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 私は大いに悩んでいる。

 ファレル・コンプトンら四人の作家が書いた出鱈目なニッキーの評伝に対する憤怒から始めたこの執筆だが、ふと勢いだけは良かった私の筆がこの章のはじめで止まることとなる。

 ボロワーズ兄弟に雇われた日給2ドルの男をニッキーが殺害した一件以降、なんとこの私も嘘出まかせを散々書き散らかした四人の作家と同じ状態になることに気づいたのだ。

(薄々ニッキーのことを思い出しながら気づいてはいたが)

 私の手は自然と安ウィスキーに伸びる。

 二晩ほど酒に逃げた後に、夫を撃ち殺し実家に里帰り中?逃亡中?の娘ザンドゥリアことザナに


「前より悪くなってんじゃん」


 と罵られたあと、私は心を決めた。


『同じ道でも精一杯やって四人を越えてやろうじゃないか!』


 なにが精一杯かは私に分からなかったが、翌日は二日酔いで倒れているとして、

(深酒は二日分人を殺す)翌々日から私は、牝馬タラに鞍を久しぶりに乗せ中西部用簡易野宿用品とともに妻にも娘にも一言も告げずにでかけた。

 そう、ニッキー・オハラハンの足跡そくせきを追うために。

 私は、馬で駆けに駆けた。郵便駅伝や駅馬車でいうところの<早く>という意味ではない。距離でけたという意味だ。

 私やニッキー、リッチー、死んでしまったジャノスを育んだニュー・スウォンジーはカンザス州の西に存在するそこから、東へ、北へ、南へ、もちろん更にフロンティアに近づく西へ。

 とは、言っても、西海岸でのゴールドラッシュは私が生まれる前に等に終わっていたが。

 カンザスのみならず、ミズーリ州からネブラスカ州、オクラホマ州、コロラド州、そしてカウボーイの産地にして聖地テキサス州、とそれこそ移動遊園地のメリー・ゴーラウンドのようにくるくるくるくる壮大な中西部を移動し尋ね歩いた。

 もちろん、私は上記した四人のようなフルタイムの作家ではない。

 ニュー・スウォンジーには妻が持参金代わりに持ってきた飛び地の肥沃ではなく広大なだけの正確には荒れ地と呼ぶべき牧場と農地が存在する。

 ニュー・スウォンジーに戻っては働き、暇を見つけては、タンブルウィードより派手に転がった。いや転がり続けたのだ。何事も続けることに意味がある。遙かなる西部というべきか極東というべきかそこいらあたりの思想に善行として存在するらしいことを聞いたことがある。

 ただし中西部人の感覚だと結果が伴ったときだけ有益で、結果が伴わない場合は無駄と呼ぶ。

 まさにローリング・ライダーである。そんな言葉は西部にはない。暇な道中私が作った。

 ぜひウェブスターの辞書に掲載して欲しい。綴りは簡単だとして、意味だが、<過酷>とだけ一言。名詞なら単複同形で面倒事は嫌いな方だし、こんなことは誰でも一度で充分だ。動詞としても中西部人ならぜひとも使用して欲しい。doを使いSVOのOの目的語にせずに直接ing形を推奨したい。


 ローリングライダーをしても上記に反してすぐに得るものがある。それは多くのウェスタン小説に登場する”嘘”そのものである。

 これが酷い。まさに酷い。

 ウェスタン小説ならびにそれに関する書物がいかに中西部を訪れたことがなく一切知らないアパラチア山脈の向こうの東部のインテリが作り上げた創作であるかすぐに理解した。

 まず、馬に乗って毎日長距離移動することがほぼ不可能なことを内ももの皮膚が痛みを持って教えてくれる。

 床擦れならぬ、股擦れである。中西部には主に経済的理由と中西部特有の非人道的価値観の問題で床ずれに関する長患いは存在しない。

 しかし、股擦れは脅威である。

 私が馬に乗り慣れていないのもあっただろうが、誰だって最初は最初のはずである。

 ウィチタを越えたあたりから、牝馬タラのせいでなく私の内ももの皮膚のせいで私は下馬しタラのくつわを引いた。

 歩いたほうがましなのである。これには心底参った。

 放浪のガンマンとか流浪のカウボーイとかに出会ったら是非便所でその内ももを見ることをオススメしたい。それでその男が本当のこと言っているか嘘つきかわかるからである。

 しかし、股擦れで人は死にはしない。

 もう一つの問題は命に直結していた。

 寝袋である。

 南米のヤギかアルパカの毛か中東のラクダの毛で作った毛布である。

 もちろんクマやオオカミ除けに焚き火は点けたまま眠るのだが、寒くて寝られない夜が幾晩あったことか。

 私が季節も考えずでかけていたこともあるのだろうが、中西部の内陸性気候で秋から冬を経て春はほぼ野営は無理だ。

 寒いからまるまると寒さはそのまま膝の関節を固める。凍りつくわけではないのだが、関節がカチンコチンに固まるのだ。信じられないだろうが事実だから信じてもらうしかない。

 固まるとなぜわかるか?その膝の関節の激痛で起きるのだ。最初はオオカミかコヨーテ、銀色ギツネに噛まれたのかと思っていたが、どこにも獣の気配はない。

 そして膝を伸ばすのもう一度同じ激痛を味わう。これで痛みの原因と正体が判明する。

 酷いことに人には足は二本ある。

 もう書くまでもないだろう。四度の激痛を味わうのだ。凍死という言葉恐ろしく遠い場所にあるらしい。

 泊まるならいくらノミやシラミにたかられようがどこかの街にするべきだ。


 本当はもっと人的に大変なことがあったわけだが、これだけ書けばいかに、私が困難に打ち勝ち調査した上で執筆にあたっているか理解して頂けるだろう。


 人的に大変なことを一例だけ紹介したい。これも、命に関わる出来事なので。

 私の妻、ベッシーである。

 ある日、私がニッキーの足跡を辿る長旅から帰宅すると、ベッシーが私がチクチク一語一語書き溜めた原稿を持って暖炉脇に立っていた。

 うちにはタイプライターなどという文明の利器はない。鉛筆で一語一語書いたものだ。

 私の疲れはいっぺんで吹き飛びクマに出会うより大きな恐怖を私は感じた。

 

「あんたが、なにをこそこそしてるか私が知らないと思ってるのかい?」


 ベッシーが言った。

 私は、右手をガンベルトにゆっくり持っていった。そこには中西部ならどこにでもみっちり多い繁るように群生しているコルト・ピースメイカーがある。

 

「ベッシー、どうやらおまえさんは誤解しとるようだな」

「私が字を読めないと思っているようだね」


 一度も詳しく二人で語り合ったことがないが、推測するにベッシーは文盲だ。賞味期限ギリギリの瓶詰めのジャムやピクルスを市場で買ってくることが度々あった。

 それを指摘したところで暴力を補った報復が待ち受けていることは確かだ。

 中西部では荒くれ者だけが暴力に対して寛容なのではない。女性も子供も老人も寛容だ。弱者の彼らこそ生存のため暴力をより実務的で実益のある効果的な暴力を必要としているのだ。

 それに中西部で暮らす限り文字はほぼ必要ない。価値があるものと言えばただ働くことのみだ。


「面倒だから読んでないけど、ここに女のことが書いてないだろうね」


 私は返答に窮した。書いてないことはないが、8割方男性のことが書かれている。


「ほぼ、書いとらんな」


 これは正確な答えである。ベッシーの表情は連れ添って四十年ちかくなるがよくわからない。


「ザナに確かめさせることも出来るんだよ」

「だろうな」


 間があった。

 ベッシーが原稿の束をゆっくり降ろしだした。暖炉はすぐそこだ。


「こいつを私がしちまったらどうなるんだろうね」


 私の顔から血の気が一気に引いた。


「それはせんほうがいいんじゃないか?」


 またもや長い間。


「あたしは勘がいいほうだからね、こいつに燃すほどの価値はないね」


 ベッシーはそう言うと、原稿の束をぽーんとテーブルに投げて寝室に引き上げていった。

 私は、もう少しで妻を撃ち殺すところだった。

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ニッキー・オハラハンの生涯 美作為朝 @qww

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