最終話 島田 夕

 俺は、引退という事になる。

 初めて、妖怪ではなく人を斬った。

 島田 夕は、生きていた。

 人間だったのだ。

 分かっていたのに、斬ることになったのは、俺の心の弱さ、というだけではないだろう。

 それ以外の何かがあると思った方が良い。

 俺も、それこそ、これを観測し続けた誰かも。

 相手のいない行動など存在しない。

 この会社の一室でさえ、俺の知らない誰かの力が働き、一つの世界を作り出している。間違いがない。間違いがないが、なんともそれが悲しいことでもある。

 すべてを把握しきれているわけではなかったのだ。

 俺はこのまま、犯罪者ということになるのだろう。それ自体に問題がある訳ではないが、このままにしておくことはできない。警察に追われることになったのもそうだし、俺は、この現実から逃れる術を持ち合わせてはいない。

 あんまりだ。

 すべてを投げ払って退治してきた妖怪の中に、ただ人間が混じっていた、というだけの話だろう。

 人間を不幸にするのが妖怪で、いや、妖怪ではなく、不思議と呼んでいたか。

 自分のことながらそうやって記憶の整合性が取れなくなるのは、緊張の表れと言うこともできるのかもしれない。

 なんにせよ、である。

 人間を不幸にするのが不思議なのだそうだ。だとするならば、人間を不幸にする人間がいたら、それこそ不思議と定義していいのではないだろうか。

 昔は、昔は、とそんな言葉を呟く気はない。

 しかし、だ。

 昔であれば、より人間は人間らしく、不思議は不思議らしくそこに存在し続けていたのである。

 俺の知る限り、この状態で混在することはなかった。余りにも、余りにもケチがついたこの状態を維持するのは、生き物として如何なものか、と思ってしまう。

 俺の知っている常識は、俺の知っている世界は、俺の知っている人間は、俺の知っている不思議は、こんなものじゃなかった。

 こんなものじゃないのだから、何を求めればいいのか。

 何を斬ればいいのか。

 今までも。

 もう、斬ってしまっていたのか。

 何を、口走ったのだろう。気休めにもならない言葉の延長にある。

 あの男二人は所詮、不思議の延長だった。

 しかし、だ。

 島田 夕は人間だった。

 ただ、少し言い訳をさせてもらえるのなら、あの時の斬った感触は人間ではなく、不思議だったのだ。ということは、本当はあの時に島田 夕を斬り、その後、その他の不思議たちがあらかじめ殺しておいた島田 夕を配置したのか。いや、そもそも島田 夕というものが不思議として生まれている時点で、既に殺されている。

 双子か。

 まさか、そんな。

 それならそのようなデータが出るし、俺が殺人犯ということになる訳がない。

 何故、だ。

 何故なんだ。

 俺は、俺は何をしたんだ。

 六十年以上この道にいて、今更、何を間違えたんだ。

 不思議を三千体殺せば、死刑を免れられると、その言葉を信じて切り刻んだ不思議の数々。自分の寿命を延ばすのだと、そう思いながら、右腕を失くし、左足を失くし、義足に変えたのち、右目を抜かれてそれも義眼にした。

 他に何を持っていくのか、命か、命までもか。

 俺を奪うな。

 俺を。

 斬ったのに。

 こんなにも斬って来たのに。

 姉も。

 妹も。

 父も。

 母も。

 言われるがままに、斬って来たのに。

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ストラエヴァンス・シカ・キョウジロウ エリー.ファー @eri-far-

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