モフコメ
白川ちさと
モフれない
夜八時すぎ。ビニール袋を片手にコンビニの自動ドアをくぐる。同時にコンビニに入る女生とすれ違った。
「へっくしょーい!」
鼻をすすりながら、肩越しにちらりと女性を振り返る。
(あの人、猫カフェ帰りだな)
超能力のごとき感を働かせる彼は森永リュウ。大学生。すれ違っただけでその人が動物と触れ合ったか分かる超能力、もとい、動物アレルギーだ。
幼いころから重度の動物アレルギー。動物好きなのに犬猫はもちろん、ウサギに羊まで、近づいただけでくしゃみが止まらなかった。ペットショップでのガラス越しの対面でも一週間は鼻水が出っぱなしだ。
リュウは一人暮らしの部屋に帰ってきた。六畳一間の畳の部屋。ローテブルの上にビニール袋を置いて、スマホを取り出した。夕飯を買ってきたはずなのに、温められた弁当はだんだん冷めていく。熱中して見つめているのは猫動画だ。液晶画面の向こう側では黒猫が猫じゃらしを追いかけていた。
(あー、俺も猫カフェとか行ってみてぇ)
リュウは動物アレルギーなのに動物が好きだ。本棚には猫や動物たちの写真集が詰まっている。一度でいいから実物の動物を思う存分モフりたい。だが、そんなことをしたら、倒れて周りに迷惑をかけることは間違いない。
この日も、そんな欲求不満を動画でなんとか消化して床に就いた。
その夜、なんとも不思議な夢を見る。
『リュウ、リュウ』
(だれだ?)
夢の中でもリュウは布団で眠っていた。ただ、枕元には誰かがいる。
『夜分遅くに申し訳ありません』
枕元には女性が一人立っていた。すらりとした細身の体形で、肩の出ている黒いドレスを着ている。赤い瞳が特徴的だ。そして耳は長く、まるでウサギのような耳をしていた。
『私はある世界の女神。お願いです。私たちの世界を助けてください』
うさ耳の女神は手を合わせて懇願する。
『説明している暇はありません。あなたを異世界に飛ばします』
ふわっとジェットコースターを落ちる直前のような感覚がする。
「わっ!」
リュウは驚いて起き上がると、そこは自分の部屋ではなかった。
いつの間にか木々が生い茂る森にいた。木はそこらに生えている街路樹とは違い、何千年も生きているような大樹だった。リュウがいる所は広場のようになっている。苔が覆い、中央には大きな切り株。
その切り株の上にリュウはいた。自分の頬をつねってみる。痛い。
「夢じゃない? まさか布団ごと移動させるなんて」
リュウの半身は未だに布団の中だ。
「勇者様だ!」
「勇者様が現れたぞ!」
高い声がしたと思ったら、ざわざわと騒ぎが広がっていく。リュウは首を捻り、声がした方を向いた。その途端、目を見開き、口を押えた。そこにいたのは、
「ようこそ、勇者様。はじまりの村へ!」
自分をなぜか歓迎する。モフモフたちだった。
モフモフの種類は実に様々だ。犬や猫、リス、ウサギ、鹿、クマまでもいる。毛が太陽の光で輝いているように見えた。あまり大きくない。皆、二本足で立っている。ほとんどが腰ぐらいまでの高さで、クマでさえ胸のあたりまでの大きさしかないだろう。
リュウは感激していた。たくさんの動物たちが笑顔で自分を迎えている。某映画のごときファンタジーな光景。
ただ、同時にリュウは危機も感じてもいた。自分は大変な動物アレルギーだ。接触はもちろん、この距離でもくしゃみが止まらなくなるはずだ。
その時、頭の中に声が響く。
『安心しなさい』
枕元に立ったうさ耳の女神の声だ。
『あなたのその弱点は異世界に運ぶときに消してさしあげました。接触しても平気です。動物を愛するあなたはこの世界の勇者に選ばれました。ですから……』
なら、とリュウは口元の手を外す。
(モフモフし放題じゃないか!)
『あ、あれ。ちょっと待ってください』
リュウは布団を剥いだ。寝た時の姿なのでグレーのスエット上下だ。リュウは興奮するのを押さえながら、動物たちの元へと歩いていく。
「待たれよ!」
その時、威厳のある声が森に響いた。
「長老さま!」
「長老さま、勇者様が現れましたよ!」
モフモフたちが空に向かって言う。リュウも目線を上げた。
「そのようだな」
大樹の枝に一羽のフクロウが止まっている。白いひげが生えているように見えた。
(鳥のモフモフ……、モフりたい!)
リュウに例外はない。鳥も好きだ。しかし、長老フクロウはリュウに疑いの目を向けていた。
「その者、本当に勇者か?」
「え……」
『勇者だと言ってください』
女神が心の中に指示してくる。
「俺は勇者だ」
なんとも恥ずかしいセリフだが、モフモフたちからは歓声が起こる。
「わーっ!」
「ほら、勇者様もこう言っていますよ」
「神聖な切り株に現れるのは勇者様って決まっています!」
リュウはモフモフたちにちやほやされてまんざらでもなくなる。
「皆のもの、忘れたのか? つい先日のことを」
長老フクロウが枝から降りてきて語りだした。
「以前も、この切り株に異界の者が現れた。我々は魔王を倒す勇者として歓迎するつもりであった。じゃが! その者はすぐに魔王側に裏切り、我々を捕えようとしてきたのじゃ。四つん這いでにじり寄ってくる様は異様であったろう」
その場が静まり返る。
『あ、あのー、それについてなんですが』
女神が何か言おうとする。が、その前に長老フクロウが大きく羽を広げた。
「さあ! 自分がその者と同じでないと証明するがいい!」
リュウは困った証明っていったって、つい数分前に説明もなくここに飛ばされてきたばかりだ。ただ言えることは一つ。
「相手が魔王だろうが何だろうが、君たちに危害は加えさせない! それだけは確かだ!」
拳を作り宣言した。動物好きのリュウにとって、彼らの敵は自分の敵だ。
「うむ。今は様子見とするか」
「さぁ、勇者様、村に案内します」
一匹の目がクリクリしたわんこに手を引かれる。くしゃみも出ない。幸せをかみしめるリュウ。さあ、これからめくるめくモフモフタイムが、と思っている時だった。
「まぁ、モフモフという謎の呪詛を唱えることもないようだしの」
(モフモフが呪詛?)
長老フクロウの言葉を聞き、とりあえずモフることはお預けにしておいた。
モフモフたちの村に案内されたリュウ。森の中の村は小さな木の家が並び、村のモフモフたちは平和に暮らしているようにみえた。
「さぁ、勇者様たくさん召し上がり下さい」
リュウのためにささやかな宴が開かれる。低い木のテーブルに切り株の椅子。木のさらに木のスプーン。出てきた料理は野菜や果物、木の実などだ。それらの料理をつまみながら、働くモフモフたちを眺める。至福の時だ。
ただ、モフりたい。モフりたくてしょうがない。今すぐ抱き着いてわしゃわしゃしたい。その衝動を押さえながら、椅子に座っている。
「ねぇねぇ、勇者様」
「これ、坊や」
子供の猫がツンツンとリュウをつついてきた。太ももに肉球が当たる感触があり、悶えながら、リュウは何だいと答える。
「勇者様は魔法が使えるの?」
『使えますよ』
女神から直接脳に返答がある。使えるのかと思いつつ、リュウは頷いた。
「じゃあ、悪い魔王の手先なんて一発だね!」
『そのことなんですが』
女神がまた何か言おうとしたタイミングだった。
「た! 大変だー! また魔王の手先が現れた!」
コック帽をかぶったクマが転がる勢いで駆け込んできたのだ。ざわざわとざわつくモフモフたち。
「昨日の今日だろう!」
「また誰かさらわれるんじゃないか」
「子供たちを家の中へ!」
平和だった村は一気に騒然となった。
「よーし、今日こそコテンパンにしてやる」
そう言う大人モフモフたちが持つのは木の棒だ。魔王の手先相手にそれでは、と思っていると自分にも木の棒が渡された。
「さぁ、勇者様もご一緒に」
「装備これ⁉」
勇者リュウの装備はスエット上下に木の棒だ。そう思っている間にぐいぐいと背中を押される。
(仕方がない。女神の魔法とやらに期待するか)
肉球に押されるがまま、リュウは村の入り口に立たされた。モフモフたちの先頭だ。
目線の先は森の中だっていうのに砂ぼこりが立っている。砂ぼこりの中に人影が見えた。
「我こそは魔王さまの手先!」
砂ぼこりから出てきた魔王の手先は紺色のセーラー服を着た美少女だった。
「シュリさまである! さぁ、今日こそモフモフを差し出せ!」
名乗った。しかも、堂々とモフモフ言っている。リュウは唖然とこちらを指さすセーラー服美少女を見つめていた。サラサラストレートの黒髪で色白。ちょっと釣り目の女子高生にしか見えない魔王の手先。
「え、あれ?? なんで、ここに人間が?」
腰に手を当てて仁王立ちしていた魔王の手先シュリ。リュウのことを見て顔を真っ赤にする。どうやらここに人間がいるとは思わなかったようだ。
「てやー、仲間は渡さないぞ!」
木の棒を構えた猫がシュリに向かっていく。しかし、あっさり避けられた。
「モフモフ!」
しかもシュリの腕で捕えられてしまった。
「見よ! あれがモフモフじゃ!」
背後の枝に止まっている長老フクロウが言う。シュリは至福の表情を浮かべていた。
猫の胴を掴み、頬を擦りつけている。モフモフされている猫はニギャーと口と目を開いて嫌がっていた。
それでもリュウは思う。
(なんて、うらやましい! 俺もモフモフしたい!)
そう思っているのも束の間だった。シュリは地面に手をかざす。すると、地面から土でできた檻が盛り上がってきた。その中に捕まえていた猫を入れた。
「お、おい! そいつをどうする気だ!?」
「どうって家に帰って一緒に暮らすのよ。大丈夫よ。危害は加えないから」
「きっと、奴隷同然に働かされるんだ」
「解放しろー」
「そうだ、そうだ。魔女め」
背後にいるモフモフたちが口々に言う。下を向いて鍵をかけていたシュリが立ち上がって髪をかき上げた。
「ふん。何とでも言いなさい。そのうちこの村を私の村にしてやるわ」
「そうはさせない!」
リュウは木の棒を構えた。魔王の手先、シュリと対峙した。
『盛り上がっているところすみません』
((なに!?))
女神の声がしたと思ったらシュリの声も脳に響いた。どういうことかと思いつつ、そのまま体勢は変えない。
『二人の心をリンクさせてもらいました』
(勝手なことを)
『戦わずに説得してください、リュウ』
(ど、どういうことだ)
(私はもう魔王の手先になったの)
『魔王に会ったこともないのに?』
(くっ。とにかく、もう手遅れなのよ!)
(何があったか教えてくれるか)
モフモフたちは固唾を飲んで見守っている。
『シュリも勇者なのです。リュウの前の。私はリュウの前に動物好きのシュリを選びました。そ
して、リュウと同じように切り株の上に召喚したのです。ですが、その後動物たちにモフモフと言って飛び掛かり、動物たちに追い出されてしまったのです』
リュウにとって聞くに堪えない話だった。あの優しいモフモフたちに嫌われて追い出されるなんて。
「やめて!」
シュリが手をかざすと土が盛り上がる。そのまま人の二倍はある人形、ゴーレムを作り出した。
『リュウさんも出来ます。手を土にかざして』
女神の声に従って手をかざすと、同じようにゴーレムができた。ガッとシュリのゴーレムと両手で組み合う。
「がんばれ、勇者様!」
俺の背中に声援が飛ぶ。
(いいわね。私も応援されてみたかった。私はいつもモフモフ、動物たちに嫌われるのよ)
シュリが身の上話を始める。
(私は子供のころから、動物が大好きだった。だけど、動物は私の事を好きじゃなかった。猫に手を伸ばせばシャーと言われ、犬には通りかかっただけど必ず吠えられ、牛にはつばを吐かれる始末。呪われていたのよ)
(自分の動物アレルギーよりつらいかも)
(こっちの世界に来たら嫌われなくなると言うから来たのに騙されたのよ)
『それはあなたがモフモフと叫んでいきなり抱き着いたからでしょう』
「だって我慢できなかったんだもの!」
ブンとシュリのゴーレムがリュウのゴーレムを投げた。
モフモフを愛してやまないのに、モフモフしたらモフモフに嫌われてしまう。ここはそういう世界なのだとリュウは理解した。
モフモフだらけの世界はモフモフ好きにはつらい。
(俺もお前といっしょだ、シュリ)
ゴーレムを立ち上がらせるリュウ。
(一緒?)
(俺もモフモフしたくてしょうがない。けどフクロウのおかげで何とか踏みとどまったんだ。いや、お前が俺より先に召喚されていたから魔王の手先と名乗らなくて済んだ)
(よかったわね)
(お前もこちら側に来ないか)
(え?)
リュウのゴーレムはシュリのゴーレムにタックルした。
(とりあえず、今日はやられた振りをするんだ。そして頃合いを見て、俺の仲間になるんだ。そうすれば思う存分モフモフは出来ないかもしれないが、モフモフたちと仲良くすることが出来る)
(……でも、私は魔王の手先で)
(かつての敵が仲間になるなんて漫画では常套手段さ)
(分かった。やる!)
シュリから快い返事が聞けたところで、倒されたシュリのゴーレムが土くれになる。
「ふん! 今日のところはここで勘弁しておいてあげるわ!」
捨て台詞を言って去っていった。
「村は守ったぞ!」
木の棒を天に掲げると、モフモフたちの黄色い歓声が上がった。
その後、シュリは何度か村を攻めてきて、勝ったり負けたりの攻防を繰り返す。もちろん演技だ。戦いを繰り返すたびにリュウの勇者としての株は上がっていった。
ただ、シュリを仲間にするという作戦は中々進行しなかった。なぜなら、
「モフモフーッ!」
モフモフを見ると禁断症状が出るらしい。シュリはモフモフを見るたびに抱き着いた。これが治らないと仲間にいれるのは難しい。
「わーっ! 嫌がっているだろうが」(けど、うらやましい)
リュウとシュリははじまりの村で今日もモフモフ合戦を繰り返す。
うさ耳の女神は言う。
『あのー、そろそろ魔王を倒しに行きませんか?』
完
モフコメ 白川ちさと @thisa-s
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