第3話:半分
僕の一日の行動は大体決まっている。
朝は水道水だけを飲んで、登校する。授業はまじめに受けているつもりだが、五時間目はだいたい寝落ちする。放課後までに言葉を発するのは、授業で当てられた時か体育でチーム戦になった時くらいだ。
学校を出たら、スーパーで惣菜を買ってから事務所兼自宅に戻る。だいたい夜の十時くらいまで仕事をしてから遅めの夕食をとり、風呂に入って、歯を磨いて、寝る。これが毎日続く。昼休みはくだんの空き教室で過ごすことがほとんどだ。席も弁当も、毎回同じ。
そのルーティーンに、花村ちぐさが組み込まれたらしい。
あの日以来、僕らは昼食をともにしている。
別に約束をしているわけじゃない。大抵僕が弁当箱の蓋を開けたくらいのタイミングで、はにかみながら教室に入ってくる。彼女はもろもろの活動で学校を休む日もあるので、週に二、三日といったところだが。
正義のヒーローと悪の手先が机を並べて、まるで恋人同士のように。
「……でさ、マネージャーが楽屋を出て二人きりになった時に後輩がボソッと呟いたのよ。『私は先輩と違ってアイドル路線じゃないんで』って。いつも出撃命令が出ると、『これからバラエティ番組のリハーサルがあるから無理ですぅ』『顔に傷がついちゃうとグラビア撮影でスタッフさんに迷惑かかっちゃう』とか言うくせに! アンタの方がよっぽどアイドルぶってるっつーの!」
もっとも、内容は九割がた愚痴である。
「もうグラビアやりたくない~。なんでベッドで水着なのよ~」
「二曲同時リリースとか、睡眠時間削っても練習足りないよ~。週末に生放送だし~」
「握手会で手の内側に粘液付けて握手する人がいるんだけど、ホント勘弁してほしい……」
「疲れた~。身体痛い~。眠い~。休み欲しい~。お腹空いた~」
僕は適当なタイミングで相槌を打って、トークの進行を妨げない程度に自分の意見を挟むだけだが、このスタイルは適切だったらしい。午後の授業の予鈴が鳴ると、テレビともグラビアとも違う笑顔を浮かべて去っていく。クラスは同じだが、二人一緒だとあらぬ噂を立てられてしまうので、僕も彼女も言葉には出さないが、別々に教室に戻るのが暗黙のルールとなっている。
他人の嘆きを聞くのは体力と根気が求められるが、代わりに花村ちぐさの個人情報が得られるというメリットもある。公式ファンブックやインターネットにも載っていない情報だ。
好きな食べ物はゼリーということになっているが、本当に好きなのは「煮こごり」らしい。
ヒーロー衣装は本人が監修している……わけではなく、すべて事務所専属のデザイナーが作っている。
半年に一度更新されるヒーローランキングは、国民の投票結果がウエイトを占めていることになっているが、実際は各事務所の、国への献金額によって大きく左右されるとか。
……どうでもいい!
その辺は立場上、大体知ってるし。
もちろん、普通の高校生らしい会話をすることもある。
ある日の会話。
「あなたって、体育の授業の前、いつもトイレで着替えてるでしょ。どうして?」
「裸を見られるのは恥ずかしいからね」
「嘘。他人の目なんて気にするタイプじゃないでしょ」
「まあ、半分は本当だよ」
「もしかして、身体に傷があるとか?」
ご明察。
僕は制服のホックを外し、ワイシャツのボタンを上二つ解放する。めくらなくても、花村ちぐさからは見えているはずだ。鎖骨の部分を走る、稲妻状の火傷の痕が。
「七年前、自宅の前で怪人に襲われたんだ。親は死んで、僕も死にかけた。けっこう生々しいから、見られるのは平気だけど、やっぱり忍びなくてね」
「あ……」
花村ちぐさの顔には、「失敗した」という文字が浮かんでいた。後悔や困惑が混ざった色。
「ごめんなさい。辛いこと思い出させて」
「大丈夫。今は親代わりでお世話になっている人たちがいるし」
人じゃないけど。
それより気になったのは。さっきの表情に、わずかに親近感のようなものが混ざっていたという点だ。
ここは攻めどころと判断し、珍しく僕から質問を投げかける。
「花村のご両親はどんな人?」
「うちは両親がすごく仲良しで、結婚記念日にはいつも二人でデートに出かけてたよ。お父さんが在宅ワーカーで、お母さんは専業主婦だったから、四六時中一緒にいるのにね。お父さんはちょっと天然で、メガネかけながら『俺のメガネ知らない?』って素で訊いてくる人なの。私とお母さん、あと妹でいつもツッコミを入れるんだけど、三人がかりでも処理しきれなくて。私は反抗期もなかったし、四人で仲良くて、温かい家族……だった」
「だった?」
「うちの両親も、殺されたんだ」
いつの間にか花村ちぐさは、弁当を食べる手を止めていた。
ここは僕も形式的に謝っておくべきだろうか。いや、言葉の無駄遣いだ。
「そっちも怪人に?」
「ううん、人間に」
そこから花村ちぐさは、訥々と話してくれた。
自分と妹が学校から帰ると、両親がリビングで胸から血を流して倒れていたこと。家は荒らされ、通帳や仕事用のパソコンが奪われていたこと。犯人は隣町に住むフリーターで、強盗目的で家に押し入ったところ二人と鉢合わせ、持っていたナイフで殺したらしいということ。現在は両親の加入していた生命保険とヒーローの収入で、妹を養っていること。家は引っ越し、セキュリティが強固なマンションに住んでいること。
「お葬式ではマスコミとか全国英雄振興協会の人とかに次々話しかけられて悲しむ暇もなかったよ。思えばあれが最初のテレビ出演だったかなぁ」
自嘲気味に笑うその表情は、癒えていない悲しみを無理やり隠しているようだった。
「これはどこにも喋ってないことなんだけど、私がスカウトされたのって、お葬式の直後だったんだ。弔問客が帰った後に、国の偉い人が来て、『ヒーローにならないか』って。ありえないでしょ、親を殺されて間もない子を平和の広告塔に利用するなんて」
「でも花村は、受け入れたんだろ?」
「結果的にはね。本心じゃなかったとしても、『あなたと妹さんのような苦しみを背負う人がいなくなるように』なんて頼まれたら、断れないでしょ」
「まぁ、対話で交渉してくれるだけマシかもね」
「え?」
「いや、こっちの話」
僕の場合は親が殺された直後にさらわれてしまったので、選択権なんてなかった。拒否したらその場で殺されるかもしれなかったし。
「別にヒーローじゃなくたっていいの。警察官でも、弁護士でも。それこそ悪を根絶するためだったら、悪魔に魂を売ったって構わない」
並々ならぬ決意が、熱量として伝わってくる。
会話が途切れ、しばらく目の前の食事に集中した。気まずくなったわけではないが、下手な慰めは不要であることは互いにわかっていたから、純粋に話題が尽きたのだ。
予鈴が鳴り、今日も花村ちぐさが先に片づけを始める。
「ねえ、あなたの秘密を教えてよ」
「は?」
急なハンドリングに、僕は車体から身体が飛び出しそうになった。
「私だけ自分の秘密を暴露するなんて、不公平でしょ」
「僕もちゃんと話したじゃないか」
「あれは不意打ちだから、ノーカウント」
「なんだその理屈は」
いたずらっぽく笑う花村ちぐさは、年相応の可愛い女子高生だった。
僕は顎に手を当てて思案し、候補を思い浮かべていく。正直に話したところで信じてもらえるとは思えないものばかりだし、他のクラスメートには言えてもこの子にだけは隠し通さなければならない。
五時間目が始まるギリギリまで思い悩み、ようやく一つだけ教えてあげることにした。
「僕、こう見えてハーフなんだよね」
本音ともジョークとも判断がつかないような花村ちぐさの表情に、僕は噴き出してしまった。
その後、初めて二人揃ってA組の教室に戻った。
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