第285話 招かれざる客は自分がそうだとは気づかない
琥珀色の水面がゆらゆらと揺れて、木造の天井を映す。
私好みの紅茶を淹れるのはロッテンマイヤーさんが一番だけど、宇都宮さんの腕も中々だ。
冒険者ギルドの奥にある応接室、私の左右にはロマノフ先生とラーラさん、お膝にレグルスくんが座り、斜めの席にはローランさん、真後ろではベルジュラックさんが仁王立ち。
私の正面にはジュストコールの見慣れない男性と、冒険者の男性が座っていて、その後ろに露出度の高いお姉さん達がいる。
前世の際どい水着通り越して下着みたいな姿なんだけど、あれもダンジョンから出た「良いもの」なんだろうか?
防御力欠片もなさそうなんだけど。
まあ、いいか。
宇都宮さんにお礼を言って紅茶で喉を潤す。
さて、始めようか。
「ベルジュラックの件で私に話があるそうですね?」
ジュストコールの青年だけに視点を定める。
ローランさんやギルドにいた冒険者達が私に跪いたのを見て、即座に私が誰か気が付いて礼を取ったこの人はグスタフ・ヴァーサと名乗った。
ルマーニュ王国の元お役人・現冒険者ギルド職員だそうなんだけど、私には引っ掛かるものがあって。
受付にいたウサギ耳お姉さんには、それを確かめるためにちょっとお出掛けしてもらってる。
だからこその宇都宮さんの給仕なんだけど。
アッシュブロンドの髪を揺らして、ヴァーサさんは頷いた。
「左様です、閣下。漆黒のベルジュラック……シラノ・ド・ベルジュラックには、ルマーニュ王国王都の冒険者ギルドから再三出頭要請が出されています」
「そうですか。それで?」
「こちらのギルドにも、何度かベルジュラックを帰還させるように通達を出させていただきました。しかし……」
ちらりとヴァーサさんがローランさんを見る。
ローランさんはと言えば、それを「ふんっ」と鼻で笑った。
「ルマーニュ王国内ならいざ知らず、他国のギルドが出した出頭要請に強制力なんぞない。出頭要請が出てることを伝えるのが精々だな」
「捕縛案件ならともかく、出頭要請ではね」
冒険者ギルドの立ち上げに関わったとされるラーラさんも、くるくると指先で髪を弄びながら頷く。
そんな二人の対応は折り込み済みなのか、ヴァーサさんは動じた素振りもない。
しかし、連れの冒険者達はそうではないらしく、脚をガタガタと揺らす。
貧乏ゆすりとか言うアレだ。
って言うか、彼ら何でこの場に居るんだ?
まあ、聞かないけどね。
彼らに興味を持ったと思われるのも面倒くさい。
なので彼らは無視して「それで?」とヴァーサさんに続きを促す。
「冒険者ギルドの職員ならばご存じでしょうが、組織の自治に関しては約定で無闇に踏み込まぬことになっています。私が彼らに強制を課すのは無理ですよ」
私にはベルジュラックさんに出頭命令を出す気も、菊乃井からの強制退去を命ずる気もない。
はっきり言わなくとも、お役人経験者なら解るだろう。
「こちらを」
スッとヴァーサさんから差し出された封筒を受け取ると、ヴァーサさんの横に座る男がちらりと彼を見て嫌な笑いを浮かべる。
中身はと言うと、私がベルジュラックに出頭要請が出ているのを知りながら菊乃井に連れ帰ったのは、ルマーニュ王国の冒険者ギルドに対する営業妨害に当たると言うもので。
左右からロマノフ先生とラーラさんも、その手紙に目を通した後で、ローランさんにも回す。
「話にならんな。さっきも言ったが、出頭要請は強制力をもたん。本人が出頭要請を元から無視する気でいて、閣下のお声がけに応じただけの話が、何で営業妨害になるんだ」
ローランさんの言葉に、微妙にヴァーサさんが顔を強張らせて押し黙った。
妙な反応はとりあえず流しておこうか。
「そりゃあ、ギルド職員がベルジュラックを捕まえる寸前にこっちに転移魔術で移動したからだろ?」
ヴァーサさんとは対照的に、冒険者風の男がイライラしたように応じる。
後ろの女の人共々名乗られたんだけど、最初から交渉相手にするつもりが無かったからか、この人の名前が耳に入ってこなかったんだよね。
痛いところを突けたとでも思ったのか、男の口角が上がる。
だけど、そんなの痛くも痒くもない。
「私にも門限がありまして」
にこやかに告げると、ムッと男が眉を寄せた。
ロマノフ先生が私の言葉の補強をしてくれる。
「菊乃井卿は菊乃井家当主として領地の政を執るだけでなく、市井の暮らし向きも学ばねばならない。それにダンジョンのある領地の長として、冒険者のことも知っておかなければ。それには自分も冒険者として活動するのが一番ですからね。あの日は冒険者として社会見学も兼ねてアースグリムに行っていたんですよ」
「彼は普通の子どもじゃない。限られた時間の中で色々とやらなければならい立場だ。暇じゃないんだよ。この領地の賑わいを見たら解るだろう?」
「それなら冒険者の一人、捨て置かれても良かったのでは?」
ラーラさんも後を継いでくれたけれど、ヴァーサさんがそれに異を示す。
まあ、確かにそうしても良かったかも知れないけど。
「我が領地はダンジョンを有します。一人でも多くの冒険者に来てもらいたいと思うのは、道理では? まして地元のギルドが信用できないとあれば……ねぇ?」
くっと口角を上げる。
ひよこちゃんの言うところ悪いお顔を向けると、冒険者の男性と女性達が惚けて頬を赤らめた。
でもヴァーサさんには何の変化もなく。
「それは……我がギルドの不徳の致すところと心得ております。しかしながら、少し調べさせていただきましたが、こちらのギルドにもベルジュラックはあまり顔を出していない様子。それではこちらに彼を連れて来られた意味がないのでは?」
静かに問う彼に、ベルジュラックさんが僅かに動じる。
まあ、実際彼はあまりギルドには顔を出していない。
でも、そんなことはどうとでも言える。
「いいえ、そんなことはありませんよ。彼には個人的に、大きな依頼を受けてもらっていますから」
「大きな依頼?」
「はい」
彼は私との約束「ソロで帝都の武闘会で優勝」を果たすべく、エルフ先生達の特訓を受けている訳だから、「名前を成せ」というのは言い換えれば私からの依頼だ。
振り返ってベルジュラックさんに「ね?」と問えば「はい」と短く返ってくる。
「じゃあ、伯爵様の依頼を受けてるから、その野郎は帰れないってことかよ?」
「帰還を阻んだことはありませんよ。私の依頼はどこにいても遂行出来ますから」
「俺は望んでここにいる。何度も同じことを言わせるな」
冒険者風の男の問い掛けに、ベルジュラックさんを含めこちらの雰囲気がピリッとする。
室内の温度が少し下がった気がする中、たわわな胸を見せつけるように後ろの女性たち──癖のある赤毛で雰囲気からして魔術師だろう人と、銀髪をボブにしたわりと筋肉質ぽい人──が、身を乗り出してきた。
「あたし達は別にギルドが言うように伯爵様が邪魔してるなんて思ってませんわ。でも……良くない大人が周りにいるとは思いますけど?」
「ええ、本当に。周りの大人が今回のことも企んだんで……」
「黙りなさい!」
如何にも甘い声音を、ヴァーサさんが青ざめながら打ち消す。
けど、もう遅い。
ずんっと音がするほど空気が重くなって、身体にのし掛かってくる。
うーん、まあ、これくらいなら何ともないし、お膝のレグルスくんも平気そうだ。
でも私の対面に座っている人達は平気じゃないっぽい。
そりゃねー、物凄い殺気をベルジュラックさんやローランさんから向けられるだけでも大概なのに、珍しくラーラさんやらロマノフ先生からも刺すような冷気が出てるんだもん。
ガタガタと真っ青になって震える男性に、女性二人は腰を抜かして竦み上がってる。
そんな中、ヴァーサさんはちょっと冷や汗を掻いているだけ。
この人は本当に肝が据わってるな。
なんて観察していると、ローランさんが圧をそのままに口を開いた。
「初対面の無礼といい、手紙の内容といい、今の物言いといい、ルマーニュ王都のギルドは、菊乃井のギルドと戦争がしたいのか?」
「いえ、そのようなことは決して……!」
ヴァーサさんとしては「ない」んだろうな。
と言うか、この人は多分手紙の内容すら知らされていなかったんだろう。
それなら、多分私の推測は当たりだ。
すっと右手を上げると、ロマノフ先生やラーラさんからの冷気も、ローランさんやベルジュラックさんからの殺気も消える。
その代わりに、悪い笑顔に少しばかりの怒りを込めて女性達を見れば「ひっ」と悲鳴が上がった。
「無礼を赦すのはこれきりです。次はありません」
「ご寛容に感謝致します……!」
ヴァーサさんは勢いよく頭を下げた。
震えるばかりの冒険者達もローランさんに睨み付けられて、謝罪を口にする。
さて、もう良いかな。
話を終わらせるべく、私は口を開いた。
「ベルジュラックはここで私の依頼を受けていることだし、そもそも本人に帰る意思がない。だから帰らない。話はこれで終わりで構いませんか?」
「ま、待ってくれ……いや、下さい!」
冒険者の男が追いすがる。
その顔には下卑た笑いが浮かんでいた。
「俺達がソイツに代わって伯爵様の依頼を遂行するってのはどうです?」
「は?」
「俺らの位階は上の下。ソイツに出来る程度の依頼を受けてやるなんて、破格だぜ? なんならお遊びの冒険者ごっこの護衛もしてやんよ?」
いや、アンタらさっきベルジュラックさんの殺気に当てられて震えてたじゃないか。
ふうっとため息を吐く。
「寝言は寝てから言え」に衣を着せて口にしようとすると、膝からレグルスくんが降りて、ロマノフ先生に手を差し出した。
「レグルス君、どうしました?」
「せんせー、てぶくろかしてください」
「手袋?」
なんぞ?
ロマノフ先生は手袋を外すと、それをレグルスくんに渡した。
皆ちょっと疑問に思ったのか、レグルスくんの行動を見守る。
するとレグルスくんは受け取った手袋を振りかぶり。
「れーよりよわいやつが、にぃにをまもれるわけないでしょぉっ!」
べちこんっと冒険者の男性の顔に、ロマノフ先生の手袋が当たる。
ゆっくりと椅子から崩れ落ちていった男性は、白目をむいていた。
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