第274話 会うは別れのはじまり
私が「私以外の誰が」って言葉に引っ掛かったのは、当然レグルスくんの事を考えたからなんだけど、それはなにかしら言葉になる前に霧のように立ち消えた。
その代わり、くるくると目まぐるしく踊るシエルさんが視界に入る。
今度のパートナーはリュンヌさんで、大人の雰囲気漂うダンスに自然とうっとりしちゃう。
レグルスくんも奏くんも紡くんも口を開けたまま魅入ってるし、ブラダマンテさんやえんちゃん様、アンジェちゃん達からは感嘆の溜め息が漏れた。
いやー、眼福。
ほこほこしていると、ラシードさんを連れたエリックさんが階段から現れた。
本日の授業は終わりなのかな?
そう尋ねると、ラシードさんとエリックさんが頷く。
「最初から詰め込むのは良くないので」
「今日は『行政』ってなんだって話をしてもらったんだ」
ラシードさんが言うには、とても分かりやすくて面白かったらしい。
これまでとはかなり違う視点から、過去の自分がいた世界を眺めるって刺激的だもんね。
それにエリックさんが言うには、ラシードさんは飲み込みが早いとか。
明日はエリックさんがルマーニュから逃げ出すときに持ってきた本の整理をしながら、王国や帝国の話をするそうだ。
その持ち主をして「そこそこ王国の暗部が煮詰まってる」本の整理とか、大丈夫かな……?
いや、まあ、私の祖母の書斎も闇鍋だけどね。
その闇鍋をほじくり返して使ってるんだから、私も大概だ。
若干遠い目になってしまった私を他所に、見学は大いに盛り上がったようで、和気藹々と楽しい時間は過ぎていき。
天気も良くて日差しも暖かいから、街外れの丘の上で私達はお弁当を広げていた。
「えー? えんちゃん、ゆうがたかえっちゃうの?」
「うむ。日暮れと共に迎えがくる予定なのじゃ」
アンジェちゃんの寂しそうな声にえんちゃん様が頷く。
随分急だ。
確か三日くらい滞在の予定だって言ってた気がするんだけど。
引っ掛かりのは私だけじゃないみたいで、レグルスくんがこてんと首を傾げる。
「えんちゃん、みっかくらいいるっていってたのに?」
「うむ、その……姉様兄様達に会いとうなったのじゃ……」
「ああ、夜に話したんだっけ?」
「そうなのじゃ。それで、兄様と姉様ともっとお話ししとうなったのじゃ」
奏くんの質問に、えんちゃん様がはにかんで頷く。
長く離れ離れになっていたブラダマンテさんとも沢山話せたし、私達とも仲良くなれた。
それを姫君や氷輪様に早く話したい。
そういうことなんだそうな。
「すまぬな、我が儘を言って」
「いいえ。旅先で家族に会いたくなるってよく聞く話ですし」
「そうか……。この二日間、とても楽しかった。ありがとう」
「こちらこそ、楽しかったです」
ふわっと笑うえんちゃん様に、私も笑顔で返す。
レグルスくんや奏くん、紡くんも「たのしかった」とか「またあそぼうね?」とか声をかけるなかで、アンジェちゃんだけが俯いていた。
そんなアンジェちゃんの様子に、えんちゃん様が気付いて。
「アンジェ、そなたもありがとう」
「……」
見ればアンジェちゃんの肩が小さく震えている。
レグルスくんと紡くんが、アンジェちゃんの顔をそっと覗き込んだ。
そして、二人して彼女の小さな背中を擦る。
「アンジェ、おなじとしくらいのおんなのこのともだち、はじめてなんだって」
「アンジェちゃん、なかないでよぅ」
ぐすっと洟を啜る音が聞こえたところで、腰を上げかけた私やブラダマンテさん、奏くんを制して、えんちゃん様が静かにアンジェちゃんの手を取った。
「アンジェ、吾とそなたは別れても友達じゃ。この次に菊乃井に来るときは、吾もアンジェの姉のように素敵な王子様になっておく故、そなたも素敵な姫君になるのじゃ」
「えんちゃん……またあえる?」
「勿論。吾の姫はアンジェでアンジェの王子様は吾じゃ。ともにあの舞台で踊ろうぞ!」
「うん……」
「寂しくなったら空を見よ。空はこの世に一つきりじゃ。アンジェが空を見るとき、吾もまた同じ空を見ておるよ」
「うん……!」
ぐしぐしとハンカチで涙を拭いて、アンジェちゃんは花が咲いたように笑う。
ちょっとしんみりしちゃったけど、アンジェちゃんも泣き止んだところで、私はふっとあることを思い出した。
「えんちゃん様、颯に会って行きませんか?」
「え……? いや、しかし……」
「あれから颯も菊乃井に馴染んで、家族で仲良く暮らしています」
そう、妖精馬の颯だ。
えんちゃん様が姫君に妖精馬をご所望になって、それが縁で姫君は屋敷の庭に降り、私は姫君と縁を結ぶことが出来て。
えんちゃん様と颯がいなかったら、今の私はないんだよ。
颯はあれからうちの子として、ポニ子さんとグラニと仲良く家族で暮らしてる。
その姿を見て、少しでも心を軽くしてもらえれば。
「じゃが、吾は……」
「悪いことをしたと思うなら、まず謝るところから始めましょう」
神様だし、本当は謝ったりするってよくないのかも知れない。
でもえんちゃん様は、悪いことをしたと自分を責める気持ちを持っている。
それなら許されるかどうかは別として、吐き出してしまうほうがいいはずだ。
善は急げ。
私が腰を浮かせると、奏くんがおにぎりを頬張りながら「待った」と声を上げた。
「この辺はヨーゼフさんが颯とグラニの散歩コースにしてるから、そのうち来る」
「そうなの?」
「うん。前にひよさまとグラニで遠乗りしたんだけど、その時に言ってた」
側で卵焼きを食べているレグルスくんも、こくこくと頷いている。
なので腰をすとんと下ろすと、程無くして何かが来る予感があった。
すくっとレグルスくんが立ち上がる。
「ヨーゼフー!! こっちだよー!! きてー!!」
大声を上げると、レグルスくんがブンブンと彼方に向かって両手を振る。
すると小さく米粒のような物が、どんどんと近付いてきて、やがて大きな馬と小さな馬の形になって。
大きな方は背中に人を乗せていて、それがこちらに手を振る。
「だ、だん、旦那様!」
「おお、ヨーゼフ! 良いところに!」
顔が見える距離まで近付いて来て、ヨーゼフが颯の背から降りる。
するとこちらをちらりと見た颯が大きく嘶き、それからえんちゃん様に向けて膝を折った。
突然の服従の姿勢に、驚いたのはえんちゃん様の方で。
「ど、どうしたのじゃ!?」
「えぇっと、そ、その節は姫君様には、ご、ご、ごぶ、ご無礼致しました、と」
ヨーゼフが颯の嘶きを通訳したところ、颯は颯でずっとえんちゃん様にお詫びしたいと思っていたそうな。
小さな姫の初めての騎馬に選ばれ、信用して身を任せてもらったのに、自分は未熟だったから上手く走る楽しさをお伝えできずに、あんなことになってしまった、と。
「そんなこと! あれは吾がはしゃいで無理を強いたからじゃ。そなたはとても良い馬であったとも! 吾こそ無理を強いたこと、心より反省している。すまなんだ……」
「ひひん!」
「おお、また吾を乗せてくれるとな? ありがとう、颯」
えんちゃん様の指先が、そっと颯の鼻筋を撫でる。
すると颯はその頭に咲いた小さな花を、えんちゃん様の手に押し付けるように動かした。
妖精馬の親愛行動に、えんちゃん様の目が静かに潤む。
その光景は柔らかな午後の光の中で、とても神々しいもので。
思わず見惚れていると、それまで事の成り行きを見守っていたラシードさんが、私の裾を摘まむ。
「ずっと気になってたんだけど、妖精馬って……もしかしてあの妖精馬?」
「え、今ごろ?」
「や、妖精馬って気性が激しいんだろ? アイツ、アズィーズに遊ぼうって飛び付かれてビビりまくってたぞ?」
厩舎が騒がしい事があったけど、そんな事があったのか。
でもオルトロスに飛び付かれたら、颯でなくとも驚くでしょうよ。
そう言うと、ラシードさんは至極真面目な顔で首を横に振る。
「アズィーズ、颯を追いかけ回したお仕置きに、ポニ子さんに蹴り回されてた」
因みに、アズィーズの菊乃井家に所属する動物における序列は、下から数えた方が速いそうだ。
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