第4話:僕の正体

「ハーフとはまた、面白い冗談だ」


 ミモリは愛想笑いすら浮かべずにそう言った。

 マンションに帰ると、ソファでミモリが横になっていた。深青の髪が床に向かって零れ、まるで大自然の中にそびえる荘厳な滝のようだ。

 ここは僕の自宅兼事務所だから他人がいるのはおかしなことじゃないが、スマホで動画に夢中になっているその様子は、家事を放棄した専業主婦のようでもあった。


「嘘をついたつもりはありませんよ」


 ワイシャツのボタンを外しながら、本心で答える。

 普段は就寝前にシャワーを浴びるまで制服で過ごしているのだが、明日は土曜日である。さっさと学生が学生であるための拘束具を解き、週末モードに入らなければならない。特に学校が嫌というわけではないが、最近はずっとヒーローと一緒にいるから、さすがに疲れが溜まってきた。早くパジャマに着替えて、気持ちだけでも休めたい。


 襟元から、稲妻状の火傷の痕が覗く。指先で撫でると、ざらりとした爬虫類の皮膚のような肌触りだった。ボタンをすべて解放し、肌着とともに洗濯機に放り投げる。


 姿鏡に映っていたのは、胸元から腰のあたりまで、消し炭のごとく真っ黒な上半身だった。


 乳首やヘソの位置も腹筋の割れ具合も判別のつかない漆黒。墨汁をぶっかけられたような、ブラックホールに飲み込まれたかのような、一色で塗り固められた自分の身体をまじまじと眺める。


「見事な『半堕落』だな」


 花村ちぐさに言ったことは嘘じゃない。


 僕は人間と怪人のハーフだ。


 七年前、怪人に目の前で両親を殺められた時、僕は闇に呑まれかけた。身体じゅうの穴という穴から、悲しみ、怒り、憎しみ、悔しさといった負の感情が噴き出てきた。しかし、ある人のおかげで、すんでのところで人間としての尊厳を保つことができた。その結果、半分人間、半分怪人という異端児が誕生したのだ。


 ゆえに僕は人間であって人間でない。

 怪人ではなく、怪人でもある。


 この身体じゃプールの授業には参加できないし、体育の着替えはいつもトイレで行っている。夏場でもカーディガンだけは死守している。同級生の間では「タトゥーを入れているんじゃないか」「親から虐待されているのでは」「逆に筋肉バッキバキなんじゃないか」なんて憶測が飛び交っているらしいが、面と向かって尋ねられることは少ない。実は声色もちょっと低くなっているのだが、声変わりのおかげでごまかせた。


 半怪人の僕は、怪人らしく特殊能力を操ることができる。

 例えばワープゲート解放。ただ、力の制御が不安定なためゲートを抜けた時には五体満足ではいられない。

 例えば防御シールドの展開。見えないバリアを張り、相手の攻撃をガードできる。尋常ではない体力を消費するため、使った後三日間は寝込んでしまうが。

 空中浮遊だってできる。一センチほど。浮いたまま動けないけど。


 無論、これらの能力が役に立ったことは一度もない。


「せっかく怪人の力を得たというのに、不器用な生き方をしているな」

「心を読まないでください」


 もちろん、心を読むなというツッコミは比喩だ。


「君は洗脳も使えるんじゃなかったか?」


 ミモリはポテトチップスをぱりぱりと咀嚼し、スマホを観ながら言う。


「ええ、できますよ。十秒だけ」

「それでも暗殺には充分だと思うが」

「洗脳っていうのは、人間の一番深い部分を操るんです。他人の生死や三大欲求に働きかけるなんて、少なくとも僕には無理ですよ」


 つまり、「特定の人物を襲え」や「ビルの屋上から飛び降りろ」などの死に直結する行動を命令することはできない。「万引きを見逃せ」といった軽犯罪程度であれば、対象者の罪悪感によって結果は異なると思われる。相手が遊ぶ金欲しさに夜勤をしているコンビニ店員であれば通用するかもしれないし、マネージャーへの昇格間近の正社員であれば難しいかもしれない。


 どのみち、怪人活動には向かない能力だ。ゆえに僕は己の人ならざる力を過信せず、慢心せず、コツコツと日々の業務に勤しむのである。


 ふかふかのパジャマに着替え、机のノートパソコンを起動する。今日中に次のターゲットの堕落計画を資料にまとめ、提出しなければならないのだ。明日は用事のためにいつもより早起きする予定だから、この格好なら眠くなったらすぐ横になれる。

 ここが自宅の僕はともかく、なぜミモリまでネグリジェ姿なのかが気になるところだが、あえて突っ込まない。そういえば玄関に小さなトランクが置いてあったような。

 向かいのソファでくつろぐミモリを一瞥し、かぶりを振る。この人に気を取られてはならない。僕は自分の役割をこなすだけだ。


 時折思う。僕はこのままずっと悪の手先としてあくせく働き、生涯を終えるのだろうかと。この身体じゃ結婚なんて無理だろうし、子どもを設けるなんてもっとありえない。金銭面で苦労することはなさそうだが、この仕事は誰かの幸福につながるものでもない。


 ヒーローも、怪人も、誰も幸せにはしない。


 すべては経済のため、ひいては国のためだ。人助けも人殺しも、世の中の金を動かすための手段に過ぎない。これで誰が救われるというのか。


 救われる。

 巣食われる。


 スマホの中では花村ちぐさが爽やかな笑みで牛乳を飲み干し、商品名を連呼している。


 ヒーローも、怪人も。


 くだらない。


「そういえば、君に次の堕落計画への参加要請が来ていたぞ」

「僕にですか?」


 ミモリはいつの間にかスマホを企画書に持ち替えていた。テーブル越しに受け取り、ぱらぱらとめくる。


 場所は来月に閉店予定のショッピングモール。ヒーローショーの最中に、本物の怪人が襲撃。観客の数人に怪我を負わせ、周囲に人がいなくなったら派手に暴れ回るという名目で解体工事の手伝いか。人事一課の企画だろうが、ありがちだな。第一課長はよくこんな内容にOKを出したものだ。


「手伝いが必要なら、営業部に頼めばいいのに」

「最近は慢性的な人手不足、もとい怪人不足らしいからな」

「ちなみに実行日はいつです?」

「明日だ」


 なんでそういう大事なことを直前で言うかなあ。


「もしかして最近、毎日のようにウチに来ていたのって、これを伝えるためだったんじゃ」

「その通りだ。すっかり忘れていたがな」


 えへんと胸を張るミモリ。殴りたい。


 あくまで参加要請は「居てくれたら助かるな」くらいのものなので、断ったところで計画そのものに支障はない。だからこそ電話やメールじゃなく、ミモリに言伝を頼んだのだろう。その判断は大きな間違いだったと思い知るがいい。


「答えるまでもないと思いますが、お断りします。予定があるので」

「ああ、わかった」


 悪びれる様子もなく、二つ返事で了承するミモリ。すぐにごろんと横になり、再びスマホ動画を視聴する。魔王様は、こんなちゃらんぽらんのどこが良いのか。


「ちなみに明日の予定とはなんだ?」

「デートです」


 驚愕するミモリの顔はもう見られないだろうから、しっかり目に焼きつけておくことにした。

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