第6話:四堕羅
花村ちぐさは、早く行こうと言わんばかりに残ったサンドイッチをぺろりと平らげた。
妹は部活で夜まで帰らないらしい。夕食も外で済ませるとのことだ。
一つ下のフロアまでエレベーターで移動し、建物中央の吹き抜けに沿って円を描くように店を回っていく。僕はファッションに関してはさっぱりなので、花村ちぐさの表情を観察しながら「似合ってるよ」「もっと違う雰囲気のも見てみたいな」「新鮮な感じがする」など当たり障りない合いの手を入れていく。やはり元が良い分、大抵の服装はさまになっている。ウケ狙いとしか思えない奇抜なファッションも花村ちぐさが纏えばそれっぽく映るのだ。
この子は良くも悪くも、一般人に近い雰囲気を持っている。アイドルのような煌びやかさはないが、学校の中では間違いなく一、二を争うルックスを持っている。メイクは薄くケバさもないので、十代特有のあどけなさがあり、大人びた格好でも可愛らしさを残したまま着こなしてしまう。地味さはまったくない。丁寧にケアされた栗色のショートカットや整えられた眉、ひび割れのない艶やかな唇は、日頃の手入れを怠っていない証拠だ。
手に取って吟味している服は高校生の金銭感覚に基づいたもので、高いブランドには興味を示さない。僕らが今いるこの店も、爆安を売りに急速に全国展開した若者の味方だ。
こういうところが本物のアイドルとの違いだろうか。いや、彼女の魅力か。
一通り店を回り終えた頃には、花村ちぐさの両手には紙袋が三つぶら下がっていた。僕が褒めたシャツとスカート、イヤリングだ。荷物持ちを申し出たが、「軽いやつだから」と固辞された。
「僕なんかと一緒に買い物して楽しいのか?」
「うん、すっごく楽しい!」
日頃のストレス解消に貢献できたのなら、光栄だ。
一階に降り、トイレタイムとなった。
僕は先に出てきたので、エレベーター脇にあるベンチに腰を下ろし、周囲を見渡していた。
若い女の子たちの中に点在する、ミドルエイジの男たち。この建物に入った時と同じ違和感を再び抱く。鉄道模型やプラモデルの展示コーナーはなかったはずだし、歌手のミニライブがあるわけでもない。
よくよく観察すると、中年男性の比率は、入り口に近づくほど高くなることがわかった。そこにあるのは、子ども向けのイベントブース。
「ああ、なるほど」
ようやく僕は納得した。
『プリティッシュがやってくる! ~一日限りの特別ヒーローショー~』
開演を直前に、パイプ椅子の半分以上をメンズが埋め尽くしている。バズーカのようなカメラを構えた男の隣に座る母親が、怯えたような目をしている。
プリティッシュとは、最近人気上昇中の女ヒーローである。CMの出演本数でいえば、花村ちぐさに引けを取らないはずだ。メインの仕事はモデルらしく、ティーン向けの雑誌の表紙で彼女を見かけない月はない。こういうやつがいるから、まじめにヒーロー活動をしている者まで色眼鏡で見られるのだ。
『ここは愛と平和の街、ピースタウン――。プリティッシュは今日も楽しく妖精さんたちと過ごしています――』
ショーが始まった。ステージ上のデジタルサイネージにはお花畑が映し出され、二等身のもふもふした生き物が何匹も漂っている。
壇上に少女が現れた。小さな歓声が上がる。全身ピンクにフリルスカートの出で立ちは、ヒーローというよりコスプレイヤーだ。腰に差したステッキが、チープさをより強調している。プリティッシュは画面上の妖精に触れるような仕草をし、うっとりとした表情を浮かべる。年齢は確か十五歳だったはず。花村ちぐさがデビューしたのと同じ歳だ。もっとも、今や中学生ヒーローは珍しくもなくなったが。
『なんだかいつもより賑やかね! お友達がいーーっぱい!』
声高に、ステージの外に両手を広げるプリティッシュ。お子様からおじ様まで、交友関係が広いなあ。特におじ様の方はコンサートと勘違いしているのか、ペンライトを振っている者もいる。
『今日はお花を摘んだり、鬼ごっこをしたりしてたくさん遊ぼうね!』
『その鬼ごっこ、アタシも混ぜてくれるかねぇ……?』
客席の後ろから、「ドン」と、爆発のような音が響く。
吹き抜け部分の床が、粉々に砕けていた。そこに立っているのは、体長三メートルは超えるであろう、真っ赤な蜘蛛だった。
客席でどよめきが起きる。通行人も足を止め、突然現れた異形の存在に目を奪われていた。これもショーの演出なのか、誰もが判断に迷っているようだった。
正確に言えば、「そう考えたくない」と、決断を躊躇しているように見える。
幹のように太く張りつめた筋肉を備えた八本の脚は、明らかに人間のそれではない。そもそも着ぐるみを着た人間が、いきなり天井から落ちてくるはずがなく、フロアの床を叩き割って、その直後に平然と立っていられるはずもないのだ。
上半身こそ人の形をしているが、鉄線のように刺々とした腰まで伸びた白髪や、猛々しい三本の角は、ヒト科の特徴ではない。
巨大な蜘蛛型の異形が、天狗の団扇のように大きな手を水平に振る。
直後、プリティッシュの背後にあるデジタルサイネージが真っ二つに割れた。ステージ両脇のガラス扉にも亀裂が入り、がらがらと崩れ落ちる。
どよめきが、悲鳴に変わった。
蜘蛛の子を散らすように、フロアにいた客たちが外に向かって走り出す。ステージ最前列を陣取っていた中年男性の集団ですら、重荷となるカメラを置いて逃げ出した。無数の叫びと足音が、濁流となって押し寄せてくる。
負の渦はいつまで経っても耳から離れない。客たちはなぜか出入り口の前で停止していた。片手を不自然に挙げて硬直している者や、足と頭の向きが逆になったまま宙に浮いている者もいる。
なるほど、出入り口に粘着性の糸を張り巡らして、捕縛しているのか。蜘蛛らしい、堅実な作戦である。
ヒーローショーの最中に、本物の怪人が襲撃。
僕はミモリから渡された企画書を思い出す。
「ベタだけど、やっぱり迫力あるな」
いかにもヒーローものって感じだ。
ステージ近辺から、僕以外の客がいなくなる。
蜘蛛もこちらの存在に気づいたようで、のっそりと向きを変える。
「あら、ガキンチョじゃない」
「いい加減その呼び方止めてくれないかな、アルケニー」
魔王軍四天王「
「アタシからすれば、アンタはいつまでもベソかいてるガキのまんまだよ。中学に入る直前までおねしょしてたくせに」
「殺されかけた相手に監視されながら寝てたら、そりゃ恐怖で尿も膀胱から逃げ出すよ」
このアルケニーこそ、僕の目の前で父母をバラバラに分解し、肉の破片に変えてしまった張本人である。
僕が人事課に異動してから会うのは初めてで、実に数年ぶりの再会となる。
憎しみがなくなったかと問われれば、答えは否だ。僕が両親を失ったのも、半怪人となったのも、人並みの人生を放棄せざるをえなくなったのも、すべてこいつのせいだ。殺してやりたいという気持ちが消えることはないだろう。
しかし今は同僚であり、同胞であり、仲間だ。
「客の一人でもバラしてやろうかと思ったら、いたのが身内だなんてね。アンタ、今日の作戦は不参加じゃなかったのかい?」
そういえばあの企画書に書かれていた僕の役割は、怪人に捕まる人質の役だった。
「いや、今日はプライベートでたまたま」
「そういえばデートとか聞いたね、ガキンチョのくせに一丁前に」
ミモリのやつ、勝手にペラペラと……。
「そのガールフレンドはどこだい? バラしてやるよ」
「あ、そのことなんだけど……」
「そ……その人からはにゃれなしゃいっ!」
ステージ上から、舌足らずな声が届く。
声のした方を見やると、ステッキを杖代わりにしたプリティッシュがアルケニーを睨んでいた。おしっこを我慢しているかのように下半身が震えている。
「なんだい、アンタが先にバラバラになりたいのかい?」
「ひ……、い、あ、あなたなんか、魔法のステッキで倒しちゃいますっ!」
涙を浮かべながら、ステッキの先端をこちらに向けている。恐怖を押し殺し、なんとか立っているという風だ。
おそらく彼女は実戦経験がほとんどない。ヒーロー百科に載っているのはモデルとしての経歴ばかりで、怪人討伐に関する記載はなかった。最近はヒーローを騙ったアイドルが多すぎる。
「こういうヒーロー気取りの女は嫌いなのよ」
「同感だ」
アルケニーが身体をステージに向け、手を小さく揺らす。
次の瞬間、プリティッシュが握っていたステッキがぽきん、と二つになる。
「魔法の棒きれがなんだって?」
二本の太い腕と八本の脚、そして顔に血管を浮かべ、アルケニーがすごんだ。
ヒーローもどきのアイドルがその場にへたり込む。スカートの内側から液体が流出し、小さな池を作っていく。本当に我慢していたのか。わずかな戦意も吹き飛ばされてしまったようで、ひたすら泣きじゃくっている。
「つまらないねえ、殺す気も起きないよ。もっと骨のあるヒーローはいないかしら」
計画によれば、あとは適当にテナントを破壊して、応援のヒーローが来る前に退散することになっている。こういったショッピングモールのテナント契約では、怪人の襲撃を含む自然災害で被った被害に関しては、モール側は賠償責任を負わなくて良いらしい。営業を続けるほど赤字になってしまうこの状況で、予定より早く閉鎖する大義名分も得ることができ、怪人さまさまだ。
ふと、背後から禍々しい気配を感じた。
この憎悪にも似た悪寒に、僕は心当たりがあった。
「アルケニー、逃げ……!」
真っ赤な脚が、鮮血とともに宙を舞っていた。
「ぎゃあっ……!」
苦悶の表情を浮かべ、アルケニーはフロアの脇まで跳躍で避難する。
僕の横を疾風が走った。風は吹き抜けの部分に向かって吹いており、目で追うと奇抜な格好をした女がエスカレーターの前に立っていた。
その目は、据わっている。
「……怪我はない?」
全身が白一色で覆われている。ノースリーブにミニスカート、ヘソだしの衣装はテニスウェアの五倍はエロい。どうしてこう、女性ヒーローの衣装は男性以上に性を押しつけてくるのか。
右手に提げた刀の先からは、真っ赤な血が滴っている。
「花村……」
いや、この子は花村ちぐさではない。『
「ごめんね、遅くなっちゃった」
「大丈夫だ、僕も含めてまだ怪我人はいないと思う」
レインの頬の筋肉が少し吊り上る.安堵した、のだろうか。
だが目は据わったままで、瞳孔は開ききっている。
「少しは楽しませてくれそうねえ……」
アルケニーの鉄線のような白髪が逆立っている。切断された脚の出血は既に止まっており、もう痛がっている様子はない。
両掌を懸垂のように垂直に下ろす。すると、天井から無数の繭が落下してきた。バランスボールより一回りほど大きな球に亀裂が入り、一つから三~四人ほどの
堕人とは、堕落し損なった元・人間のことだ。半怪人の僕のように人間性を残しているわけではなく、知性は完全に失われている。いわばゾンビのような存在で、計画には全身を覆う耐久スーツをまとって参加する。脆弱な身体を守るためということになっているが、実際の理由は、怪人さえ忌む醜悪な外見を隠すためのものだ。
あっという間に、僕らは堕人に囲まれてしまった。その数はゆうに二十体を超える。
レインはすぐに斬りかかると思いきや、刀を一度鞘に納めた。
「多勢に無勢、だなんて言わないわ。けれど、彼を戦闘に巻き込みたくない。輪の外に逃がしてあげて」
「おやおや、アタシに正々堂々なんて求めるのかい?」
優位に立ったと思ったのか、アルケニーがわざとらしく口元をほころばせる。
「これはお願いじゃないわ。命令よ」
冷え切った、けれども怒りに燃えたぎっているレインの瞳に、僕は思わず息をのむ。
「……まあ、構わないよ。どうせ建物の外には逃げられっこないんだからね」
僕はアルケニーに「頑張れよ」とアイコンタクトをして、輪の外へ歩いていく。堕人の間を潜り抜け、緊急停止したエスカレーターに腰を下ろした。
顔を上げた瞬間、僕の目線の高さに人の頭があった。
慌ててサークルに目を向ける。レインの前で、首からおびただしい血を流出させて前のめりに倒れている肉塊があった。誰かが突撃をして、早速返り討ちに遭ってしまったらしい。これにはアルケニーも最初は茫然としていたが、すぐに狂気に満ちた表情を作る。
「命令を下すゥ、あの女を潰せェ!」
残りの堕人が一斉に、輪の中心にいる女の子に襲いかかる。
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