第5話:デート
「明日って暇?」
今日の昼休み終了間際のこと。空き教室からA組に戻るまでの間、花村ちぐさはこんな質問を投げかけてきた。
僕は考えるそぶりをして、顎に手を当てた。
やることがないわけではないが、絶対に明日やらなければならないかと問われれば答えはNOだ。ただ、今日できることをだらだらと先延ばしにするのは、社会人の立場からすると気持ち悪い。一方で、僕は青春真っ盛りの高校二年生でもあるのだ。
「用があるなら聞くよ」
しかし花村ちぐさは微妙に俯いたまま、続きを話そうとしない。僕たちが今歩いている本校舎への渡り廊下を通過してしまえば、A組はすぐ目の前だ。
「花村?」
「……こっ、これ」
おずおずと差し出してきたのは、映画の割引券だ。タイトルは見覚えのない青春恋愛映画。
「こないだ主演やった作品なんだけど、あまり興行収入が伸びないらしくて。じっ、事務所から周りの友達に配ってこいって言われたの。あ、明日、良かったら行かない?」
転校から三週間ほどが経ち、花村ちぐさはすっかり学校のアイドルだ。彼女がこの券を手渡しすれば断る者はいないだろうに、なぜわざわざ僕を誘うのだろう。
「た、多分、私の演技があまり上手じゃないからだと思うんだけど。ほら、一緒に行けばすぐにアドバイス聞けるし」
「でも、うまい下手とか具体的な指摘はできないよ? 映画好きってわけでもないし」
「へいきへいき。原作は少女漫画なんだけどっ。話自体は面白いし、男子が観ても楽しめると思うよ? ほら、この辺に映画館あったでしょ? あそこでこの週末までやってるの」
そういうことか。
グループに人数分の割引券を渡せば、その場で彼ら、彼女らは映画に行く予定を立てるだろう。しかし、僕には友達がいない。その場では社交辞令で行くと答えても、いざ当日になったらすっぽかす可能性がある。
その点、出演者である花村ちぐさ本人が同行すると宣言することで、独り身の僕を映画館へ連れ出すことができるのだ。さすがはヒーロー、大衆心理の掌握に長けている。
「わかった。花村とのデート、楽しみにしてるよ」
割引券を受け取り、ポケットにしまう。
ここでてっきり、「デートじゃないし!」とか「気持ち悪っ」とかリアクションがあると思っていたが、花村ちぐさは目的を果たすと、すたすた先を歩いていってしまった。
耳が赤くなっていたのは、渡り廊下に吹く風が冷たかったからだと思う。
そして土曜日。明け方に仕事の資料をメールで送信してからソファで仮眠をとり、事務所を出た。上映中に寝落ちしないように気をつけねば。
待ち合わせは駅前ということになっている。花村ちぐさは電車で隣駅から来るので、改札で待っていれば会えるだろう。とはいえ一応有名人だし、人混みでの逢瀬は避けた方が良いかもしれない。昨日のうちに連絡先を交換したのでアプリを起動すると、既に彼女からメッセージが届いていた。
内容は遅刻するとかではなく、「おはよっ!」とキャラクターが片手を挙げたスタンプが一つだけ。僕も「おはよう」とテキストで返信する。もうすぐ待ち合わせ時刻だから、次に来る電車に乗っていると推測できる。
改札の方を向いてスマホを眺めていると、背後から肩を叩かれた。
「おはよっ!」
先ほど見たスタンプと同じポーズをとった、花村ちぐさがいた。僕も手を挙げて応える。
「今日は眼鏡なんだ」
「一応有名人だからね」
「ツインテールなのも初めて見た」
「これも変装の一環です」
「メイクの雰囲気もちょっと違うかも」
「今日は学校でも仕事でもないから、目元をいつもと変えてみたんだ」
「あれ、髪切った?」
「昨日の夜、美容院で前髪だけ……」
「似合ってるよ」
「……あ、ありがと……」
「スポーティーな服も可愛いよね」
「絶対わざとでしょ!」
「何が?」という問いへの返事はなく、花村ちぐさは歩き出してしまった。怒っている風には見えないので、大人しくついていくことにする。
花村ちぐさは堂々としていた。眼鏡をしているものの不必要に顔を隠すことなく、群衆に紛れ、その中を闊歩する。映画館が近づくと周りはカップルや夫婦、友達同士ばかりなので、他人の顔をいちいち覗き込むようなことはしないから、誰も気づかないのだろう。
ところで僕たちは、一体どういう関係なのだろうか。友達と呼べるほど親しくもないが、こうして休日に一緒に外出することもある。親を亡くした者同士で慰め合っているという感じでもないし、ヒーローと怪人の腹の探り合いというわけでもない。ただのクラスメートで片づけるつもりもないが……。こうして他人との関係をいちいち考えてしまうあたり、僕もまだまだ青い高校生なんだなと自覚する。普段は人外とばかり接しているから、同級生とはどうも価値観がずれてしまいがちなのだ。
そうこう考えているうちに、映画館のある建物に到着した。一階から三階までがショッピングエリア、四階がフードコート、そして五階が映画館となっている。建物は上まで吹き抜けになっていて、各フロアにいくつもアドバルーンが吊るされていた。入場口を抜けてすぐ、エスカレーター前はイベントブースになっているらしく、子どもやその母親たちがパイプ椅子に腰かけている。
「イベントは十一時からと十五時半からか……」
腕時計を見やる。現在の時刻は午前十時半。目的の映画の上映は十一時過ぎだ。
「どうしたの?」
「いや、何でもない。エレベーターは混んでるから、エスカレーターで行こう」
「あ、うん」
エスカレーターから見下ろすと、子ども連れの家族がいくつも目に入った。女同士で遊びに来ているのも多かったが、ちらほらと四十代~五十代と思しき男が一人で歩いている。いずれも大きなリュックを背負っており、映画鑑賞に来たようには見えない。モール内のアパレルショップも女性向けの店舗ばかりだし、やや異質に思えた。アイドルの握手会でもやっているのだろうか。まさか、上映中の映画の主演女優がここに来ていることを知っているわけでもあるまいし。
僕は一段下に乗っている花村ちぐさをまじまじと見つめる。向こうもこっちの視線を察したようで、目が合った。
「…………」
だが、彼女はすぐに目を逸らしてしまった。どうにも昨日から様子がおかしい。嫌われているわけではなさそうだが、一挙一動に違和感がある。出会った当初はもっとふてぶてしい雰囲気だったのに。ましてや僕は一つ年下なのだから、遠慮することもあるまい。
ぎこちない反応はあったものの、映画鑑賞自体、特に問題は起きなかった。ポップコーンの行列が長かったのでルームに入るのはぎりぎりになってしまったが、空席が多かったのですぐに自分たちの席に座ることができた。
映画のストーリーはありがちなもので、女子高生の主人公に、タイプの違う二人の男がアプローチを仕掛けてくる王道のラブストーリーだった。作品中の花村ちぐさの髪はミディアムロングで、新鮮味があった。演技力に関しては確かに本格女優とは程遠いものだったが、恋愛に悩み葛藤する姿や、好意を寄せられている異性に対しての仕草や立ち振る舞いは演技とは思えぬナチュラルさで、途中からは知り合いだということを忘れてストーリーに没頭していた。
「面白かったよ」
「ホント?」
四階のフードコートでサンドイッチを食べながら、僕は月並みの感想を述べた。
花村ちぐさは嬉々と、どんなところが良かったかを矢継ぎ早に尋ねてきた。僕はボキャブラリーが貧困なので具体的なことはあまり言えなかったが、彼女は褒められるたびに、宝石を一つずつ与えられるかのように顔をほころばせた。よほど演技に自信がなかったのか、あるいは事務所からこっぴどく叱られたのか。
「これからどうする?」
解散というには少し早い。だが僕は異性とこうして休日に二人で出かけた経験がないので、相手が何を望んでいるのかがわからないのだ。
「それじゃあ、服を見たいから付き合ってくれる?」
「ああ、デート続行だね」
「……うん」
今度は耳だけじゃなく、顔まで赤い。
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