8巻発売記念SS・とりとめのない溜息
馬鹿だ馬鹿だとは思っていたが、本当に本物の馬鹿だったらしい。
眉間にシワを寄せたあたしの雇い主、今を全くときめかないシュタウフェン公爵家の、その中でもかなりマシな部類の次男坊様が、手紙を片手に呻いていた。
色良く磨かれた机に紅茶をことっと置くと、ガシガシと深い群青の髪をかき乱しつつ「ありがとよ」と口にする。
「何やらかしたんです、お兄ちゃん?」
「今をときめく菊乃井家のご当主に喧嘩売って、この上なくコテンパンにされた挙句に情けをかけられた……らしい」
「わぉ」
そう言われて思い出すのは、去年の暮れから今年にかけて修行に行った菊乃井領とその主。
綺麗に手入れされた髪に、仄かに暗さのある紫の瞳の、男の子なのか女の子なのかよく解らない、雰囲気のある子ども。私も子どもだけど、それ以上に子どもで凄く戸惑ったものだ。
あの時はまだ両親と権力闘争の最中で、彼は嫡男という以上の肩書はなかった筈なのに、それでも人を統べる資格と言うものを持つ人種にしっかり見えていた。
それから僅か数か月後の今では、彼は菊乃井家の正当な当主になり、家は領地も増え、爵位も進んだのだから凄いとしか言えない。
これにはあたしも上司の次男坊様の慧眼に舌を巻いたもんだ。
つくづく人を見る目はある方だと思ってたけど、それ以上に何かを持ってるんだろうな。
実際会ったことはないけども、頼れる人間だから行ってこいって言われた時は、本当に大丈夫か心配になったけど、どうして何も心配することなんてなかった。
シュタウフェン公爵家の治める街の孤児院の環境を変えるためにお金を作る方法として、うちの上司様と菊乃井のご当主様との間でどんなやり取りがあったかは知らないけど、あたしはあっちでは勉強しながらお給料をもらうって言う凄い好待遇を受けた。
しかも技術以外に開示できるものは全て見せて貰ったし、勿論あっちの売りの歌劇団の公演だって見せてもらって。
それだけじゃなく歌劇団の女の子達と寝食を共にしてたもんだから、友達にもなれた。
今でもあの子達とは手紙のやり取りをしてるし、公演を記録した布やグッズとやらも送ってくれてる。お蔭さまであたしのいる孤児院は、彼女たちの公演を観て、そのセリフや歌詞に込められた意図を知りたくて、進んで勉強する子が出て来た。
「そういや、まだ名前名乗ってないんです?」
「あん? そう言えばそうだな。でももうお互い家名知ってるし、貴族名鑑とかに載ってるから調べようとしたら調べられるし?」
「……調べないと思いますよ」
「まあ、な。お前にも俺の名前を聞かなかったんだろ?」
「なあ、アリサ」と呼ばれて、頷く。
そう言えば彼はあたしとも何度か街中で会って話はしても、自分の取引相手の名前を聞くこともしなかった。
興味がない訳ではないんだろうけど、聞いてはいけないと思っている。そんな感じだった。
「まあ、俺ら親に反旗を翻す準備期間中同士だったからな。何処からか協力体制なのが漏れたら不味かろうっていうのが最初にあったせいだろうけども」
「まだ上司様、反旗翻せてないですもんね」
「おうよ。流石に公爵家は簡単に崩れてくんねぇわ~」
上司様の目つきはそんなに良い方じゃないけども、笑うと目が細まって意外に可愛い。
それは年嵩の、言えば彼が家から逃げて隠れている色街のお姉様が言っていた事だ。
まだ子どもという歳にも関わらず、彼は色街に出入りが出来ている。それは彼がいつか自分の家を棄てるなり、突き崩すための準備の一つでもあり、彼の腹違いの弟妹を匿うためでもある。
ああいう所は、牛耳る人間と誼を通じて、納得させるだけの器量を示せば、案外と懐深く受け入れてくれるものだ。
かつてそこに母と共に暮らしていたから知っている。
あそこの親分さんは、あたしの器量がもうちょっと良かったら、王侯貴族の前に出しても恥ずかしくない夜の花にあたしを仕込んでやれたものを……って言ってたっけ。
器量が悪くて得したのか、損したのか、今のあたしにはよく解らない。
ただ、そこまで言ってくれる頭の良さがあったのは得だった。だからあたしはこの次男坊のところに出されたんだから。
今じゃあたしは孤児院の職人頭だし、
お金は孤児院に入れるだけじゃなく、個人的に溜める事すら出来るほど貰ってる。いずれ孤児院を出ることになっても、仕事はあるし、住むとこにも困らない筈だ。
その頃、この人はどうなってるんだろう。
親分さんのとこには色んな情報が、様々なとこから来ていて、その中にはあたしの上司様の話もあるとか。
直近で聞いたのは、何処かの古代遺跡を攻略して、流通に関わるようなお宝を手に入れたって言う。
本人に聞いてみれば、それは一部本当で一部違うらしい。
流通に関することではあるけれど、それは万人に使えるものでなく、使うものを選ぶ技術で、早々役立つようなモノじゃないというのが正解だそうだ。
この手の研究はエルフの大先生に託して、出来た技術はドワーフの職人に預けて、その開発費用調達と開発後の商売が人間の領分だろう。彼はそう言った。
菊乃井に任せる方が良いかもよ。
そう言ってニシシと笑った顔は、とても公爵家の次男とは思えない品の無い顔だったけど。
「ま、遠慮なく業務提携させてもらうよ。あっちに研究は委託して、こっちは技術提供すればお互い様ってやつだ。一足先に親をぎゃふんと言わせたパイセンだしな。頼らせてもらえばいいさ。代わりにあっちの困りごとはこっちで解決するし」
「まあ、あちらさんは商売度外視のところありますからね」
「だからウチが利益出せるように販路開拓するんじゃねぇの。売りてよし、買いてよし、作りてよしの三方得さ」
今だって生意気そうに笑う。
あたしは色街のお姉さん方のいう可愛い笑顔より、この生意気な子どもの笑顔の方が好きだ。
あたしより年下の癖に、妙に抜け目がなくって達観して悟ったような顔よりも、そういう年相応の顔の方が近さを感じる。
じっと見ていると、上司様はからっと話題を変えた。
「何にせよ、蝶々ちゃんが怒ってたらヤバいな」
「え? 怒りますかね、あの人」
「本人が心底怒ってなくたって、周りのために『大激怒』って見せる方が良い時もあれば、その逆もあるんだよ」
「なるほど。貴族ってよく解らんのが解りました」
「そうだな。俺もそう思うわ」
公爵家の次男なんか貴族中の貴族やろがい。
思わず半目になったあたしに、彼は肩を軽やかにすくめた。
「だけどな社交界は戦場だ。そこで下手打ったら、本人だけじゃなく家全体の価値が落ちるんだよ。その馬鹿の家族だけじゃなく、領地も領民も、そこで売ってる特産品ですら下手すりゃ軽んじられる。うちの馬鹿な兄貴はそういう事をやっちゃったわけよ」
「え? マズいじゃないですか」
「大変拙いで御座いますよ。ただ、相手がな……。蝶々ちゃんだけならいいんだけどなぁ。何に怒ってるかによっては、ちょっとヤバいな」
唸りつつ顎を擦って、彼は机の引き出しから綺麗な便箋を取り出した。
彼が親族で唯一尊敬する叔母さんからいただいた便箋と封筒のセットらしいけど、シュタウフェン公爵家の次男坊の叔母さんなんてそういない。
その数少ないうちで彼が尊敬しそうな人なんて、一人しかいない訳で。
やんごとない人が選ぶだけあって、押しつけがましくない程度に縁に金の蔦の模様が付いた、見るからに上等なそれにすらすらと文字が書かれていく。
時候の挨拶から始まって、相手への気遣いとして体調や近況を伺うような言葉を並べて、自身の近況と共同経営のような形になっている商会の食品部門の話やらもちりばめて。
そして本題、シュタウフェン公爵家の愚かな長男の馬鹿な所業に付いての、お詫びの言葉が綴られる。
出来れば領民たちに何のとばっちりも行かないようにしてもらえれば。
懇願するように丁寧に書かれたそれを見せてもらう。
「……本当に怒ってるんですかね?」
「やらかした現場にいた人間の話だと、そういう感じじゃなさそうだけどな。ただ他の家の、情報を頼んでた子達からしたら……正直拙いよなっていう?」
「どっちの目を正しいと判断するかが悩ましいですねぇ」
「恐らくは怒ってないのが正しい。うちの兄貴、逆鱗は辛うじて避けたみたいだからな」
「あー……弟さん、正式に菊乃井家の子どもになったとこですっけ?」
「そ。そこに触れなかったのは多分考えがあってとかじゃなくて、単に運が良かっただけだろうけどな。あの馬鹿め」
心底兄貴を軽蔑しているのが解る口調で、上司様が吐き捨てた。
この上司様、基本的に親も兄貴も嫌いだけど、あたし達仲間と書いて部下と読む連中の前では徹底した無関心を貫いている。だから此処まで嫌悪を滲ませる事って凄く少ない。
軽く目を見張ったあたしに、彼は拗ねたように「あんだよ?」と唇を尖らせた。
「いやぁ、マジで怒ってんのはじょーしサマじゃん? って」
「怒ってるっつーか、あれだ。テメェが普段『貴族というものは~』とか聞いてもしねぇ御託並べてくっちゃべってる癖に、なんつーざま晒してくれてんだと思うとな」
「あー……しゃーないですね。ガキなんだから。たしかお兄ちゃん、あたしよりガキっしょ?」
「おう。ガキならガキらしく可愛らしくママの胸でも吸ってりゃいいのに、クソ親父見習って色気づきやがって。抵抗できねぇ身分の娘のスカートを人前で捲りやがった。去勢してやろうかと思って、剣術の稽古に紛れてブツを蹴り飛ばしてやったぞ」
「……ブツが潰れたら、お家継がされますよ?」
「…………と思ったから、一応力は抜いといた。事故だ事故」
けっと吐き捨てたあたり、本当は潰してやりたかったんだろう。
解る~。いや、駄目だけど。
っていうか、あたしが知ってる貴族って本当に極端。
シュタウフェン公爵家の長男と当主は、人としても多分ダメな方だけど、あたしの上司様は貴族としては駄目なんだろう。
で、菊乃井の若さまこそが駄目じゃない感じの貴族だと思う。知らんけど。
あの人はとてもじゃないけど女の子に興味とかなさげに見える。だって小さかったし、あのくらいの歳の子は、愛とかなんとか語るよりお友達と虫取りしてる方が楽しそうだもん。あの人が虫が平気かはおくとして。駄目そうだな……。
でもまあ、あたしにはあんなお上品な人よりも、うちの上司様みたいな粗野を装ってる男の子の方が付き合いやすい。
実際のところ、この人はやっぱり貴種の出だ。
一緒に食事をしたり、おやつ食べたりするとよく解る。
ナイフやフォーク、スプーンに箸の使い方、お茶を飲む仕草や茶器を扱う動作に、生まれ育ちの違いが滲むのだ。
安いカップで安いお茶を飲んでいても、背筋が伸びていてカップの取っ手を掴む指先は整ってるのだから。
同じく安いお茶を安いカップで飲みつつ、あたしは尋ねる。
「シュタウフェン公爵家、本当に継がないんです?」
「継がねぇよ」
「でも、上司様が継いでくんないと、あたしらその馬鹿旦那にお仕えしないといけなくなるんですけども?」
嫌だなぁ。
そんな意図を込めて上司様を見つめれば、ふっと口の端が上がる。
大胆不敵さを滲ませて、彼が何度か目を瞬かせた。
「安心しろ。シュタウフェン公爵家はこれから細らされていく」
「……安心できませんが!?」
「まあ、聞けよ。今は詳しくは言えないが、徐々に力が削がれていく。アイツが公爵になる時は、もしかしたら今より力がない家に成り下がってるさ」
「いや、だからこの街も不景気になったりするって事でしょ?」
「違うな。そこは俺がいるから安心しとけよ」
まあ、そのために俺は蝶々ちゃんと切れる訳にはいかねぇんだわ。
ぼそっと呟く。
端から切れる気なんてない癖に。
アンタ、隠してるつもりだろうけど、あの人をめっちゃ気にしてるの。あたし知ってんだから。
貰った手紙は後生大事にしまってあるし、カレー粉とやらも好き好んで使ってるじゃん。
それが「どうして」なのか、あたしには聞く勇気がないけども。
「……オイルサーディンとかアンチョビとか、贈っときます?」
「うん。他にもなんか旨そうなのあったら一緒に」
この上司様の思い付きで美味しいものが増えて行ってるし、あっちは内陸だから魚が手に入りにくい。
さて、何がいいだろうかと、あたしは考えだす。
彼が蝶々ちゃんと呼ぶ人に、海産物の美味しい物を見つけてはせっせとご機嫌取りのように送りつけているのも、あちらからも良いものが送って来られてるのも知ってる。
いつか、理由を打ち明けてくれないだろうか。
隠し事が上手すぎる上司に、あたしはそっとため息を吐いた。
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