第330話 キラキラ笑顔の弟はかく語りぬ

 痛みに耐えるような声は存外大きくて、なんと声をかければいいのやら。

 そもそも私は二人の殿下と親しいわけじゃないから、第二皇子殿下が何にそんなに痛みを抱いているかも解って無い。

 でも、だ。

 少なくても第一皇子殿下の方の気持ちは知ってる。だから言うけど。


「第一皇子殿下のお悩みは、第二皇子殿下のせいではありませんよ」

「気やすめならいらない」

「気休めではないです。いや、別に、私が言うような事じゃないんで、気休めだと思うんならそれでいいですが」


 うん、第一皇子殿下の心の問題だから、本当なら私が口出しすることじゃない。だけど多分お互いにお互いが大事だからこそすれ違ってるなら、誰かの介入がいるだろう。

 それを親しくもない私がやるってのに無理があるだけで、マリア嬢とかゾフィー嬢ならうまくいくかもしれないな。

 そんな訳で一歩引く。すると虚を突かれたような顔をして、第二皇子殿下が私を見た。

 何なの、その顔?

 疑問に思っていると、ロマノフ先生が苦く笑った。


「鳳蝶君、突き放す時はきっぱり突き放す子だから」

「いや、だって。私は第一皇子殿下とはちょっと共通点があって、相談もされたし、出来るならお力になりたいと思うくらいには同病相憐れむ気持ちはありますが、失礼ながら第二皇子殿下とはそんなものはありませんし?」

「そうですね、向こうから胸襟(きょうきん)を開いて来たから応じただけですもんね」

「はい。必要ないと仰る方に何かを言うのは単なるお節介なんで」


 思うに私は素直に私を信じてくれるタイプは好きなんだ。だってそれは私には無い美徳だもの。そして素直に人を信じないタイプというか、信じてるように見せて実は全く受け入れていないタイプは好きじゃない。これの理由ははっきりしてる。同族嫌悪だ。

 翻って考えると、私は実は第一皇子殿下のことは結構好きだったりする。あの人は位人身を極める皇帝の座に至るには素直だ。それは孤独と仕込まれた毒のせいで心が弱ってるからかもしれないけど、それにしたって真っ直ぐで放っておけない。何と無しに助けてあげたいような気になる。

 でも第二皇子殿下はなぁ……。

 いや、気休めだと思ったからそう言ったのかも知れないけど、ぴしゃっとこちらの手を跳ね除けておいて、一歩引かれたら表情を変えるって、手を跳ね除けたのは計算ですって言ってるのと同じなんだよねぇ。

 それってこちらが追いすがって来るのを待ってたって事じゃないの?

 私、そう言うの好きじゃないんだよね。

 しれっとした顔でお茶を飲むと、ロマノフ先生が忍び笑い、ソーニャさんが肩を竦め、第二皇子殿下は俯くと肩を震わせた。


「にぃに、だいにおうじでんか、ないちゃった?」

「まさか。ですよね、殿下?」


 解ってるんだ。こういうタイプって、絶対に泣いたりしない。転んだってただでは絶対に起きないし、起きる時は相手にパンチをくらわすタイミングが見えた時だ。

 だけど残念。この時点で使える札の不敬罪は「治外法権」で抑えられる。それでもここから出ておかしな真似をすれば、私は私の人脈でもってお前の兄貴にチクるぞ、この野郎。

 胡乱な目で私は第二皇子殿下の出方を伺っていると、すっと彼が顔を上げる。その顔はとても怜悧で冷ややかなもので。


「なるほど。難しい相手だってソーニャ様がいう筈だ」

「でも、統理ちゃんにはいいでしょう?」

「まあね。僕は兄上に尽くしてくれるならそれで良い。正直、僕みたいなのがもう一人いるとは思わなかったけど、これはこれでいいよ。兄上の守りが盤石になるからね」


 ゆったりと殿下がドレスのふわっとした布の下で足を組む。

 だろうなと思ったけど、ここまではっきり裏表があるタイプだったか。

 視線が殿下とかち合って、じりじりと空気が緊張を孕んでいく。

 品定めをしているのはお互い様だろうけど、そこにふわっとひよこの綿毛が割って入った。


「レグルスくん?」

「でんか、れ、わたし、でんかにおはなしがあります!」

「え? 僕?」


 凛々しい顔つきでぴこっと、私と殿下の間にレグルスくんが立つ。

 あんまりにも真面目な表情に、殿下は毒気を抜かれてようで、レグルスくんの「おはなしきいてください!」という言葉に、真面目に頷いた。


「でんか、でんかはおにいさまのこと、すきですか?」

「え? うん。当たり前じゃないか。僕はこの世で一番兄上を尊敬してるし、大好きだよ」

「それ、おにいさまにいってますか?」

「昔は……それこそ君くらいの年にはいつも言ってたけど……。でも僕も兄上ももうすぐ幼年学校に行くような年だよ? そんな毎日言わないよね」

「それ! そのせい!」

「へ?」


 びしっとレグルスくんが殿下を指差す。いくら無礼講って言ってもそれは流石に拙いから、慌ててその指は降ろさせたけど、レグルスくんはそれでもきりっとした顔で殿下を見ていた。

 殿下が首を傾げる。


「どういう事かな、レグルス?」

「だって、いわなかったらつたわらないもん」


 ぽつんと落ちた言葉に、私は「ああ」と呻いた。

 そうだった。私は毎日のようにレグルスくんから「大好き」っていう気持ちと言葉を貰っているのに、自分を嫌うあまりにそれすら受け取らずに流していたんだ。

 自分が毎日「大好き」だと言ってる私にすらその気持ちは届かないのに、時々しか言わない殿下の言葉が伝わってると思っているのか?

 要するにこういう事なんだろう。

 目を伏せて自分の所業を申し訳なく思っていると、レグルスくんは言葉を続けた。


「まわりのひとに、つたわらないでしょ? 『僕の兄上をいじめたら、絶対あとでごめんなさいしても、僕が許さないんだからね!』っておもってるの、つたわらないもん!」

「へ?」

「え?」

「れーのまわりにはそんなひといないけど、でんかとあにうえのまわりにはいるんでしょう? じゃあ、つたえなきゃだめです! 『兄上にひどいこといったら、月の出てない夜に一人で歩けると思うなよ?』っていうのを、きぞくてきにとおまわしに!」


 うん? なんか違うぞ? って言うか「月の出てない夜に一人で歩けると思うなよ」って「暗殺・闇討ちも視野に入れて対処すっから、よろしくどうぞ?」って事じゃなかったっけ?

 ぱしぱしと三回瞬きして、三回くらいレグルスくんの顔を見れば、実にキラキラしい笑顔だ。

 呆気に取られているのは私だけでなく殿下もそうで、ロマノフ先生とソーニャさんは生温い笑顔。


「レ、レグルスくん? 今の、どういうことかな?」

「えぇっとね、ずっとまえにひめさまが『ひよこが強いことを知ってる輩には効くじゃろ』っておしえてくれたの。れーがいつもにぃにのこと『すき』っていってて、それをきいてしってるひとは、にぃににひどいことしたら、れーがおこってこてんぱんにやっつけにくるっておもって、にぃににひどいことしないようにきをつけるからって」

「へ、へぇー……」

「れーがにぃにをすきなの、にぃにはしってるし、にぃにもれーのことすきっていってくれるもん。まいにち『すき』っていうのもいわれるのも、れーはうれしいからいうけど、それがにぃににいじわるしたいひとに『いじわるしたら、れーがゆるしません!』っていってるようにきこえて、にぃにをまもることになるんだったら『おとく』っていうやつだとおもうよ? かなも『いいとおもう』っていってたし、そういうのを『月のない夜に一人で歩けると思うなよ?』っていわれてるって、きぞくはおもうんでしょ?」

「そ、そう、なのかな?」


 なんか思ってたんと違う!!

 違うけど……!

 絶句していると、不意に殿下が口を覆って震えたかと思うと、大きな声を上げて笑い出した。


「そうか! そうだね! 言わなきゃ兄上だけじゃなく、周りにも伝わらないんだよね!」

「そうだよ! まわりのひとにもわかるようにおおきなこえで『兄上大好き!』っていわなきゃ! それでもおにいさまにいじわるするひとは、でんかのこともすきじゃないからやっちゃっていいとおもいます!」

「そうだね、やっちゃっていいよね。うん」


 殿下の顔に笑みが浮かぶけど、目には仄暗い何かが潜んでいた。正直怖いその笑みに「やっちゃう」の内容は聞かない方が良い事が解る。

 触らぬ神に祟りなしって言葉を思い出して、私はちょっと死んだ魚の目になった。

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