第7話:赤い風

 はじめは人が消えた、と思った。


 次はプロペラが暴れているのだと錯覚する。


 品物を仕分けるように淡々と、ダンスフロアを舞うように華麗に、猛獣に立ち向かうように毅然と、小鳥と戯れるように軽やかに、レインは敵を薙ぎ払っていく。元・人間への憐れみやためらいは微塵も感じられない。斬りは深々と、突きは確実に心臓に狙いを定めている。蹴りを放ったりパイプ椅子を投げつけたりと、一度は距離を保ったかと思いきや次には相手の懐に飛び込んで再び心臓を一突き。時には骸を盾にしてアルケニーの斬撃を防ぐ。二つになった堕人を上に放り投げたかと思えば、次には地面と一体化したかのような前傾姿勢で急接近し、太い血管のような脚を切断する。


 誰も言葉を発することができなかった。群衆は、同じ空間で呼吸をするのが精いっぱいといった、息苦しい様子だ。ヒーローの戦いが、これほど血なまぐさいものだとは想像すらしたことがないのだろう。


 立っている者がみるみるうちに減っていく。一方的な虐殺だ。俯瞰している僕でさえ、レインをなかなか見つけることができない。捉えたと思ったら、それはすぐに血しぶきへと変わってしまう。『赤風』の由来を目の当たりにした。


 やがて最後の堕人が仰向けに倒れる。その頭に突き刺さった刀をレインは力任せに抜き取り、先端をアルケニーへと向けた。


「あとはお前だけ。お前を……殺す」


「倒す」でも「潰す」でもなく、「殺す」。誰よりも目的意識がはっきりとしている。


 この聞き比べだけで、勝敗は決定しているように思えた。


広範囲網ワールド・ワイド・ウェブ!」


 イベントスペースを覆うほどの大きな網が、レインの上から降りかかる。

 レインは死体の頭部を勢いよく頭上に放り投げた。サッカーゴールに吸い込まれるボールのごとく、頭は広範囲網に突き刺さり、そのまま二階の靴下専門店に飛んでいく。


 三度みたび足元を狙ってくる。アルケニーはそう予測したのか、視線を足元へずらす。だがそこには誰もいない。


 僕は目だけを左へ動かす。剣先の照準を相手の喉元に定めたレインがいる。足は地についていない。建物に張り巡らされた糸の上に乗っているのだ。同じ場所でぴょんぴょんと跳ね、やがて大きく両足を踏み込む。そしてゴムに弾かれたパチンコ玉のごとく、アルケニーに襲いかかった。


「どこだ、どこに行ったァ!」


 勝負あり、か。


 僕は腰を上げ、お尻の部分を手で払った。


「……なんて言うとでも思った?」


 ぎょろりとしたアルケニーの双眸が、急に角度を変え、向かってくるレインを捕縛した。


 なるほど、この時を狙っていたのか。


 宙にいる相手なら、攻撃を避けられることも見失うこともない。

 さすがは四堕羅の一角。勝敗は実戦経験の数で決まったか。


 ところがレインは動揺する素振りを見せず、刀を持っていない方の手を開いた。中から現れたのは、黒い歪な形をした器具だ。

 レインは刀を振りかぶることなく、それどころか目を閉じた。


 次の瞬間、フロアをまばゆい光が包む。僕はぎりぎり腕で視界を覆うことができたが、階下からは悲鳴が響いていた。閃光手りゅう弾から発せられる光を肉眼で、しかもあれほど大きな瞳で見てしまったら、失明もありうる。


 僕の頬に、液体が飛んできた。人差し指でなぞると、それは血だった。

 おそるおそる、戦場を確認する。


 振り下ろされた刀、滴り落ちる紅の液体。刀を挟み込む天狗の団扇のような二つの手。苦汁に満ちた表情のアルケニーと、開ききった瞳孔に驚きの色をにじませたレイン。


 真剣白刃取りの体勢で、二人の戦いは続いていた。


「これで終わりよ」


 そう相手に告げたのはアルケニーの方だ。刀を片手で握りしめ、空いた手をわきわきと動かす。肉食獣のような鋭い爪が、返り血で濡れた白装束の胸元を狙っていた。


「……しっかり持ってなさいよ?」


 レインは左手を離し、宙ぶらりんになる。二人の目線の高さが同じになる。突然の行動に、アルケニーが一瞬硬直する。ぎょろりとした双眸が、活発さを潜めた。


 レインが腕を伸ばす。手先は額でも頬でもなく、瞳に狙いを定めていた。


 ぶすり。


 彼女の手首が、アルケニーの顔に埋まっていた。


「う……ぎゃああああああああああああっっ!」


 頭を大きく揺さぶるアルケニー。しかしレインは両足を相手の頭の後ろに回し、張りついていた。ずぶずぶと、脳しょうを掻き出すように、手首をねじりながら侵入させていく。


「やめろおおおおっ!」


 仰向けに倒れた拍子にアルケニーは床に頭から激突し、そこからどろっとした液体が流れ出る。


 僕は慌ててエスカレーターを降り、二人のもとへ駆け寄った。

 誰もがこの凄惨な光景に、言葉を失っている。フロアに伝わるのは僕の足音と、肉をかきむしる音だけだ。


「おい、花村!」


 僕は、我を失ったかのように怪人の脳をほじくるか細い腕をとった。

 レインがゆっくりと振り返る。


「邪魔しないで」


 大きく開いた瞳はやはり据わっており、知人ながらに恐怖心が先に立ってしまう。


「もう決着はついただろ」

「ここで逃がしたら、次はもっと多くの人に迷惑をかける。死人も出るかもしれない。誰かの親が、誰かの子どもが、目の前で殺されるかもしれないのよ」

「もうこの怪人は、戦うことも逃げることもできない。……それに」


 びくんびくんと痙攣するアルケニーは、死にかけの昆虫さながらだった。


「子どもが怯えてる」


 入り口に張られた糸はまだ解除されておらず、強制的に戦闘の一部始終を見させられている子どももいた。目の前の光景が信じられないといった風で、怯えるでもなく魂を抜かれたように茫然としていた。


「……っ」


 レインの腕をとり、ゆっくりと抜いてやる。肘まで真っ赤に染まっており、怪我をしていないとわかっていても痛々しい。思わず僕は手のひらを撫でていた。


「私は……ただ……」


 瞳がみるみる潤んでいく。ヒーローは元の少女に戻り、さめざめと泣き始めた。



 ステージを中心にブルーシートが張られ、中の様子はうかがえない。怪人たちの死体を回収し、清掃作業に入るためだ。マスコミが押しかける頃には、一階の正面出入り口は一時封鎖となっていた。

 こういった光景は珍しくはないが、倒されたのが魔王軍の大幹部であること、倒したヒーローが十代の少女であること、現場の状況が、彼女が戦った後とは思えない凄惨さであることなどから、野次馬はなかなか減る気配がない。


 本来英雄として称えられるべきヒーローはおらず、その賞賛を代わりに浴びていたのはプリティッシュという名のか弱き女の子だった。「あくまでショーの出演者として、たまたま居合わせただけにも関わらず、格上の相手に勇敢に立ち向う勇気は、まさにヒーローと呼ぶにふさわしい」ということらしい。これが一般人なら国から表彰を受け、テレビに引っ張りだこになるだろう。いや、プリティッシュもほとんど一般人と変わりないか。こんな弱っちいヒーローじゃ。


 くだらない。


 僕は記者に見つかる前にエレベーターに乗り込んだ。

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