第3話 教師 不知火

 真っ暗な道路を、少女は自転車で走っていた。明かりは街灯と自転車のライトのみ。他に人影もない。

「ヤバ、早くしないと店が閉まっちゃうよ…!」

 自転車を全速力で漕ぎながら、安全確認をしつつ道路を渡って行く。見えてきたコンビニエンスストアの向かいに目当ての店が見える。まだ開店しているようだ。

「良かった、間に合った!」

 店に入ると、左側にはゲームコーナーがあり、まだ多くのお客さんがゲームで遊んでいた。

「あれ、閉店間近だと思ってたんだけどな…」

 もう夜の九時を過ぎている。本来なら閉店していてもおかしくはないのだが…

「そういえば、何を買いに来たんだっけ…?んー…思い出せないし、帰るか」

 少女は首を傾げながら外へ出た。外は相変わらず真っ暗なまま。先ほどと違い、人がチラホラと歩いているのが目に見えた。小学校の前を通ると、帰宅途中の生徒たちが歩いている。

「あ、そっか、もう夕方か」

 空は朱色に染まり、どこかでカラスが鳴いている。

「僕も帰らないと、母さんに怒られるな…」

 自転車で小学校の前まで行くと、いつの間にか弟の戒斗かいとが校門に立っていた。戒斗はリュックサックを背負って小石を蹴って遊んでいる。

「戒斗?何してんの?」

「あ、姉ちゃん。友達待ってんだ。先に帰ってていいよ」

「そう、遅くならないようにね」

「分かってるよ」

 少女はポンポンと頭を撫でてから帰路につく。いつもの帰り道。でもいつもと違う帰り道。何かが違う。そう感じた時、違和感に気づいた。道がふさがっているのだ。

「あ、そっか。ここは塞がっているから、この物見櫓ものみやぐらを登らないといけないんだっけ」

 目の前には木製の建物が建っている。鍵は壊れていて簡単に扉を開くことができた。高さは三メートルほどでさほど高くはない。

「よいしょっと…あ、鞄は先に下ろしておいてもいいよね」

 物見櫓の上から肩がけ鞄を地面に向けて落とした。その鞄はいつから持っていたか覚えていないが、少女は気にしない。

「降りれるかな……よっと…!」

 地面に降りると、隣には日本家屋のような家があった。中からお婆さんが優しそうな笑顔でこちらを見ていた。

「おやおや、元気なお嬢さんだね。危ないから、ここはあまり通らない方がいいよ」

「あ、はい。ありがとうございます」

 会釈をして鞄を拾うと、男性の声が聞こえた。

「おや、西原さんじゃないですか」

「し、不知火しらぬい先生…」

 爽やかな笑顔とは裏腹に、黒いオーラが見える。

「こんなところで何をしているんですか?生徒は真っ直ぐ帰宅するようにと言っているはずですが」

「い、いやぁ…その…」

「全く、家まで送りますよ」

「え?!いや、いいですよ!すぐ着きますし」

「ダメです。君に何かあったらどうするんですか?」

「うぐっ…」

 不知火は少女の手を掴むと、グイッと引いた。

「あ、あの、先生…?自分で歩きますよ?」

「君のことだ、どうせ私を撒いて逃げるつもりかもしれないからね」

 何故そこまで警戒してるのか、考える暇もなく腕を引かれて行く。気がつくと、空き家に来ていた。どう見ても自宅ではない。

「先生…?何故、空き家に…?」

「もちろん…君に、私の仲間になってもらうためですよ…!」

 振り返った不知火の顔は、ピンクのブツブツに覆われていた。まるでひまわりの種が凝縮して張り付いているようだ。

「い、いや…」

「ねぇ、西原 澪さん。貴女なら分かるでしょう?他人から嫌われる気持ち、軽蔑の視線。聞こえる陰口。分かるなら、仲間になってくれますよねぇ?!」

「違う!」

「…何が、違うんです?」

「僕は…貴方とは違う…!嫌われているからって、辛いからって、他人を巻き込みたいとは思わない…!」

 澪は手を振り払った。先生は蔑むような目で澪を見る。

「そう、ですか。貴方は私とは違うのですか」

「僕は、巻き込みたくないんです。ただ普通に仲良くしたい。でもそれが出来なかった。先生は違うんですか?」

「わ、私は…」

 よろよろと後退り、不知火は顔を両手で覆いながら泣き崩れた。その姿は、澪の心をかき乱していく。一歩間違えていれば、自分もこうなっていた。そう思う節があったから。

「先生、ゆっくりで良いんです。正しい道を見つけて歩いていきましょう。まだやり直せるはずですから」

 その言葉は、己に向けたものにも聞こえた。自分が話しているのに、何故か、誰かに諭されているような気持ちになったのだ。

「正しい道、か。あるのかな、そんなもの…」

 自問自答を繰り返しながら、空を見上げた。朱色の空が美しく映えている。また何処かでカラスの鳴く声が聞こえてくる。世界は変わらない。だけど自身の心境は変わってくる。とても大切なことを思い出せそうな気がするのだ。

「…なんだろ、何か大切なことがあったはずなのに…」

「…だったら、思い出すまでずっと一緒にいましょうよ」

「え…?」

 見下ろすと、泣き崩れていた先生の腕がこの目前まで迫っていた。反応するより早く顔を覆われた。その瞬間、一瞬だけ顔が見えた。先生の、三日月に笑った口元が。

「眠りなさい。永遠に」


 *


 遠くでサイレンの音が聞こえてくる。

 よく聞くサイレンの音。恐らくパトカーだろう。何台ものパトカーのサイレンが聞こえる。街の方で何かあったのだろうか。

「う、んん…騒がしいなぁ…何かあったの?」

 サユミが起き上がると、そこはどこかのビルの屋上だった。隣では黒い装束に身を包んだ男が立っている。彼は手袋を嵌めると、冷たい瞳でサユミを見下ろした。

「シュウヤのやつがしくじった。ずらかるぞ」

「マジ?!ちょ、嘘でしょ?!」

「そんなことで嘘ついてどうする」

 ため息混じりに返された。どうやら本当に見つかったらしい。

「寝てる場合じゃないじゃん!」

「だから起こそうとしたんだが、起きたなら良いだろ。行くぞ」

 彼はさっさと肩がけ鞄を背負い、ポールを伝ってビルを降りていった。慌ててサユミもそのあとを追う。

「ちょ、待ってよ!」


 --少女は今日も、夢を見る。夢か現実か、その答えを知る者はいない。

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現実感喪失症候群 Noa @Noa-0305

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