第二章・インド洋海戦
第二章・インド洋海戦①
※
流星ではなかった。
艦橋から眺めたそれは流星ではなく、敵の二〇センチ砲が至近距離を掠めたのだろう。しかし光の尾を引いて通り過ぎる刹那の様は正しく洋上の流れ星だと、楠木は思う。
後方一〇〇メートルも無い地点に特大の水柱が上がると神通の艦橋は大きく揺れた。
「艦長、至近弾です」
水雷長の蔭山が背中越しに言う。報告というよりも、例えば荒れた天気について何気なく口にする時のような、雑談に近い口調だった。
「これだけ近いのは久々だな」
「去年の冬以来ですか」
「ああ、UNSAの連中がアホ程に飛行機を落とされた時のだ。アレは最悪だった、嫌なことを思い出す」
「まさか怖じ気ついてないでしょうね」
「寝言を抜かすな」
返す声は喜色に溢れたものだ。
「敵艦位置知らせ」
「方位ハチロク距離フタサンハチ、速度相対マイナス二、本艦と同行しています」
「よし。二水戦各艦に通達、敵の砲弾めがけて最大戦速で直進しろ」
楠木の発した至極真面目な声色の指示で艦橋に笑いが溢れた。
「その心は?」
誰が口にしたのか、答えの解りきっている問いかけだ。
「そうして進めばいずれ敵の腹に行き当たる、分かり易くて良いだろう」
楠木は威勢良く言い切り、流れるように指示を続ける。
「これより本艦は左舷二点回頭機関全速と同時に両舷バラストに急速注水を開始。距離五〇〇〇までにハイドロジェットを待機状態へ。タンク臨界までのカウント知らせ」
楠木の指示を聞き終えるよりも先に眼前のコンソールを叩き始めた機関長の廣川は作業をしながら答える。
「宜候(ようそろ)。注水開始まで三、二、一……注水開始を確認。カウントダウンモニターに出します。残りヒトヨンサン、フタ、ヒト」
「続いて突撃戦兵装用意」
「超振動装甲及び艦首超電磁パイルバンカー、いずれもよし。いつでも突撃可能です」
「上出来だ――」
水雷長の報告に楠木が頷こうとした刹那の間、再度神通の側面を流星が走った。瞬きの間を置いて弾着に海原が揺れ艦が暴れる。
だがしかし、艦橋の誰一人として動揺する者はいなかった。敵の砲弾に向かっているのだからこれくらいは当然、とでも言わんばかりの反応である。
楠木はそうした部下達を静かに一度見渡すと満足気に頷き、そして不敵に笑った。
この連中がいる艦が負けるなら、それは艦長が無能なのだ。そう確信できた。
「総員、しっかり踏ん張れよ」
僚艦を先導するように、自らめがけて放たれる弾丸を目印にして神通は海原を一直線に駆ける。
リンガに帰投すると楠木は副長に財布を渡して艦を降りた。戦勝の宴会には顔を出せそうにないが、せめて勘定の足しになる程度の金は渡してやらねば司令官としての立場がない。
浮かれ気分で半舷上陸する部下達を見送ると、迎えのカッターへと乗り込み第二艦隊旗艦『出雲』へと向かう。
NOISE出現の直前に竣工した出雲は、海軍の全艦艇を束ねる為の艦として世界的にも最新鋭のCICを要する指揮艦となるはずだったが、ノイマン粒子の存在が前提となり高度な情報通信が行えなくなった戦場にその活躍の場はなかった。精々がこうして、無駄に広いスペースを誇るその船体を会議に提供する程度だ。
楠木が馴れた順路を通って出雲FIC(旗艦用司令部作戦室)に辿り着くといつにも増して剣呑な雰囲気に支配されている。
重巡洋艦金剛・霧島・鳥海による第四戦隊司令官の但馬。同じく重巡洋艦妙高・愛宕・足柄による第七戦隊司令官の北原。航空母艦神鷹・海鷹による第三航空戦隊司令官の山口。第一潜水戦隊司令官の三津谷。そして艦隊司令部の面々。皆一様に険しい表情で下を向いていた。
到着が最後になった事を咎められるのかと勘ぐった楠木だったが、それは違うとすぐに気が付いた。
よく見れば見慣れない姿が一人混じり込んでいる。見るからに現場に出た事がなさそうな背広組、恐らく赤煉瓦の人間だろう。
「二水戦司令楠木潔、ただいま到着しました」
軽い礼を残して席に就くと既に会議資料が机の上に並べられている。隣に座っていた但馬に小声で問えば次の作戦資料だと言う。
出撃から帰ってきてすぐに次の作戦の話とは景気が良いのか悪いのか、掴めないままに資料に目を通した楠木だったが、数分と経たずに場に漂う異質な空気の意味を悟った。
《――この時間は予定を変更して臨時のニュースをお伝えします。軍務省広報部は、今日午前の定例記者会見において、皇国海軍第一艦隊が本日未明に出撃したことを公式に発表しました。繰り返します、軍務省の発表によると本日未明に第一艦隊が出撃したとのことです。
皇国海軍第一艦隊は横須賀を母港として太平洋海域を管轄する部隊であり、先月まで行われていた南太平洋方面作戦では同海域の安定化に成功しています。
今回の作戦内容に関する公式発表はされていませんが、専門家の間では太平洋が安定している間に第一艦隊を戦線が硬直している東南アジアおよびインド洋方面へと派遣し、同海域に展開する佐世保第二艦隊との連合戦力によって敵勢力の漸減を目指すものと見られています。
また、周辺諸国の動向として支那連邦内の国連軍基地や東南アジア連合国、インドからアフリカ北東部にかけての沿岸諸国などにも大規模作戦行動の動きが見られることから、インド洋海域における国際的な対NOISE作戦が予測されます。
今回の出撃について、軍務省の岡島長官は会見で次のように述べています――》
東南アジア連邦の首都シンガポールから南に二〇〇キロほど洋上を行くと、佐渡島ほどの面積を有するリンガ島に辿り着く。焼けるような赤道直下の、しかし穏やかなこの島に、皇国海軍の前線泊地がある。
世界国家連合体(通称国連)直轄地リアウ諸島内皇国海軍リンガ泊地。専ら第二艦隊の前線基地として運用されている西方海域の最前線に位置するそこは、本作戦における第一・第二艦隊の合流地点となっていた。
第二水雷戦隊司令官の楠木潔(クスノキキヨシ)少将は旗艦神通の甲板で煙草をふかしながら、水晶のように透き通ってきらめくリンガの美しい洋上を、より正確にはそこに浮かぶ空母加賀とその周辺を、射殺すような視線で睨み付けている。
神通から加賀までは距離にして一キロ程はあるだろう。しかし生粋の水雷屋である彼の尋常ではない視力は、加賀周辺に浮かぶ豆粒のようなカッターボートとそれに乗って遊び呆ける飛行隊員たちの姿をしっかりと見とめていた。
心中の不機嫌を湯気のように辺りに撒き散らしており、まともな神経の人間であれば今の彼に話しかけようとは思わないだろう雰囲気だ。
楠木には自負があった。古来より鎮西の任に就いてきた佐世保。その精鋭たる第二艦隊の中核戦力を成す水雷屋として、西方海域の守護を司ることへの強烈な自負があった。
ところがだ、先日赤煉瓦から電撃的に通達された要項には、今回の作戦では第一艦隊の砲火力・航空戦力を中心に置くと明記されていたのだ。楠木が心血を注ぎ、文字通り命を張って西方航路を死守してきた水雷戦隊への評価は完全に軽んじられていた。
否、その表現では生温いだろう。『第二艦隊は力不足である』と断じられたに等しいのだ。
してみれば、彼にとって、目の前に浮かぶ加賀や周囲で遊び呆ける飛行隊員の姿は、自らの軍人としての自尊心を踏みにじった象徴に違いなかった。
「あまり怒ってくれるなよ、太平洋はあいつらで保っている」
突然の声だった。怒り心頭の楠木に対して平然としたふうに、それどころか諭すような人物があった。
楠木はその人物の声を耳にするなり殆ど反射的に敬礼の姿勢で振り向いた。その姿は緊張というよりむしろ親愛の情に溢れたものだ。
「お久しぶりです東雲司令、いや参謀長殿」
「よせ、その呼ばれ方は肩がこる」
皇国きっての水雷屋と呼ばれた二水戦の伝説の司令官であり、現在は第一艦隊司令部付参謀長の要職にある東雲恭一(シノノメキョウイチ)少将その人だ。
「神通は良いな。海が近いし、何より余計な物が無い」
敵艦に肉薄する能力に特化するために一切の余分を排除した、刀のように研ぎ澄まされた神通の船体。一つの砲塔すら残さないその徹底ぶりはどこか狂気じみた危うさすらも感じさせる。
「長門(せんかん)は退屈ですか?」
会話に一瞬の静寂が訪れ、辺りを波の音が覆い隠す。
「会議が始まる、行くぞ」
「私を呼ぶために来てくださったのですか?」
「コイツに乗る口実だよ」
答えながら東雲は懐かしそうに舳先へ歩を進め、神通の艦首を二度撫でた。幾千の敵を文字通りその身を以て打ち砕いてきた傷だらけの艦首は水雷戦隊の象徴であり、楠木たち水雷屋の誇りである。
「俺はやっぱり水雷屋だな」
哀愁を帯びた東雲の言葉を、楠木は俯いて聞いた。
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