小さな勲章

芝樹 享

小さな勲章

「いくぞぉ!」

 威勢のいい掛け声がひびく。地面に置かれた白黒模様のサッカーボールを男は、蹴った。ボールは放物線に弧を描き、数十メートル先にいた男の近くへと落ちる。

 彼らは林に囲まれたグラウンドにいた。普段は少年たちが草野球をしている場所だった。

 慣れ親しんだグラウンドで計算高くボールをコントロールした青年は、衣岬きぬさきカケルという。動きやすいラフな服装であった。彼は少々名が売れてきた小説家である。一段落つき、気分転換も兼ねて高校時代の友人とともにやってきた。


 空には雲が出ているものの、穏やかな陽気である。

「行くぞぉ!」

 友人の男が、右手を上げる。

「おぉ!」

 センタリングでもあげるつもりなのか、とカケルは呟いた。

 高校時代、友人はMF(ミッドフィルダー)で何度となくセンタリングからゴールに導いた。

 友人がボールを蹴った。ボールが弧を描くどころか、カケルの頭上を飛び越え、グラウンドの奥に広がる林の中へと入ってしまった。

「サトル、腕、落ちたんじゃないのか?」

「わりぃ、わりぃ」

 大声で友人の棚橋たなはしサトルが、申し訳なさそうな顔で、お辞儀を繰り返している。カケルと違いサトルは、小学校の教諭に就いたからだ。温和な性格で子供からも好かれているらしい。社会人相手にボールを蹴ることもなくなったのだろう。

 カケルは林のほうへと駆け出した。

「僕も行こうか?」

 サトルの問いかけにカケルは振り返ることなく、大声だけを張り上げる。

「いいや、いい。そこで待ってろ! すぐ戻る」



 林の奥へと踏み込んで数分。あたりを見回しカケルはボールをさがした。草木に隠れて見えにくい部分もあるだろうが、白黒模様なら目立つのだから時間はかからないはず。彼はそう考えていた。

 林の奥のほうからヘリウムガスを吸ったような甲高い声が、複数聴こえてきた。カケルは何だろうか、と奥へと向かった。

 甲高い声が少しずつ大きくなってくる。だが、依然として内容は聞き取れない。キャンキャンとイヌの鳴き声のようにも聴こえた。

 足音に気づかれないようにそっと声のするほうへと歩んだ。


 草むらの影から声の主を覗く。驚いたことに、衣服らしきものを身につけたプレーリードッグの集団だった。十匹近くいるだろうか。

 プレーリードッグの数匹が、一際大きいプレーリードッグに言い寄っている。

「父さん、早いところ助けないと」

「そうよ、このまま生き別れなんてあんまりだわ!」

「あのうろの出口を塞がれてしまったら」

 カケルの耳に信じられない声が飛んでくる。プレーリードッグの声のようだ。よく聞くと困りと焦りの見えるプレーリードッグたちの様子が窺えた。

 一際大きいプレーリードッグが、仁王立ちのまま腕を組み考え込んでいる。どうやら、考え込む彼が、『父さん』と呼ばれていたあるじのようだ。

「そうはいってもなぁ。あんな大きいものが木の洞に挟まるとは思ってもみなかった。まったく、ニンゲンにも呆れてくる」

―――大きなもの? ニンゲンにも?

 カケルは、もしかすると、木の洞に挟まったものがではないか、と推測した。

 彼らにとって見ればサッカーボールが飛んでくるなど思っても見ないことである。ボールの大きさもあり、なかなか集団で引っ張ろうとしても取り出すことはできないはず。

 プレーリードッグにはもともと穴に住む習性がある。偶然にも飛んできたボールが洞に挟まったのではないかと、結論付けた。しかし、カケルにはひとつの疑問が浮かんだ。本来、プレーリードッグは草原の穴に住むリスのはずだが、なぜ、林の中にいるのだろうか、と疑いをもった。

「お父さん、どうかしたの?」

「父さん、どうしたの?」

「お父さん!」

 プレーリードッグの息子や娘らしき声が、仁王立ちのお父さんに叫んでいた。

 お父さんは、鼻をヒク、ヒク動かし、周辺の匂いをかいでいる様だ。

「ニンゲンの匂いだ!」

 息子、娘たちが慌てふためき、ウロウロしはじめる。

 お父さんだけは、冷静に落ち着いている。

「うろたえるな!!」

 怒声で狼狽ろうばいする息子や娘たちに号令をかける。全身にぴくりっと電気が走ったように、彼らは直立した。仲間のプレーリードッグたちは、反応し静まり返る。

 お父さんは一歩前にでてふたたび叫んだ。

「ニンゲン、そこにいることは分かっている。どうかでてきて欲しい」

 どうやら、カケルに話しかけているようだった。

 仕方なくカケルは、プレーリードッグたちの前に姿をあらわす。途端にふたたび息子、娘たちはあわてて大騒ぎする。娘たちはお父さんの後ろに隠れ、息子の中には警戒心が強すぎるためか、草むらや樹の影へ隠れてしまう者までいた。巨大にそびえたっているニンゲンを見るのが初めてなのかもしれない。

「話は聞いた! 困っているそうだな」

 『お父さん』と呼ばれる一匹が、警戒することなく威厳を保ったままたたずんでいる。この一匹だけはニンゲンの行動や習性を熟知しているようだった。過去に何らかの形でニンゲンと一緒に行動していたのかもしれない。

 カケルもしゃべるプレーリードッグを前にして冷静だった。

「どうか協力して欲しい! 私たちはあなたたちにとっては小さい生き物だ。私たちの仲間が樹の洞に閉じ込められてしまった。仲間を助けたいが、私たちが束になってもどうすることも出来ない」

「いいとも。君らからの話からすると、俺の探しているものが、そこにあるようなんで協力させてもらうよ! 案内してくれ!」

 お父さんは小さい首を動かすと素早く林の奥へと走り出した。

「こっちだ!」

 言われるがままにカケルはお父さんの後に続き、奥へと歩み始めた。

 カケルの後ろを警戒心を持ったまま、息子や娘たちのプレーリードッグが、少しずつ後をつけていた。


 拓けた場所に出た。背の高い木々がなくなり一面草木に覆われたところだった。草木の中心に、ひときわ老木に近いほどのヒノキがそびえている。

 お父さんは草木を素早く移動し、老木の根の上に立っている。

「この樹の洞に、仲間が閉じ込められてしまったんだ!」

 小さい指で洞をみながら差した。

 カケルは洞の辺りで白と黒に挟まっている影を確かめた。サッカーボールだった。

―――思ったとおりだ。

 体勢を低くしてカケルは、サッカーボールを引っ張り出そうとする。最初は片手で引っ張り出せるかと目論もくろんだが、しっかりと食い込んでいるためかビクともしない。両手で力をいれ引っ張り出す。少しは動く感覚があった。が、思ったよりも奥のほうに食い込んでいるようだと一時的に体勢を立て直す。

 様子を見守っていたお父さんは、いても経ってもいられなく、木の根の端から端までを行ったりきたりしている。洞の中の仲間が心配なようだった。

「思ったよりも時間がかかりそうだな」

 カケルは考え込む。手で引っ張り出すよりも樹の洞を無理やりにでも大きくすれば、プレーリードッグなら出られるかもしれない。それには、中に閉じ込められていると言う仲間にすこし奥に避難しておいた方がいいのでは、と思った。

 お父さんのいる木の根のところまで行った。

「洞の出口を広げれば何とかなるかもしれない。ちょっと振動が大きくなると思う。樹の皮が剥がれ落ちるから奥へ避難するように、洞の中にいる仲間に伝えてくれないか?」

「ああ、わかった」

 お父さんは素早く洞の出入り口にたち、奥の仲間に聞こえるように説明を始める。洞の中でキャン、キャン、キャンという甲高い鳴き声が返ってきた。その後も何度かお父さんと仲間とで会話のやりとりが行われた。

 お父さんがふたたびカケルの元にやってきた。

「早く出して欲しいと仲間は訴えかけている。ニンゲン、穴を作るのにどれくらい時間が必要なんだ?」

 そうだなぁ……、とカケルは呟く。ヒノキの幹を触って、

「このヒノキの皮がもろければ脆いほど早く穴が広がるはずだ!」

「なるほど。ならば、息子や娘たちみんなで手伝ってもらおう」

 お父さんは、木の根の上から草木で警戒している息子や娘に大声で呼びかけた。

「ニンゲンのアドバイスで、洞を広げれば閉じ込められている仲間を救うことが出来ることがわかった。丈夫な木の枝を集めて少しでも洞の入り口を広げるんだ!」

 お父さんの号令が効いたのか、今まで警戒心に彩られていたプレーリードッグたちが一斉に動き回り始めた。彼らは仲間が閉じ込められたことに、よほど危機感を持っていたようだった。仲間を助けたいという一心に結束が固まっていた。

 カケルはプレーリードッグの結束力の強さに圧倒された。自分も見ているわけにはいかない。出来ることをやろうと、手ごろな木の枝を探す。

 お父さんは、ふたたび洞の中にいる仲間に話しかけている。

 

 数時間があっというまに過ぎようとしていた。

 いつの間にか、カケルとプレーリードッグの間で警戒心の隔たりがなくなってきた。

 彼らは必死で洞を大きくすることに集中し、一心不乱に幹を少しずつ壊していく。やがて、洞の口が大きくなり始めていた。が、依然としてサッカーボールは、はまったままだった。

 プレーリードッグ一匹が通れるほどの穴が開いた。

 外の仲間が一匹中に入り、閉じ込められていた仲間たちが一匹ずつでてくる。最後にお父さんが、中に入り残っていないのを確かめた。

 プレーリードッグたちは閉じ込められていた仲間と再会したことで、それぞれに抱き合っていた。

「ニンゲン、どうやら無事救出できたようだ! 感謝する」

 お父さんは感嘆の声をあげ、目のあたりに涙を一粒浮かべていた。

「いいや、動物であれ困った時はお互い様だ!」

「ところで、ニンゲン。あなたも困っているのではないのか?」

 お父さんは小さい手でサッカーボールをポンポンと叩いて、

「この得体の知れないを引っ張り出していたが、よければ私たちが力を貸そうか?」

「そうしてもらえると助かる。どうやらしっかりと食い込んでしまって、俺だけの力じゃどうすることもできそうにないんだ!」

 お父さんは、仲間たちにサッカーボールを取り出す作戦を話し合った。一匹のプレーリードッグが、キャンキャンキャンとお父さんと何やら会話している。カケルにはどういう内容なのかがさっぱりわからなかった。

 外側と内側で圧力を掛けていくとお父さんがカケルに説明した。簡単に言うと外側からは洞を更に広げ、内側からはサッカーボールを外に押し出すというものだった。

 最後は、カケルが渾身の力を込めてサッカーボールを引っ張り出した。

 かくして、お互いの困ったことが解決された。


 カケルとお父さんは互いに向き合った。プレーリードッグも警戒心が解けたようにお父さんのすぐ後ろで整列している。

「ニンゲン、協力をいただいて感謝する」

「こちらこそ、迷惑をかけてすまなかった」

「久々に地上のものと交流が出来て嬉しかった!」

 カケルは頭にこびりついた疑問をお父さんにたずねた。

「あなたは、何故俺の、いや、ニンゲンの言葉が理解できるんだ? そもそも俺もあなたの言葉が理解できるのも不思議で仕方ないんだが……」

 表情をゆるくしたお父さんは、胸の懐に隠していたと思われるネックレスをカケルに見せた。輝かしいほどに紫色の宝石らしきものが埋め込まれてた。

「おそらく、これのおかげだと思われる」

 カケルは訝しくみつめた。

「というと?」

「この宝石は、身につけた周囲の声で発したモノを協和同調してくれる効果がある。つまりは、動物でも人間でも同じ言葉として変換されるらしいのだ!」

 カケルは考え込んでいた。

「へぇ……君たちの仲間が作れるのか?」

 お父さんは首を振って否定した。

「まさか、できるわけがない。私のクニで作られたものだ!」

 プレーリードッグの仲間のひとりが、お父さんに駆け寄ってきた。

「父さん、そろそろ」

 お父さんはうん、と頷くとちらりと仲間の方を見た。

「ニンゲン、いい経験をさせてもらった。また機会があったらあなたには会いたいものだな」

 お父さんはカケルを見上げ、握手をもとめた。

「そうだな。俺もいい経験になった。ありがとう」

 カケルは礼儀正しくしゃがみこみ、小さな手に大きい指で握手を交わす。

 お父さんとプレーリードッグの仲間たちは手を振り、林の奥へと行ってしまった。

 カケルはいつまでも見送り続けた。


 サッカーボールには小さい手足の跡が無数についていた。カケルにはその小さな手足がかけがえのないにみえた。

 

                                  完







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小さな勲章 芝樹 享 @sibaki2017

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