2-3 シューベルトの『即興曲』
その日の放課後、真智子がちょうどピアノの蓋を開けている時に慎一が音楽室に入ってきた。
「今日は何の曲?」
「シューベルトの『即興曲』なんてどうかしら?昔、発表会で引いた曲なんだけど。しばらくぶりだから上手く弾けるかどうかわからないけど」
「いいね。弾いてみて」
真智子はシューベルトの『即興曲』を弾きながら、慎一の視線に以前より慣れてきた自分に気付いた。演奏を終えると慎一は拍手して言った。
「流石、以前、発表会で弾いただけあって上手くまとまってるね」
「慎一との特訓の成果もあるかも」
「そういえば、以前より演奏の固さがとれたよね。ところで、前から聞こうと思ってたんだけど、昼休みにも一緒にいるとこ見かけたけど、真智子って僕のクラスメイトの杉浦まどかさんと仲がいいんだね」
「あ、うん。言ってなかったっけ?一緒にサッカー部のマネージャーしてたの」
「それで、杉浦さんも修司ともときどき話してるんだ」
「まあ……ね。ところで、ちょっと気になってたんだけど、まどかから聞いたんだけど、慎一と私のことが噂になってるってホント?」
「まあ、確かにね。修司から、帰りにがんばれよ!とか言われているうちにだんだん広まったみたいで」
「そういうことだったのね……。修司、声が大きいからね」
「僕も隠すことでもないと思ってたし。だけど、ふと思ったんだけど、真智子って修司と以前、付き合ってた?」
「付き合ってたというか……昔も今も友達だよ」
「そうだよね。前、一緒に帰った時も親しい感じだったし」
「そう。それから、話しやすい相手ではあった」
「あった……。過去形?今は?」
「今は以前より少し距離ができた感じかな。なかなか話す機会もないし」
「修司ってサッカーで活躍してるし、僕からみると男らしくてかっこいいなって思うんだよね。よく体育の時に話すんだけどかっこいいからさ。修司のファンってけっこういるんじゃないかなって思うんだけど」
「そうね。いるかもしれないけど、あまり考えたことなかった。一、二年生のマネージャーには修司のファンとかいるかもね」
「とにかく、いいのかな?ってときどき思ってたんだ。僕が音楽室で真智子のこと一人占めにして。もちろん、僕は励みになってるし、楽しいけど……。修司は真智子のこと好きなんでしょ?」
「そう修司が言ってた?」
「はっきりとは言わないけど、そうなんじゃないかなってふと思うようになって……。そういうことも少しは覚悟してたんだけど、修司には悪いけど僕は真智子とピアノを練習する時間はかけがえのない時間だから大切に思ってるってこと真智子に伝えておきたくて」
「ありがとう……私も慎一とピアノを練習する時間は大切に思ってるし、特別な時間だよ」
「それならよかった。僕にとって真智子ははじめて会った時から特別な人なんだ」
「修司のこと、気になるかもしれないけど、昔馴染みだし、友達として好きだけど、それだけだよ。今は慎一と一緒にピアノを頑張ろうって思ってるし」
「真智子はほんとうにそれでいい?」
「だって、私はピアノで頑張ろうって決めた時から、はじめは一人でここで練習してきたんだし、慎一にはたくさん励まされてるし、慎一と一緒に練習しはじめてよかったと思ってる……」
「もう、芸大は課題曲も発表されたし、お互い、これからが正念場だよね」
「そうだね……」
「真智子は桐朋短大も受けるんだよね。僕は芸大一本にすることにした。留学の話もあるし、その方が集中できるし、安易に他の志望先を定められなくてね」
「私はこれ以上、家族に迷惑かけたくないから……。音楽の道を進むってだけで、金銭的に負担をかけるから、私立は四大でなくて短大にすることにしたの。浪人はできないし……。芸大は何浪かして入る人もいるって話は聞いてるし……。でも、慎一ならきっと芸大一本で大丈夫だよ」
「結果は受けてみないとわからないけど、最善を尽くせるように頑張ろう。じゃあ、次は僕の番だね」
慎一の軽やかな指の動きで奏でられるシューベルトの『即興曲』は深い情感を伴い真智子の心に染み込んでいった。
※シューベルト 即興曲変ホ長調 Op90-2
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