第373話 業を煮詰めて出来た蜜(猛毒)

 それでも、その話をする前に私はシオン殿下に確かめなきゃいけないことがあって。

 楽しそうに指に絡めた毛糸を編んでいる殿下に、神妙に向かいあう。


「そのお話をしても良いんですけど、その前に確認させていただきたいことがあります」

「他言無用とかなら安心してくれていいよ」

「ではなくて。極めて個人的な事ですし、無礼だと思われたら後で幾らでも謝罪いたしますが……」

「うん? いいよ。何を聞かれても不問に伏す。絶対に」

「でしたら……。殿下は以前ドレスを着ておられましたよね? あの時は可愛いから着ていると仰られてましたが、それは真実ですか? その、身体と心に性別的な違和感があって……とかじゃなく?」


 はっきりと告げると、一瞬シオン殿下がきょとんとして、それから苦く笑う。

 そしてゆったりと首を横に振られた。


「僕は男であることに嫌悪感があったり、女の子として生まれたかったりって事はないな。そう感じる人がいるって事は否定しないけど、僕は違う」

「ああ、そうなんですね」


 そうか、それならいいか。

 いや、いいとか悪いとか判断するものじゃないことだけど、今この場にいる人を傷付ける可能性は低くなったと考えよう。

 深呼吸を一つ。

 私のそんな様子に、ただ事じゃ無さを感じたのかシオン殿下は背筋を伸ばした。


「……その考察ですけど、半分当たりで半分外れです」

「どのあたりが当たってる?」

「父親に反抗的だったところです。でも追い出された訳じゃなく、自身の意志で祖母は菊乃井に嫁したんです」


 パラりと手元の日記、いや、これは自伝だったのだ。それも誰かが読むことを狙って書かれた類いの。

 祖母・菊乃井稀世は薄々感じていたけども、やはり転生者だった。

 それも私とは違って、赤子の時から前世の記憶があるタイプの。丁度次男坊さんがこれと同じタイプに当たる。

 それはシオン殿下にいう必要のない事だから割愛するとして。

 以前ロッテンマイヤーさんから貰った日記に書いてあった議会制・法の統治云々は、前世から持っていた知識と記憶からのことだったのだ。

 そしてその知識や記憶を持ったままでは、帝国では生き難かった。

 だって祖母が生まれた当時、女性には政治に口出しする権利がなく、身分ある女性が自由に学ぶことも、働きに出る事も許されなかった。

 そこから考えれば、今の帝国は女性が政治に口を出すのを積極的に歓迎はしないけど、拒んではいないんだから、まだ良くなった方だろう。

 しかし「俺」が生きてた頃と似たような年代から転生したらしい祖母には、それは耐えられない事だったようだ。度々両親と衝突したらしい。

 それでも父親も母親も祖母を愛した。だからこそ祖母の気質を受け入れられそうもない、当時の帝国貴族男性からの縁談を片っ端から断っていたと本にはあった。

 話せる部分だけを話すと、シオン殿下が驚く。


「つまり不仲じゃなかったって事?」

「不仲というか、たしかに祖母の両親は領民から搾取していたようです。それに関しては何度叱られても、抗議したとも書いてありました。領民と距離の近い家だったのが、祖母の感覚を養ったようですね」


 これは嘘……でもない。

 領民とは近い家というか、家が小さかったから中小ブラック企業のパワハラ社長と社員的な近さだったんだろう。だから以前の自身の世界を思い出して、自分の両親が許せなかったとも記してあった。

 まあ、そんな娘が納得して菊乃井に嫁す。

 それはそれで心配だったんだろうけど、両親は娘が望まないから遠のいて行ったというのが正解なようだ。

 娘は自分には優しい両親が、他人を平気で踏み躙って搾取する人間だったという事に、心を痛めていて病んでしまっていたそうな。


「病んでって……。それで君の曽祖父と祖父はよく祖母を受け入れようと思ったね?」

「それは……その祖母の身内の不正こそが許せないって言う潔癖さを、曽祖父が気に入ったそうですよ。請われて嫁すなら、仮令生意気でも酷くは扱われないだろう、と」

「なるほど。でも期待は裏切られた、と?」

「いや、曽祖父に次いで祖父が亡くなるまではそれなりだったようです」


 ちくたくと時計の針が動く音が凄く大きく響く。

 曽祖父は祖母を気に入っていた。これも実は少し違うんだ。

 いや、気に入っていたには違いない。だがそこには好意だけでなく、哀れみが存在していた。


「哀れみ?」


 シオン殿下の目が大きく見開かれる。

 心底驚いたんだろう。そりゃそうだ。祖母はその当時帝国でも指折りの名家の美しい子女。

 翻って菊乃井はと言えば、ダンジョンという旨味はあってもそれをイマイチ利用しきれないうだつの上がらない家だったのだ。

 哀れまれるなら、菊乃井の方。しかし、祖母にはそう思われるだけの事情があった。

 それが、先ほどのシオン殿下への性別に関する違和感のあるなしって言う質問に繋がる。

 そう告げると、シオン殿下の顔色ががらりと変わった。


「え、それって……」

「……祖母は心と身体の性別が食い違った人だったんです」


 正確に言えば、転生する前の魂と記憶の性別と、生まれ変わった肉の器の性別が違ってしまっていた。つまり彼女は彼だったのだ。

 知らず緊張していたのか、声が自分でも硬くなったことに気が付いて、深呼吸を一つ。 

 祖母が結婚を拒んでいたのは、自らの性自認が男性であり、愛する対象が女性であって、男性とそのような関係になれないからだったわけだ。


「それは……何と言うか……」

「何も言うべきではないんでしょう。彼女は彼としての生き方は選べず、だから私はここにいるんだし」

「そう、だね」


 菊乃井に祖母が来たのは、曽祖父が祖母の気持ちを汲んでくれた唯一だったかららしい。

 じゃあ曾祖父がどうしてそこに理解というか、受け入れる下地があったかと言えば、なんと曽祖父の家庭教師の知り合いが渡り人だったらしい。

 家庭教師から異世界の話をまた聞きしていたから、そういう事もあるんだろう、と。

 そんな祖母と曽祖父は、祖母が現状に耐えかねて家出をしたのを、当時爵位を継いだばかりの曽祖父が保護したのが馴れ初めで。

 小さいのに自分の事を理路整然と話し、実は異世界から生まれ変わった元男なのだという幼女に、曽祖父は興味を抱いてよく話を聞いていたらしい。

 どうせ嫁に行かなければならないのであれば、気心の知れた曾祖父の、その血を分けた息子の方がいい。そういう事だったようだ。


「でも、そんな結婚が上手くいくわけないじゃないですか」

「ああ、それは解るな。まして前々代の夫人は男性だったのだろう? 跡継ぎはどうやって作ったんだ……」

「曽祖父が祖母と祖父のそれぞれを説得して。魔術で眠っている間に祖父と何度か同衾したそうですよ」


 シオン殿下の眉が跳ねる。

 夫となった側も妻となった側も、こんな不幸な営みがあるだろうか。

 結果、祖母は母を身籠った。それ以降祖母は祖父に指一本触れることを許さなかったという。

 これに激怒したのが、愛する息子を蔑ろにされた曾祖母なのだけれど、その怒りはとんでもない提案をした夫でなく、息子の妻へと向けられた訳だ。

 それに当時、曽祖父と祖母の仲が実の子よりも親密だったから、曾祖母は不倫の疑いも抱いていたと本には記されていて。


「え、や、疑われるような状況を作ってるじゃないか……」

「同感です」


 シオン殿下の言葉に頷く。

 祖母は心が男性だったから、曽祖父とは兄と弟のような感じで接したのだろう。そして祖父もまたそのように扱ったようだ。

 自分の思う性別と身体の状況がドンドンかけ離れていくのが怖くて辛かったと本には書いてあった。

 想像するしか出来ないけども、それはきっと鳥肌が立つような違和感や気持ちの悪さがあるって、前世でも問題になっていたように思う。

 なかにはあまりの違和感に、生きている事さえ苦しくて、死を選んでしまう人もいたとも。

 そんな中、自分を受け止める曽祖父の存在は、祖母には救いだったのだろうけど……。

 そしてそんな祖母を更に追い込んだのが、妊娠だった。

 女性であることを受け入れられていない祖母には、勿論妊娠も受け入れられない。

 身体の中で徐々に育つ異物に怯えて、発狂寸前まで追い込まれ、何度も流産しようと無茶苦茶な事をした。

 そのせいで母を生むまで大半眠らされて過ごしたそうな。魔術に後遺症がないから使える荒業だ。

 だけど産んだら産んだでノイローゼのようになっていたらしい。

 そんな事を知らない曾祖母は、祖母が寝ている間に母を祖父と一緒に帝都に連れ去ってしまったそうだ。

 これに関して、本には山ほどの後悔とともに「正直に言えばホッとした」と書かれている。

 連れ去ってくれたお蔭で、母を異物として憎む自分を彼女から遠ざけられたから、と。

 だからって姑の偏った貴族的な考えを植え込まれたことには憤ってるともあったけど、これに関しては「どの面でそういうこと言うんです?」と思わなくもない。

 祖父のことだって、祖母は「友人だと思ってたのに」って裏切られたみたいな書き方をしてるけど、これだって先に祖父の人間性を踏みにじったのは誰と誰なんだっていう、ね。

 こんな本、祖母を崇拝してるに等しい人達に見せられるもんか。

 話し終えると、シオン殿下が胸やけでも起こしたような顔で私を見る。


「……で、結局その本って何だったの?」

「懺悔とか告解ってやつじゃないです? 知らんけど」


 解るのはこの本の存在を、母に手を下す前に知ってたとしても、私は躊躇わずやるべきをなしただろうという事。

 菊乃井の血に連なる人間に、まっとうな人間なんか私含めていやしないんだから。

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