第275話 崖っぷちの次は綱渡り

 屋敷の応接室の大きなマホガニーのテーブルに、素晴らしく手ざわりの良い風呂敷包みがでんっと鎮座している。

 えんちゃん様は、料理長が作ったお弁当と仙桃のコンポートをお土産に、朱金の鱗も鮮やかな龍に乗って、天へと帰っていった。

 その龍がえんちゃん様を迎えに来たときに、咥えていたのがこの風呂敷で。

 ぼとって私の手の中に落としてくれたんだけど、中には姫君からのお手紙と紫闇の布地と、青色の布地が。


「……眼鏡が意味をなさない」


 風呂敷包みを開けた瞬間、ヴィクトルさんは眉間をぐりぐりと揉み出したけど、その目は死んだ魚の目になってて、そんなヴィクトルさんにロマノフ先生とラーラさんの表情がごそっと抜け落ちた。

 ああ、うん、はい。

 姫君って着道楽っていうか、本当に天界のファッションリーダーなわけで。

 持っている衣装は布地から下級とはいえ神様の手作り。

 しかもこの布地、なんと姫君のご寵愛の織女神が作った布地の最後の二巻だそうな。

 最後っていうのは、そのご寵愛の織女神が、理由があって天界から消えてしまったから。

 とても貴重な布地なので、姫君も鋏を入れさせる気にならなかったそうだ。

 そのお洒落に厳しく美意識が高い姫君が、コレクションの布地を下賜くださいました!

 なんでって?

 えんちゃん様への諸々の「お・も・て・な・し」に対する返礼です。

 もうさ、こんな大事な物をえんちゃん様へのおもてなしの返礼にする辺りで、姫君のえんちゃん様可愛がり具合が伝わってくるよね。

 惜しむらくは私達にそれが伝わっても、えんちゃん様には上手いこと伝わってなかったことだ。

 まあ、今回のことで好意は口に出さないと伝わらないって解ったって、風呂敷に同封されてたお手紙に書いてあったから、これからは違うのかな。

 んで。


「えぇっと『この生地全て、そなたとひよこの衣装とせよ。余ったならばそなたの手で活かせ』だそうですよ」

「そうですか……。となると、縫製に使う糸から何から最上級の物を使わねばなりませんね」

「うーん、糸はタラちゃんの糸で大丈夫だと思うよ。タラちゃんが普通に作る糸だって、おっそろしく効果が高いんだから。本気出したらどんだけか」

「ならどんな服を作るかで、あとの素材は決めようか。ボクも伝を当たってみるよ」


 手紙の内容を伝えると、ロマノフ先生もヴィクトルさんもラーラさんも、直ぐ様どうするか考えてくれる。

 でも、正直言うならレグルスくんの服にお金を掛けるのは良いんだけど、自分の服にお金をかけるよりは領内のことや屋鋪の福利厚生に使いたい。

 ぷちりと溢せば、ヴィクトルさんとラーラさんが首を振った。


「気持ちは解るけど、君は伯爵家の当主だ。それもかなり微妙な立場の家なんだから、侮られないよう、それなりの格好をしなきゃいけない」

「華美に過ぎる必要はないけれど、家格に合わせた豪華さは必須なんだよ。貴族はそうして体面を保ち、信用を担保するんだ」


 ぬぅ、そう言われちゃうとなぁ。

 眉毛が八の字になってる事を自覚していると、トドメがロマノフ先生から放たれる。


「君は外見も武器にすると決めたんでしょう? なら美しく装うべきですね。君がEffetエフェPapillonパピヨン製の服を着こなし、美しくあることがもっとも商品の宣伝に繋がるのだから。誰しも美には憧れを抱くもの」

「!?」


 そうだ。

 いつの時代も流行は憧れが作り出す。

 そして私がエストレージャとバーバリアンの試合を組んだのも、それが目的なんだ。

 エストレージャやバーバリアンに少しでも近付きたいと願う憧れを、EffetエフェPapillonパピヨン製の商品を身につけることで姿形から実現してもらうっていう。

 私、自分の外見のことはあんまり納得してないんだけど、これを拒んだら自社の宣伝戦略を自分で否定することになるやつじゃん!

 ロマノフ先生と、普段なんだかんだと私を飾りたがるラーラ先生が、ニマニマしながらこっちを見てる。

 ヴィクトルさんがやれやれと肩をすくめた。


「はい、三対一。この件は僕らの意見を尊重してね、商会長?」

「ぬぅ、承知しました」


 パトロンの要望は聞かない訳にはいかない。

 そんな訳で二巻の布地は私とレグルスくんの晴れの日用の衣装になることに。

 因みにこの布、今の私達の寸法で服を誂えても、成長に合わせて布地も伸びてくれるそうなので、一生涯着られる衣装になるそうだ。

 神様のお手になるもの、素晴らし過ぎる。

 そして、布と言えば。


「できたわよー!」


 えんちゃん様ご帰宅から二日ほど経った日の昼過ぎ、ソーニャさんが帝都からすっ飛んで来てくれた。

 頼んでいた幻灯奇術と遠距離通話魔術を組み合わせた、遠距離映像通信魔術付き布が完成したそうな。

 名称が長いから、後で生放送の発案者のユウリさんに名前を付けてもらおうか。

 この魔術は私の「プシュケ」と紐付けされていて、プシュケが見た映像が布に投影される仕組みになっているそうだ。

 詳しく説明されたけど、魔術理論がちんぷんかんぷんで、とりあえず複雑なのは解った。

 私があんまり理解してないのに気がついたソーニャさんが「あっちゃんは、感覚で魔術使ってるからそんなものよ」って慰められたけど、あれだよ。

 文系に化学式を説明してもちんぷんかんぷんみたいなことだよ、多分。知らんけど。

 ……なんて、私が現実から目を逸らしている間も、ソーニャさんとヴィクトルさんは魔術理論話に花を咲かせてたんだけど、百聞は一見に如かず。

 理論上やソーニャさんが出来てても、私が上手いこと投影出来なきゃ意味がない。

 だからやってみようってことになった。

 先生方三人とソーニャさんと庭に出ると、穏やかな日差しで身体が暖まる。

 この時間だとレグルスくんは、奏くんや紡くんと一緒に源三さんに稽古を付けてもらってる頃だ。

 五つの蝶々からなるプシュケのうちの一つに魔力を込めると、普段は映像や音声が私の頭に送られてくるんだけど、今回は全て遮断して投影用の布に送るようにイメージして。

 華奢に見える宝石のような羽をヒラヒラさせて、蝶々が空へと羽ばたく。

 ソーニャさんの布地には、空から見た私達が写されていた。

 蝶々に魔力を流して飛ぶ速度をあげると、布地に写る景色も流れるように変わっていく。

 すると、屋敷の奥庭で剣術に励むレグルスくんと奏くんの様子が布地に写り込んだ。

 カンカンと木刀を一合一合打ち合わせる音も、きちんとこちらに聞こえてくる。

 と、レグルスくんが奏くんの木刀を受け止めて「あ!」と上を向いた。

 つられて上を見た奏くんと紡くんが、蝶々を指差す。

 源三さんもこちらを見て、にやりと笑った。


『旦那様が抜き打ち視察においでんさったな』

『にぃにー! れー、がんばってるよー!』

『おれも!』

『つむもー!』


 きゃっきゃと、蝶々に向かって手を振る三人に、同じく手を振るように蝶々を動かす。


「こっちは実験中だから、またねー」

『はーい!』


 両手を振ってくれる三人に別れを告げて、蝶々を戻そうとする。

 抜き打ち視察か、確かにそんな風にも使え……!?

 ハッと顔を上げると、三人先生とソーニャさんが難しい顔をしているのが目に入った。

 おそらく、四人とも私と同じことに気が付いたんだろう。

 大きく息を吐くと、私はソーニャさんとヴィクトルさんに呼び掛けた。


「ロートリンゲン公と宰相閣下を通じて、この遠距離映像通信魔術の掛かった布を一巻、菊乃井から陛下へと献じましょう。必要なら私が帝都に赴きます」

「そうね、それが良いわ」

「僕がけーたんに会いに行ってくるよ」


 二人は頷いてすぐに庭から踵を返す。


「君の能力ありきですが、上手く使えば敵の偵察や秘密を探るのに利用できますからね」

「そうだね。プシュケを忍ばせる事が出来れば、あらゆる場所を覗き見出来るんだもん。使い方を誤れば危うい」

「ええ。私はそんな風にこの魔術が使われるのを良しとは出来ない。人を楽しませるために作り出したものなのだから」


 そうじゃない使い方をされることを、私は何より憂慮している。

 その言葉と共に布を献上することで、菊乃井に二心のないことを示さねばならない。

 こんな諍いに使える技能は、それを恐れて隠す方が疑念を呼び起こすんだから。

 貴族の人生って、綱渡りばっかだな。

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