注文した。



「真智子はまだ、試験前なんだよね。試験前の忙しい時に急きょ、時間を作らせちゃったね」

「慎一こそ、留学が決まったばかりで忙しかったんじゃない?私は試験前の方が時間が作りやすかったというか、試験が終わったら、個人レッスンは夏休みでしばらくお休みになるけど、管弦楽グループのアンサンブルに加わなければいけなくなるし、そうすると演奏会や交流会、場合によってはコンテストなどのスケジュールも入ってくるかもしれないからね。音大に入ってからはなんだかいつでも時間に追われている感じでね……。でもそれだけ充実しているんだけどね。慎一はこれから留学の準備だね」

「真智子は二年間のカリキュラムだから、スケジュールでいっぱいなんだね。僕が日本に戻ってくる頃にはきっとステップアップしてるだろうね」

「そうだといいんだけど……」

そんな話をしている間にも料理が運ばれてきた。

「慎一はいつ頃帰ってくる予定?」

「早ければ、半年後、長くても一年後の予定だよ。芸大の留学制度は在籍扱いにしてもらうには一年以内に帰ってこなければいけないからね」

「じゃあ、慎一が帰って来る頃もきっと慌ただしいだろうな……なんて、慎一の大変さを考えたら、弱音を吐いていられないね」

「真智子は真智子らしく頑張れば、きっと良い成果を出せるよ」

「よく考えてみれば、去年の今頃はまだ私たち出会っていなかったのにもう、離れ離れだね」

「そうか。去年の今頃はまだ出会ってなかったんだよな」

「そう。二学期に慎一が転校してきたからね。慎一と出会ってなかったら、今こうして音大に通っているかどうかもわからなかったからね……。ほんとうに感謝してるよ」

「それはこっちの台詞だよ。僕も真智子にたくさん励まされて、念願の芸大に合格できたんだ」

「留学したら、慎一のピアノ、しばらく聞けなくなるの、辛いな……。一年後なんてやっぱり想像できないかな。素敵な人にたくさん出会っても私のこと、忘れないでね」

「もちろん、真智子のこと忘れるわけないじゃないか。真智子は僕にとってほんとうに大事な人だって、わかってるよね。留学のことだって、父を納得させるためにも早めに決めたんだ」

「そうだよね。そうやって慎一は高校時代も努力してたよね。せっかくのお祝いのはずが、弱音吐いちゃってごめんね。あまりにも急なことで、少し不安になっちゃって……」

「僕のこと信じて、待っててよ」

「もちろん待ってるけど、たぶん、待ってる間にも桐朋短大のスケジュールと課題に追われてると思う」

「お互い、頑張ろう。インターネットもあるし、連絡するからさ」

「そうだね。慎一の留学先での検討を願ってるよ。ほんとうにおめでとう。それで、留学先のリスト音楽院はどこにあるんだったっけ」

「ハンガリーのブタベスにあるよ」

「そうそう、リストの『愛の夢』が私達の出会いの曲だったよね。素敵なところに留学するんだね」

「本場できっと鍛えられるだろうね。僕も率直なところわくわくするよ」


 リスト音楽院への留学が決定したことを嬉しそうに話す慎一の表情はとても生き生きとしていた。一方の真智子も慎一と話してスケジュールに追われる毎日からほんの少し気持ちが解放されて、会ってよかったと心から思った。慎一が留学すれば、しばらくこんな風には会えなくなってしまうけれど、今、こうして過ごせるひとときの幸せをふたりはそれぞれしみじみと噛み締めていた。

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