変人
***
「で、山崎サンとは最近どーなの?」
うりうり、と肩を小突いてくるのは、めでたく安藤雪奈と付き合うことになったらしいあの友人だった。
「ど、どう、って……。研究はじゅ、順調だよ。五十、は集まったかな。お礼にって、ぼ、僕の研究も手伝ってもらっ……もらっているんだ。あ、ありがたい限りだ」
千秋の返答に、友人は「ん?」と首を捻る。
「ケンキュウ? ……ああ、何か手伝うって話してたな、そう言えば」
「……そ、そうだけど」
今度は千秋が眉を顰める。一体彼が何を言いたいのか、まったく分からなかった。
友人が「ふむ」と頷く。ちら、ちら、と横目で千秋に視線を送る。
「…………」
「…………」
「…………ん? 小川、他に言うことは?」
「……う、うん?」
「んん?」
何かがおかしいことに気が付いたのは友人のほうだった。若干自分の想像を否定しつつ口を開く。
「あの、小川サンや、つかぬ事をお伺いしますが、山崎サンとはどういった仲で?」
「は、はあ? 何、い、言っているんだ。さ、さっきから話しているだろう、僕らは研究仲間――は?」
次の瞬間、千秋はようやく何を訊かれているのか把握する。ほんの少し顔が赤く染まった。
彼の目の前では、友人がひきつった笑いを浮かべている。
「え、ええ……お前ら、まさか付き合ってねーの?」
友人曰く、校内や街で並び歩く二人を、同学科生たちがたびたび目撃していたらしい。
当人たちが全く人目を気にしていないこともあって、「つまりはそういうことなのだろう」という認識が広まっていた、とのことだった。
勢いで食堂に連れ込まれ、そのまま固まる千秋。
当然、それなりの美人である琴音の隣に居て、悪い気はしない。しかしそこには研究という真っ当な理由があるわけで、そもそも人との付き合いが極端に薄い千秋が、本気でそんなことを考えられるはずがなかった。
つまり――この男、恋愛にはとことん疎い。
「お前本当に大学生? 小学生でも今時もう少しませてるぞ……?」
「そ、そんなことを、言われても」
三限の終了間際、彼らの他に人はいない。食堂の職員たちも既に撤退した後のようで、辺りは静まりかえっている。
机の上には、自販機で買ったパックの牛乳が二つ置かれている。
「いや、まあ、ヒトの恋愛に深く首突っ込む気はさらさらねーんだが、うーむ」
友人は当人をよそに腕を組んだ。首を捻り、考える素振りを見せる。うまい言葉を探しているようだった。
口調と態度は軽い癖に、こうやって他人事を真剣に悩んでくれる彼を、千秋は気に入っていた。仲間とは元来こういうものだろうと、彼のような人間が一人居れば自己の世界が大きく広がるのだろうと、そう考えている。
ぷつ、と牛乳パックにストローを突き刺しながら、友人の考えがまとまるのを待つ。この牛乳も友人の奢りだった。
「なーににやけてんだ小川。……ん、そもそも、これを聞いていいのか若干判断に迷うんだが、お前は山崎サンのことどう思ってんだ?」
「……な、なんだかあれ、だね、佐伯って、ライトノベルにで、出てくる、友人キャラみたいだ」
「うっせ」
そっぽを向く彼に、千秋はからから笑った。
「そうだなあ」と人差し指と中指を首筋にあてた。自身の熱と、かすかな鼓動が伝わってくる。時折手をパックの方にやり、一口牛乳を飲む。
たっぷり時間をかけてから、千秋は口を開いた。
「……僕、もそりゃまあお近づきに、な、なりたいとは思っているよ。でも、彼女って、そ、そういう『風』では、ないだろ?」
(あの人の「核」にあるものは、きっと知識欲だ。特に未言関連に関して、彼女の瞳は何よりも輝く。……そこに不純を求めようなんて、笑ってしまう)
千秋はそう言って、尻ポケットからメモ帳を取り出した。軽く手の中で転がしてみる。
己と琴音をつなぐ唯一の方法であるそれは、すっかり千秋の手になじんでいる。それは恋だの愛だのを超えた、半ば使命じみたものだ。
「『風』ではない、ねえ。……俺にはお似合いに見えるんだけどな」
「お、お? おにっ、あっ、えっ、そ、そんなことはっ」
千秋の耳が真っ赤になった。ばたばたと掌を降る彼に、「なんで今慌て始めるんだよ」と友人は笑う。
「ま、一度じっくり考えてみるのもアリだぜ? 小川はどうにも素直すぎるきらいがあるからな。いいか、命短し恋せよ乙女、だ。別に俺たちは乙女っていう性別でも年齢でもないがーー今の俺たちが俺たちで在れるのは、今だけなんだから」
言いたいことは言い切ってしまったらしく、友人は牛乳を一口で飲み干した。が、やはりやや恥ずかしかったらしく、場を茶化すように鼻を掻く。
(恋をしている人の表情だ)
千秋は思った。相手は勿論、安藤雪奈だろう。友人の大きな瞳の奥に、彼女の姿がはっきりと焼き付いているような気がした。
……ふと、眉を顰める。
自分はどこかで、今の友人に似た表情を、瞳を、見たことがある。
(なんだろう、この既視感)
頬杖をついたが、後一歩のところで思い出せない。何か別の思考が、千秋の目をわざと逸らさせているような、そんな気さえしてくる。
黙り込んでしまった彼に、友人はちらりと時計を見た。
次の講義まであと十分ほど。
「……小川、悪いがそろそろ」
千秋は顔を上げて、「あ、ああ、ごめん、もうそんな時間か」と返した。友人が気を使ってくれているのが分かる。が、講義に遅れるのは避けたかった。
友人は立ち上がりつつ、「俺が言えるのは、それくらいかな」とその場をまとめる。牛乳パックのゴミを二人分まとめてテーブルから攫った。
外に出ると、冬特有の刺すような風が二人の脇を通り過ぎて行った。
友人がゴミ箱の近くで「お」と声を上げる。
「蛹じゃん、アゲハチョウかな」
千秋も近寄って見れば、レンガ造りのごみ箱に茶色の細長い塊が引っ付いている。「枝と間違えたんかね」と友人は牛乳パックを捨てながら笑った。
「街でもちょくちょく見かけるけどな。千秋、知ってるか? アゲハチョウは蛹の状態で冬を越すんだ。春が来たら、思いっきり羽を広げて飛び立てるように」
にいっと友人は口端をあげる。少し丸まった背中を叩けば、軽やかな音が青空に響いた。
よろける千秋。
「……さが、佐伯って、時々詩人、だよな」
思わず呟いた千秋に、友人は吹き出す。
「何だよ、どうした? 褒めても何も出ねーよ、変なやつ」
「に、日文はみんな、変人だろ」
揚げ足を取ったような千秋の言葉に、友人は「おっと小川、それは違うぜ」と笑った。
「人間は総じて変わりもんなんだよ。普通のやつですら、どこか可笑しいのさ。だから、俺たちはそれを解き明かそうとする。言語っつーツールを使ってな。それが文学部、変人を研究する変人ってわけだ」
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