空猫


「に、『人間は総じて変わりもの』、ねえ」


 その夜、SNSに一本詩を投じた千秋は、ひとり部屋で息をついた。


 学生が多く住む町は、二十一時を過ぎてもやや騒がしい。洗濯機が回る音に、どこからか聞こえてくるカラオケ店の音楽が混じる。


 瞬く間に反応が広がっていくスマートフォンを、千秋はぼんやりと見つめた。


 いつも通り、今回使った未言「シャワーズランプ」の説明も入れておくが、そちらは伸びない。

 すぐ他の感想に埋もれてしまう、というのもあるが、やや異様ともいえる。


 まるで、誰かがその投稿に見えないヴェールを被せているかのようだった。

 一時期は、「誰かが未言についての投稿を他から見れないようにしてるんじゃないか」と思ったほどだ。


 恐らく、これまでと同じように、千秋の造語として人々の記憶のひとつと化すのだろう。


「……な、んだか、なあ」


 言葉は、確かにただの言葉でしかない。それが誰によって作られたものなのかなんて、普通に生きていれば、気にかけもしないだろう。


(僕だって、この言語というものが、具体的に誰によってもたらされたかなんて知らない。講義で習ったような推測はできる、でも、ほんとうに誰が、どんな気持ちでその語を編み出したのかなんて、知ることはできない)


 それは、千秋が長年抱いてきた、申し訳なさに似た感情だ。


 スマートフォンをローテーブルに放り投げた。通知は常日頃から切っている。

 今、彼の思考の憂鬱を邪魔する者はいなかった。


 ベッドの毛布に倒れこむ。存外大きくきしんだ音がした。それでも、起き上がることはできなかった。


(僕が今、こう考えている時に使っている言葉だって、元々は誰かが創り出したものだ。僕は誰かのものによって思考し、変なやつ、と評価される。誰かがつくった言葉で詩を書いて、それがやっぱり評価される)


(なら、それは本当に僕の思考か? 僕の言葉か? 僕はいったい、どこにいる?)


「……なんて、ね」


 洗濯機が脱水を終え、甲高く鳴き始める。


 千秋は起き上がると、スマートフォンに手を伸ばした。傷がないかを確認した後、大量に来た感想にひとつずつ反応を返していく。


 〈今日はダークなんですね〉〈大丈夫? 疲れてない?〉〈滅茶苦茶好きです、ありがとうございます!〉


 見知った名前も、初めて自身の詩を読んだという感想もあった。


 徐々に脳内の靄が晴れていくのを感じながら、千秋は「ぼ、ぼくも、現金なもん、だよねえ」と苦笑する。


 一番上、最も早く感想を送ってきたのは、「空猫」というアカウント。とても素敵だと思います、といった、簡素な文章が並んでいる。


「う、空猫うつねこさん、いつも、い、一番に反応をくれるんだよなあ……あ、空猫うつねこか」


 空猫うつねこ


 動物が物陰にいたと思って覗いたのに、もうそこからいなくなって見付からないのを、猫に例えた未言。


 偶然か否かは分からないが、思い出したそれを放っておく選択肢はなかった。


(ああ、そう言えば「シャワーズランプ」も、まだ出してなかったなあ)


 テーブルの上のメモ帳に手を伸ばす。〈うつねこ〉とルビを振ってから、もう一つ思い出す。


(そう言えばこの人、ちょくちょく未言の指摘をしてくれるんだっけか。〈それって未言ですよね!〉って……今回はなかったけれど)


「ひょ、ひょっとしたら、未言に、つ、ついて知ってるかも、しれないな」


 そんなことを呟いてみる。SNSにはダイレクトメールを送る機能も付いていて、こちらから話しかければ何らかの答えが得られるかもしれなかった。



(……未言を、知っている)



 ふと、千秋の眉が寄る。思わず、誰もいない部屋で声を出す。

 何かを確かめるように。


「た、たしか、この人、僕が高校生の、頃からふぉ、フォローしてくれて、た、よね。そう、た、たしか、ミニライブ、にも、来てくれた……」


 何故か、いつも以上に口が回らない。


 プロフフィール欄を何気なく見てみると、成人済みの大学生であること、女性であること等、簡単な情報が載っていた。


 その中の一文に、千秋は目を奪われる。



〈好きなことは、言葉について考えること、それから食べることです〉



 そっけない、どこにでもあるような紹介文だ。

 しかし、彼の頭に一度思い浮かんだ顔は、なかなか消えてくれなかった。


「あ、い、いや、そんな、かっ考えすぎだろ僕、もうそう、妄想だよ、こんなの――」


 女性。

 大学生。

 未言の存在を知っている。

 一部、知らない未言がある。

 秋山千秋の詩を好んでいる。

 言葉について考えることが好き。

 食べることが好き。



 そして、不意に思い出す。



(ああ――僕は、確かに、昼間に見た佐伯の顔を、人が恋をしたときの顔を――見たことが、ある)



「……た、確かめなきゃ」

 千秋は唇を噛むと、メモ帳を一枚、破り捨てた。


 それから、スマートフォンでどこかに電話をかけ始める。


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