独白


***


 私が恋をしたのは、高校二年生の夏のことです。


 夜眠れなくて、偶々開いた素人の配信。

 その声に、私は釘付けになりました。


 変声期を過ぎた、秋風が窓から不意に吹き込んできたような、柔らかいテノールヴォイス。時折先を促すように流れるアコースティックギターの音によく似合っていました。


 曲の歌詞自体は、随分と平凡だったように思います。恋だとか、青春だとか、自分は何であるかとか、そういう、当時の年代の私が好きそうなものを素直に歌い上げた、良い曲でした。


『羽成す街の中で、僕は歌をうたう』

『明日、卵の殻を割り、世界は少しずつ羽ばたき始めるんだろう』

『青空の中、もう見えなくなってしまった君を思いながら、僕は歌をうたいつづけるんだろう』


 最後の一音がイヤフォンの向こう側から届き切った後も、私は茫然としていました。


 それから我に返ると、すぐに配信主のアカウントをフォローしました。


 アカウント名は秋山千秋。高校二年生。


 投稿欄には、詩と思わしき文章が並んでいました。私はそれをひとつずつ見ていって――そして、未言と出会ったのです。


 「羽成す」も未言のひとつでした。


 その意は、「虫や蛹が体の中で羽を作り、成虫になろうとすること」「そこから、外からは見えないが成長しようと心内でもがくことを言う」。


 私は未言に夢中になりました。元々知識欲は人より強い性分でした。ひとつ彼の言葉を飲み込むたびに、また未言をひとつ知るたびに、自分の中で何かが蠢き始めました。


 背骨のあたりをざわついていたそれは、やがて外に出ようともがき始めます。皮膚を破り、真っ赤な血を滴らせながら、透明な羽を生み出すのです。



 高校二年生の夏、私は自分が恋をしたのだと知りました。



 受験生になって、私は志望校を白紙に戻しました。彼が大学に行こうとしていること、それは彼の地元にあることは、彼の日常についての投稿で分かっていました。


 高校三年生というのは、目の前のことに必死になって周りが見えなくなるものです。私は必死に彼の情報をかき集め、東京から九州の中心へと飛び、オープンキャンパスを回りました。


 彼の志望校が自身の学力に似合うものであると知ったときの喜びと言ったら、言葉では尽くせないほどです。

 

小川千秋。


 新入生説明会で得た、彼の本名でした。

 彼の活動の邪魔をしてはいけないと、私は陰で彼の声を、言葉を求めました。

 そう考えていながら、やはりどこかで、彼に近づきたいと考えていました。


 私は、醜い女でした。


 当時から未言は既に、私の研究対象になっていましたから、利用した、とまでは言いたくありませんが――。


 否、否。


 私は結局、未言を彼に近づくための道具として利用しました。

 メモ帳を渡し、頻繁に話しかけては彼の笑みを受け取り、音声の研究と言って彼を街に連れ出しました。



 未言について知りたいのは、未だ目にしていない『未言字引』第一期を見たいのは、ほんとうのことです。


 世界は言葉でできています。

 人の思考は、その多くが言葉によってなされているもの。

 それは地域や年齢によって違うものです。その人物がどんな言葉に出会い、どんな言葉を使い、どんな風に人生で得た経験や概念を表現してきたか――それを知るのは、とても楽しいことでした。わくわくしました。

 これからも探究し続けたいと思いました。

 それは自分にとって気高く、うつくしい夢でした。


  でも、同じくらい、欲しいものが――欲しい人がいました。

 だから私は、自分の探究心を、夢を、他の欲の為に利用しました。

 否、本当は、――


 新しい世界を、私は知りたかった。

 そのはずでした。


 しかしもう。

 私には、そんな資格はないのかもしれません。

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