第一章・扶桑

第一章 扶桑・①

 《第一章》


 強化コンクリート打ちっ放しのだだっ広い空間、加賀第一格納庫。

 整備員が必死に仕事をこなすのを横目に呑気な飛行隊員がキャッチボールをして遊んでいる。大人しくやっていれば可愛げもあるのだろうが、やたら大きな声を張り上げて騒いでおり、作業中の隊員からは刺々しい視線を向けられている。

 飛行甲板の直下に位置するここは緊急事態への即応性を考慮し戦闘機用ハンガーが整備されており、技量が高い制空隊の機体から優先的に格納されている。

 水面下に位置する第二から第五格納庫と比較して一機当たりの広さに余裕があることや、船体構造的にも揺れが少ない場所であること、他に空調の効き易さや、自動販売機等の慰安設備が優先して配置されていることなどから、飛行隊員達から格別の人気を誇っている場所だった。

 同格納庫艦尾側右隅、甲板へ機体を上げる為のエレベーターの目の前に、零の搭乗機は格納されている。

「なあ扶桑、いい加減機嫌直してくれよ」

 零は愛機のコックピット内で独り言のようにつぶやいた。扶桑からの応答は無い。

「なあ、おい、なんか答えろよ」

 パシンと音を立てて操縦桿を叩く。

『こんにちは』

「こんにちは。機嫌は直して頂けましたか?」

『その質問は不明です』

「不明もクソもあるか。今朝からずっと無視しやがって」

『該当する記録はありません』

「嘘吐け。だったら今朝の目覚ましはどうしたんだよ、鳴らしてくれなかっただろ」

『当該時刻は生体装甲のチェックが優先されました・メモリ不足です』

「朝メシの予約もしてなかったぞ。知らないまま食堂に行って並ばされた、三十分だ」

『推力偏向システムに不具合が発生したため修正していました・メモリ不足です』

「スケジュールも教えてくれなかった、お陰で長官との約束にも遅刻だ」

『過負荷から生じたエンジンの不具合を確認していました・メモリ不足です』

「俺のコールに応答しなかった理由は何だよ、朝から十回以上呼んでんだぞ!」

『機体に生じた全ての不具合は昨日の空戦における異常機動に原因が推定されます』

「要は俺が悪いってか? やっぱり怒ってんじゃねーか」

 知らない人間が聞けば人工知能とのやり取りとは思わないだろうが、零はふざけている訳でなく、大仰にしてみせている訳でも無い。これが日常だ。

『怒られましたか、レイ』

「いや……原田中将だからな。バカヤロウの一言で笑って許してくれた」

 原田実(ハラダミノル)中将は皇国海軍第一艦隊の司令長官である。現在は艦隊司令長官の職に就いているが航空畑の出身であり、零のような飛行機乗りには親しみ易い人物だ。

 零が所属する空母『加賀』は同じく空母である『赤城』『信濃』と共に第一航空戦隊として編成されている。それに加えて、戦艦『長門』を筆頭とした水上打撃部隊や巡洋艦『矢矧』らが構成する水雷戦隊等を一つの集団として指揮する単位が第一艦隊である。

 原田司令長官麾下の第一艦隊は南太平洋海域に出没する敵集団の拠点破壊を目的として出撃している最中であり、グレートブリテン連合共和国との共同作戦を展開していたが、先日の敵残党殲滅戦を以て全作戦を無事に終了、目下母港である横須賀へ帰投する道中にある。

『上官への対応は気を付けてください、レイ』

「誰のせいだよ」

『加賀飛行隊戦闘機制空隊・第三小隊小隊長吉川零少尉の責任です、レイ』

「解った、もういい」

 零は不貞腐れた態度を隠そうともせず、舌打ちと一緒にシートに身を投げ出した。

「……そうだ、長官から扶桑に伝言。新型機が出来たから横須賀に戻ったら起動試験に協力しろとさ」

『その命令は実行できません』

「何でさ」

『私は【吉川零の補助および保護】を唯一の目的として構築された存在であり・当該目的と関わらない事柄への関与は一切を禁止されているからです・本件は皇国海軍の指揮系統に依る命令であり【人工知能扶桑】が皇国海軍隷下として管理される危険性を警告します』

「相変わらずクソ真面目だな、扶桑は」

『コマンドは最上位指定のものです・例外は認められません』

「テストパイロットに俺が指名された、だから助けて欲しい……それならいいか?」

『了解しました、レイ』






 第三種軍装の白服に身を包んで玄関を出た零は暑苦しさに思わず周囲を見上げた。

 陸上生活用に借りている安部屋の周辺は見渡す限り高層建造物に覆われており、空などまるで見えやしない。

 肌に突き刺さる陽射も無い癖に妙に蒸し暑い。陽射は痛いが海風を感じられる洋上と比べるとひどく癪に障る、息苦しい暑さだ。

 部屋にロックを掛けてから地下駐車場に降り、愛車である水色の軽に乗り込む。

「扶桑、操縦よろしく」

『目的地は土浦航空基地内技術研究所でよろしいですか』

「ああ、でもその前にコンビニ」

『朝食ならば栄養バランスの取れた飲食店を提案します・検索結果・経路上に一〇五店舗をリストアップできます、レイ』

「メシだけじゃなくて漫画とか買いたいんだよ。道中二、三時間かかるだろ。暇だ」

『コンビニで必要物資を購入後飲食店で朝食を取ることを提案します、レイ』

「何でコンビニじゃダメなんだよ」

『コンビニエンスストアの飲食物は健康管理上推奨出来ません、レイ』

「ったく、面倒臭いな。それなら和食にしてくれ、どうせなら味噌汁飲みたい。旨い店探せよ」

『了解・発進します、レイ』

「あいよ、安全運転でな」

 飾りのハンドルを握らずとも車は音も無く動き出す。


 コンビニでコーヒーと漫画雑誌を購入した後に向かった定食屋は、今時こんな店がよく残っているものだと感心するほどに古めかしい、ゴチャゴチャしたと表現するのがピッタリな内装の店だった。

 注文を済ませて待つ間にニュースでも見ようかとポケットからペン型携帯端末を取り出し、ホログラムディスプレイを立ち上げる。

 ワイドショーでは丁度第一艦隊の横須賀帰投が取り上げられていた。

《……対南太平洋方面“NOISE”に関する作戦活動に従事していた日本皇国海軍第一艦隊が、昨日正午過ぎ母港の横須賀に帰港しました。総勢三千名を超す市民や関係者の出迎えが集まり過酷な任務を耐え抜いた隊員を労ったとのことです。

 政府軍務省の発表では、今回の第一艦隊による作戦でミクロネシア・ソロモン海域の敵拠点攻略に成功したとのことで、太平洋海域におけるNOISE勢力の減衰が期待されます。

 一方で専門家からは、NOISEは根絶が極めて困難な存在であり、今後も厳重な監視を継続する必要があるとの指摘も出ています。》

 番組は続き報道アナウンサーが読み上げた内容についてコメンテーターが無難な内容を続けている。

「そういや、扶桑の本体はもう着いてるんだよな?」

 零が虚空に向けて問うと、端末から別モニタが立ち上がりフライトレコードが表示される。

 扶桑の本体は零の搭乗機にコアユニットとして組み込まれているため、昨日の時点で土浦への自動航行を指示してあった。

『二時間七分前に土浦飛行場へ到着・研究所内ケイジ格納後全システムをロックした状態で待機しています、レイ』

 端末から扶桑の音声が返ってくる。

「叔父さんはいた?」

『はい・今回の試験飛行にはドクター鶴堀も立ち会うとのことです』

 鶴堀太一(ツルボリタイチ)は、日本皇国軍務省所轄土浦技術研究所所長であり、零にとっては母方の叔父にあたる人物だ。

「それなら気楽にやれそうだな。扶桑も叔父さんがいる方が楽だろ?」

『肯定です』

 話しているうちに腰の曲がった老婆が盆を運んでくる。白米はドンブリ一杯・ホウレン草のお浸し・玉子焼き・キャベツとベーコンの炒め物・きんぴらごぼう・煮帆立と長ネギの合わせ・なすと胡瓜の一本漬け・ふの味噌汁……幾らなんでも量が多い。

「婆ちゃん、俺普通に朝定食頼んだよね?」

「その服、アンタ海軍さんだろ。頑張ってくれたんだ、たんとお食べ」

 軍帽は車内に置いてきたし肩の階級章も外してあるのだが、白服上下は目立ちすぎるという事か。ともかく好意からのサービスらしい。

「んじゃ、遠慮なく」

 頂きますと手を合わせてから、ドンブリ飯を胃に掻っ込む。

「私の子どもは、ちょうど二十七年前に結婚してね、例の、五〇六便で新婚旅行に行っていたのさ。今から考えると、なんて間の悪さだろうと笑ってしまうけれども」

 この国に生きている人間ならば誰でも事情を察する言葉だ。

 今から二十七年前、【連中】即ち一般的に【NOISE】と呼称される敵性集団が世界中の海域に突如出現した。NOISEは後に【ノイマン粒子】と名付けられた、極めて高度な電波遮断性能を有する特殊粒子を大量に伴って出現したことから、世界中の情報システムに大規模な混乱が発生、当時の通信映像はスノーノイズ一色に染められたらしい。

 NOISE発見の直接の契機となったのは事故当時インド洋上空を飛行していた皇国航空社民間旅客機・五〇六便の墜落事故だった。

 当初は情報システムの混乱から生じた操作ミスが原因として発表されたが、当該海域に派遣された軍務省捜索隊の海難救助艇が所属不明機からの攻撃を受けたことで事態は一転、五〇六便はNOISEによって撃墜されたものと断定され、全世界に敵の存在を知らしめることとなった。

「あの後、ノイズ共のせいで世の中無茶苦茶になったから、葬式もまともにしてやれなくてね……アンタ達には頑張って欲しいのさ」

 零は胡瓜の一本漬けを齧りながら老婆の話を聞いていたが、

「婆ちゃんさ、田舎の知り合いとかいるの?」

ふとそんなことを聞いた。老婆は多少戸惑ったようだったが長野に甥がいると答えた。

「突然なんだい」

「いや、この胡瓜すごい美味しいから。噂に聞く天然モノかと思って」

 土地の少なくなった現代では、高級嗜好品として流通する一部を除いて、食材の殆どがバイオプラントによる成長促進栽培で賄われている。畑の、土の上で栽培されている野菜など余程の上流階級か農家にツテでもなければまずお目にかかれない。

「ああ、そうさ。甥は大きな畑をやっていてね……普段は家で食べるのだけど、海軍さんだからね、特別に出してやったのさ」

「そっかあ、有難う。滅茶苦茶旨いわ」

 ボリボリ音を立てながら胡瓜を齧り、また暫くすると、

「長野に引っ越しとかは考えないの?」

そう尋ねた。

「ここ、生活するには不便だろ? 今だって兵装ビルの増設とかバンバンやってるし、いずれ戦闘に巻き込まれる危険性だってある」

 胡瓜を齧り終えたら次は茄子、空気が重くなりすぎないのは零が聞きながらも食べる手を止めていないからだ。

 問われた老婆は、どこか投げやりに笑う。

「今更だよ……連中の死様が見られるのなら、喜んでここでくたばるつもりだよ」

 むしろ攻め込まれる事を待ち望んでいるかのような、奇妙に明るい声だった。


 食事を終えると、また来るよと言い残して玄関の暖簾をくぐる。

 そういえば店の名前を確認していなかったと看板を確認すると【北の茶屋】というらしい。ふと気になった零はもう一度店の引き戸を開け、

「婆ちゃんの名字って北野さん?」

食器を片付けていた老婆はやれやれといった表情で、

「ああ、そうだよ。北野セツコってんだ」

成るほど、それで“北の茶屋”か。

「軍人さん、名前は?」

「第一航空戦隊加賀飛行隊少尉・吉川零。またね、婆ちゃん」

 緩い敬礼で返してみせると、NOISEの話をする時とはまるで違う、老婆らしい優しい笑顔で見送ってくれた。



 いつの間に眠っていたのか、扶桑の呼ぶ声で目覚めるとフロントガラスの向こうには土浦飛行場が広がっていた。

『ゲートチェックがあります・服装を整えてください、レイ』

「ああ、解った」

 口元のよだれを袖で拭い伸びをしながら時計を確認すると正午の少し前といった所か、起動試験の開始時刻は十五時からなので大分余裕を持って支度が出来る。

 ボタン式に改造してある肩章を適当に付け、助手席に放っておいた帽子を緩く頭にのせる。欠伸が止まないのでドリンクホルダーの缶コーヒーを胃に流し込む。

 それから数分としないうちに車はゲートに辿り着き、零は言われる前に窓を開けた。

「失礼。所属とお名前を確認させて頂きます」

 零よりも多少年上だろう、二十代の中ごろといった外見の保安隊員は零の階級章に戸惑っているらしい様子が見て伝わる。

「第一航空戦隊加賀飛行隊所属、吉川零少尉です。本日は新型機テストパイロットとして召集されました」

 所属を明かすと半信半疑の視線を向けられ、名前を明かして動揺される、隊員証を渡してようやく相手の態度が士官に対するものへと変わる。

「失礼しました、どうぞお通り下さい」

 加賀ではまず見られない、整然とした敬礼だった。

「任務お疲れ様です」

 苦笑を隠して頭を下げ、窓を閉めると、動き始めた車の中でボヤキが漏れた。

「メンドくせー、さっさと歳取りてー」

 零は今年二十一歳になる。一般に士官候補として採用される軍人であっても、少尉任官は最低でも二十二歳からであり零よりは年上だ。兵学校も飛び級で卒業し、十代の頃から士官として実戦配備されている軍人などほんの一握りの例外を除いて有り得ない。

 零のボヤキを無視するように、車は研究所の駐車場へ進んでいった。


 研究所の入口に入ると、すぐに見知った顔が出迎えてくれた。

「久しぶりだなあ、零」

 言うなり、髪をクシャクシャに撫でられる。

「取り敢えず私の部屋に来い、時間もまだあるだろう。コーヒーでも飲んでいけ」

 だらしない無精髭にヨレヨレのワイシャツ、このような格好で出勤していては通常であれば即刻解雇されそうなものだが、本人の能力のみで認められている。世界中にその名を知られる天才科学者、それが鶴堀太一だ。

「叔父さん、家帰ってないの?」

「新型機の調整が大詰めだったんでな。だが、お前と扶桑が来ればそれも終わりだ。明日には帰れるよ」

「叔母さんが可哀想だよ、雛子も」

「ああ、そう、雛子。雛子に零の写真撮って来てくれって頼まれてるんだよ」

「写真?」

「最近、例の対NOISE作戦の関係で軍の露出が増えているからな。お前女子高生の間で結構有名人らしいぞ」

「モテてんの?」

「いや、多分ツチノコみたいな扱い」

「何だよそれ」

 馬鹿話で笑い合いながら先を行く太一に着いて行く。やがて通された部屋は所長室ではなく物置のようなラボだった。

「こっちのが落ち着くからな、所長室は来客応対以外使わない」

 らしい事を言いながら、コーヒーを入れてくれる。

 零は無造作に散らばっている、何か複雑な数式が書き散らかされた裏紙を払うようにして、ソファに座る場所を確保した。

「大活躍らしいじゃないか。トップエースだ皇国の守護神だって、よく聞くよ」

 紙カップのコーヒーを差し出しながら言う太一の表情は、内容の割に明るいものではない。

「……まあ、役回り的に撃墜数が多いだけだよ」

 廣澤のそれとは違いひどく落ち着く、香りの深い、美味しいコーヒーだ。

「あんまり無茶するなよ。扶桑が心配する」

「だとよ、どうなんだ扶桑」

 携帯端末を取り出して問うと、

『ドクター鶴堀の発言に賛同します・現在の戦闘方法は非常に危険です、レイ』

との答え。

「何だ扶桑、私が声を掛けてもウンともスンとも言わなかったくせに、端末越しでも零の言葉には応えるのか」

 太一は力が抜けたような笑いを見せる。中を見せてもらおうとお願いしたのに結局ロックを外してくれなかったのだ、と。

「私も一応、お前の開発に関わった製作者の一人なんだがな」

『肯定ですドクター鶴堀・そして当コマンドはドクター吉川と貴方が最上位レベルで設定したものです』

「覚えているよ、扶桑。そう、だからそれで良い、安心したんだよ」

 人工知能扶桑は、吉川譲(キッカワユズル)即ち零の父親が中心となり、極一部の近親者のみが関わった所謂ジョークプログラムの延長線上として開発されたと、零は太一から聞かされている。

「今日の試作機も、コアの部分は譲の遺作だ。起動するのに鍵が必要で、それが扶桑だったという訳だ」

「何だよ、それじゃ俺はオマケ?」

「いや、そうでもない……と言うより、扶桑が鍵になっている時点で譲はアレの使い方をお前に任せる気でいたんだろう」

「十五年前に死んだ父さんが? 当時五歳の俺に?」

「将来を見越してたんだろ……アイツ、本当に天才だったからなあ」

 淡々と、コーヒーを啜りながらデスクに飾ってある写真を眺めながら呟く。写真には大学生らしい三人の男女が映っている。一人は若き日の鶴堀太一、もう一人は吉川譲、そしてもう一人、当時はまだ鶴堀姓を名乗っていただろう、零の母親である桜。写真を嫌がる譲を太一が無理やり引っ張り出し、桜は微笑みながら二人のやり取りを眺める、そんな関係性が透けて見えるような一枚だ。

「これ、大学の研究室?」

「そうだよ。桜が大学に入学した年だったか、ノイマン先生が歓迎会やろうって言い出した時のだ」

 京都大学クルト・ノイマン研究室。対NOISE戦史を振り返る上では必ず名前が挙げられるほどの研究グループ。零の両親と太一はそこの主要メンバーだった。

「ノイマン先生も、譲も、桜も、天才どもは皆先に逝って、俺だけ残されちまった」

 懐かしそうに写真を眺めながら、太一は静かに呟いた。


 実験用ケイジに収められた新型機は、その隣に並ぶ九六式戦闘機――零が現在搭乗している機体――より僅かに大型化しており、九六式の平たい外見と比べると構造上の凹凸も目立っている。

 零が観察するように眺めていると、背後から現れた太一が自信満々に説明した。

「九六式はノイマン粒子が存在しなかった頃の設計だからな。当時の条件でオミットした機能もある」

「つまり、対NOISE用兵器としては効率の悪い部分も多い?」

「そうだ。ノイマン粒子がある以上、兵器に求められる思想は全く変わる」

 NOISE、正確にはそれによって持ち込まれた特殊粒子の存在によって戦闘行為は変わった。言い様によっては数百年レベルで退化したのだ。

 その特殊粒子の存在はNOISE出現より半年後、当時京都大学に特任教授として招かれていた独人学者クルト・ノイマン博士らによる観測チームによって存在を提唱され以降ノイマン粒子と呼称されることとなる。

 ノイマン粒子よる電波遮断性能は、二十世紀末以降数百年間変わることの無かった戦争のあり方を根底から変化させた。レーダーによる広域観測及びその成果に基づく誘導兵器、無人兵器等の組織的運用、エトセトラ……現代戦の前提とされてきた内容がその粒子の存在によって悉く無効化されたのだ。

 結果として人類は、二十世紀後半には既に絶滅していた前時代的軍事体系に逆戻りするより無くなったのである。

「設計は叔父さんが?」

「ああ。十年以上前から構想していたからな、外枠に関するテストはもう散々にやってある。明日からでも実戦に使えるよ」

「外枠ってどういう意味さ」

「中身に特殊な物を載せている。それが今回のテストの肝だよ。私は外枠を作ったに過ぎない。中身は、譲が居なくなった今、扶桑にしか解らない」

 話をしていると、ケイジの中に作業の警告音が鳴り響いた。作業用クレーンが動き出し、零の九六式戦闘機から黒い立方体状の箱、即ち機体のコアユニットである扶桑の本体を持ち上げ、新型機へと移していく。

「扶桑、大丈夫か」

『問題ありません、レイ』

 応えながら端末に作業ログを表示してくれるが、零には見ても理解できない。

「問題なければそれで良いよ」

 そう伝えると表示は消え、零は端末を胸元にしまう。

「零、少し場所を変えよう。話がある」

 実験用ケイジの一角に備えられたモニタールームを指しながら太一が言った。


 モニタールームでは数名の研究員が何やら忙しくコンソールを叩いていた。太一は彼らに何か指示を出してから部屋の奥へ上がった。

 階段を上った先には数名程度が打ち合わせを出来る程度の小部屋があり、備え付けの窓からは実験ケイジの機体を覗き込めるようになっている。

「話って何?」

「今日のテスト内容について少し話しておこうと思ってな」

「どうせ聞いても解らないよ、そんなの」

「解るように話す。少なくともお前は知っておくべき内容だ」

 言うと、太一は胸元から煙草を取り出して咥えた。吸うか、と零に問うが、生憎と喫煙習慣の無い零は首を振る。

「で、何のテストしてるの?」

 零は窓の外を眺めながら促した。普段は滅多に見ることの無いコアユニットの格納部分が解放されており、妙な気分だった。

「お前、ノイマン粒子の事をどの程度知っている」

 煙を吐き出す太一の言葉は威圧的ではないが、今までのように叔父としての温かさを感じるものとは違っていた。研究者としての、仕事の空気をまとっている。

「専門家と比べたら全然知らないけど、兵科学校で習う範囲の事なら」

「そうか、なら一般的な知識はあるんだな」

「NOISE出現以前は地球上に存在しなかったとされる、NOISEの出現地点で大量に確認されている、電波を遮断する性質がある……大雑把にその程度だよ」

「十分だ。ただし最後の一点だけ補足しておくと、ノイマン粒子が遮断するのは電波だけではない。光波や音波、それに重力波にも、それぞれ微弱だが影響が見られる。最も影響を受けるものが電波という事だ」

「それで?」

「我々、つまりノイマン粒子の研究家だが、業界の内部では“ノイマン粒子はNOISEが軍事目的で使用している一種のジャミング兵器”として捉える見方が一般的になっている」

「それは知っているさ。兵科学校でも習った」

「だがとある天才はこう考えていた“ノイマン粒子はNOISEにとっての生存条件、つまり人で言うところの酸素のようなものだ”と」

「で、それが父さんって事?」

「そういう事だ、でなけりゃ話も進まんしな……或いは桜のアイデアであったのかも知れない。いずれにせよ、お前の両親が言い出した事だ。こういう常識外れの突飛なアイデアってのは、本当の天才からしか出てこないからな」

 零は外の作業風景を見た。黒箱に収まった扶桑が新型機へと取り付けられていく。

「その後更に研究を続けた譲は“NOISEにとってのノイマン粒子とはそれ自体がエネルギー源である”と結論付けた」

「そりゃ研究者がそう言うならそうなのかも知れないけど」

 本職の研究者から話を聞いたところで零には肯定も否定も出来るはずがない。

「生体装甲があるだろう」

「何さ、突然。世話になってるけど」

「ノイマン粒子がNOISEのエネルギー源であるという譲の仮定と生体装甲の存在を繋いで考えれば、連中の異常な物量にも納得がいく。つまり、ノイマン粒子がある限り連中は無限に増殖することが出来る」

「そんな、まさか……それじゃあ」

 NOISEを完全に殲滅することは不可能ということになる。

「恐らくだが、事実だろう。私では理論的な証明に至れなかったが、譲の残した物がその仮定を証明している」

「父さんは……何を残したのさ」

「零式ジェネレータ、ペットネームを【セフィロト】というらしい。ノイマン粒子を人類にも活用可能なエネルギーに変換する装置。譲が残した資料にはそう残っていた……零、お前が生まれた年に作られたものだ。そして今日、扶桑にテストして貰う物でもある」

 もしそれが実戦投入可能であるとするなら、対NOISE戦における圧倒的戦力になることは間違いがないだろう。しかし零は、語る太一のどことなく影を持った表情が気にかかった。






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