第2章 秋から冬へ

2-1 シューマンの『幻想曲』

 秋から冬へと季節は足早に過ぎて行った。真智子と慎一のピアノの練習は毎日のように続けられ、それとともにふたりのピアノへの情熱も一層深まり、同じ道を志す同志としての心の絆も深まっていった。その一方で修司とは時折、偶然、廊下ですれ違ったときに挨拶を交わしたりはしたが、以前よりどこかぎくしゃくしたような距離感が生じてきていた。進路が違うことがこんな風に修司との関係にも影響することになるとは一人でピアノを練習していた時には真智子は想像もしなかった。表面的には何も変わらないようで何かが変わりはじめていることを真智子はときどき意識しはじめていた。サッカーに打ち込む修司を身近に見ていた頃が思い出になるにつれて、その姿が日常から薄らいでいくことにどこかもどかしいような思いがよぎることもあった。


「真智子、どうしたの?」

シューマンの『幻想曲』を弾き終えた慎一は音楽室の窓辺で考えごとをしていた真智子の横に立ち、真智子の肩にそっと手を置いた。

「あ、夕陽が綺麗だなぁって思って……。ごめんね。演奏が終わったの、気付かなくて。慎一のシューマンはきれいなだけでなく、情感がこもっていて流石だね」

「ホントだ、きれいな夕陽だ」

そう言うと、慎一は夕陽を眺めていた。夕陽を見つめる慎一の目を真横で見ながら、真智子はふと思った。

―慎一は今、何を考えているんだろう―?

そう思いながら、慎一の目が真智子の知らない遠い未来の果てを見つめているような不安な気持ちに真智子はふっと囚われた。

「さぁ、次は君の番だよ」

「そうだね」

真智子はいそいそとピアノの前にすわった。なぜか今日は集中力が湧かない。鍵盤を前にして思いもかけず怯むような思いがよぎり、ふと窓辺の方へと視線を向けると慎一はまだ夕陽を眺めているらしく、窓の外へと顔を向けたまま身動きひとつしない―。その後ろ姿は真智子にはまだ立ち入ることができない何か得体のしれない孤独の影を浮き彫りにしているように見えた。一瞬よぎった不安を胸にしまい込み、真智子はシューマンの『幻想曲』を弾きはじめた。


※シューマン 幻想曲 ハ長調 作品1

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