第26話:来客

 背中が痛い。


 ソファから落ちた衝撃で目が覚めた。


 昔の夢を見た。両親が生きていて、まだ僕はどこにでもいるような普通の小学生だった頃。


 人間だった頃の夢。


「久しぶりに見たな……」


 パソコンで時刻を確認すると、午後三時を回っていた。二時間ほど眠っていたらしい。


 夢の中でもお姉さんはいつものキャラクターだった。彼女は可憐な外見とは裏腹に、口調が男っぽいのだ。そんな話し方をする女子大生とご近所付き合いがあったなら、純情な男子が惚れてしまうのも無理はない。


「……」


 薄暗い部屋を見渡す。ミモリはまだ来ていないようだ。

 かぶりを振る。いやいや、それが普通だから。この事務所のスタッフは僕一人だし、仕事を手伝ってくれたことなんてほとんどないじゃないか。鬼形香火の件が特例だっただけで。


 ――あなたは一体、何者なんですか?


 あの問いに、答えは返ってこなかった。


 それでもミモリは毎日のようにこの事務所へ来るし、当たり前のようにぐうたらして、スマホで動画を観ながらカフェオレを飲んで、惰眠をむさぼっている。


 あの人が誰であろうと、今さら関係ないじゃないか。僕は僕の信じた道を進む。その道を彼女が一緒に歩いてくれるのか、あるいは立ちふさがるのか、その時になればおのずとわかることだ。


 もしも、僕らが対立してしまったら。


 ミモリは僕を殺すのだろうか。

 僕はミモリを排除できるのだろうか。


 脳裏で消えかかっていた、お姉さんの優しい微笑みが浮かんでくる。邪念を振り払うように、僕は再び首を振った。冷たくなったブラックコーヒーを飲み干す。


 新しい一杯を用意するためキッチンに向かおうとすると、足元に何かが転がっていた。


「うげ」


 ポンチョに身を包んだ人物の正体は、顔を確認するまでもなかった。


 清流のように床に広がっている、深青の髪。豊満な胸。上から下まで黒一色の服装。僕が仮眠に入る前にはいなかったはずだが、いつの間に。


「床で寝ると身体を痛めますよ」


 肩を優しくゆすると、女性は瞼を擦りながら上半身を起こした。


「……ああ、眠っていたのか」

「何が『眠っていたのか』ですか。頭の下にクッション敷いておきながら。寝るならせめてソファを使ってくださいよ。ブランケットだって貸しますから」


 っていうか寝るなよ。ホント何しに来てるんだよ。


「君は昔から優しいな」


 ふと見せた柔らかい笑みに、不覚にもどきっとしてしまう。


「……別に、魔王様の愛人に風邪を引かせたとなったら、僕が罰せられるからですよ」

「あいつはその程度で罰を下したりはしない」

「ずいぶんと信頼してるんですね」

「ただの客観的な意見だよ」


 あの日以来、今まで以上にお姉さんとミモリを重ねてしまうようになった。あの人が生きているはずなんてないのに。胸の奥がむかむかする。


 単に寝起きで糖分が足りていないからか。久しぶりに砂糖入りのコーヒーでも飲んで、気分を変えよう。土曜日だというのに、まだまだ今週の仕事が片づく見通しが立っていない。


 最近、目標数字という名のノルマが一段と厳しくなったのだ。おかげで日夜堕落計画の作成に追われており、学校を休む日もあった。ただの繁忙期とは明らかに異なる慌ただしさ。


 もしかすると、近々大きな決戦でもあるのかもしれない。


 インスタントコーヒーの粉末をマグカップに移していると、インターホンが鳴った。


「課長くん、来客だぞ」


 誰だろう。ミモリはもう居るし、そもそもこの人はいつも勝手に入ってくるし、っていうか当然のように出ようともしないし。


 モニターを確認すると、映っていたのは珍しい人物だった。


「どうぞ」

「合言葉もなしに、いいのかい? カメラの外、ボクの横にはヒーローが待機しているかもしれないよ」

「だったら真っ先にあなたが捕まっているでしょうよ」

「ボクがあいつらに負けるはずがないだろう。全員バラバラに引きちぎってからスープの出汁にして、魔王様に極上のラーメンをお出しするよ」

「ずいぶんと身体に悪そうな一品ですね」

「確かにあのお方は最近、健康を気になさっておられる。だから麺は糖質オフのものにするし、塩分を控えめにする代わりに野菜をたっぷり入れて、塩気がなくても味わい深いスープにするさ」


 饒舌なのは結構だが、早く入ってくれ。ドアの前で相手にするのも面倒くさい。


 僕は施錠を解除し、強制的に会話を中断した。


「やあ、久しぶりだね。第二課長氏」


 扉の先にいたのは、見た目年齢は僕とそう変わらない銀髪の少年だった。だが僕には学校に友達と呼べる存在はいない。当然、その正体は怪人である。


 パーマのかかった銀髪、白のシャツに同色のズボン。日差しが入らない玄関でも、物理的に眩しく感じる。口調こそ穏やかだが、細い目の奥で何を考えているのかは未だに読み取ることができない。


「ご無沙汰しています。ノスタルジー第一課長」


 この男は、僕の古巣の先輩であり、かつて僕を堕落させる計画を立てた張本人だ。

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