第273話 彼女の過去と望みと
そんな訳で「よろしくお願いいたします」と、何度もエリックさんに頭を下げて、イフラースさんはロマノフ先生とラーラさんの待つ冒険者ギルドへと出掛けて行った。
エリックさんはラシードさんを連れて事務所へ行って、残った私達はヴィクトルさんとユウリさんに案内され稽古場へ。
板張りの床、壁に大きな鏡を打ち付けて、前世でいうスタジオっぽい造りの部屋には、凛花さんやシュネーさん、リュンヌさんに美空さん、ステラさん、シエルさんの他にも数名が、それぞれダンスの振付を確認しているのか、手足をリズミカルに動かしていた。
ユウリさんがパンパンッと手を打つ。
「皆、注目! オーナーが視察に来られました!」
「他にも見学者がいるけど、気にせず普段通りやること!」
ヴィクトルさんの言葉に、歌劇団の少女達からそれぞれ「はい」とか「解りました」とか、元気の良い返事が返ってきた。
私たちは練習を邪魔しないように、そっと近くに用意された椅子に腰かける。
アンジェちゃんがえんちゃんの横に座ると、すっとシエルさんを椛のような小さな手で指差した。
「あのカッコいいおねーちゃんが、アンジェのおねーちゃん!」
「ほう? いや、しかし、姉……?」
指先の示す方を向いてえんちゃん様は首を捻る。
そりゃそうだ。
シエルさんはお稽古でもシャツとスラックスを着て、少年のような姿をしてる。
シエルさんだけでなく、他にも少年に見える子達がダンスのお稽古に励んでいた。
目を白黒させるえんちゃん様に、アンジェちゃんは「ふんす!」と誇らしげな顔をする。
「アンジェのおねーちゃんは、カッコいいおとこやくさんでおーじさまみたいなの!」
「王子とな?」
「うん! ぴせるのおねーちゃんたちのこと、もちあげてくるくるおどれるのよぉ!」
きゃらきゃらとお姉さんの自慢をするアンジェちゃんに、えんちゃん様は頷いてシエルさんを見る。
二人のやり取りはお稽古場に響いて、歌劇団の少女達は皆ほっこり顔だ。
ユウリさんとヴィクトルさんも、幼女二人を微笑ましく見守っている。
「アンジェは姉が好きかや?」
「うん! えんちゃんは?」
「吾も好きじゃ。アンジェや紡の言うように、沢山好きと伝えたのじゃ」
その言葉にアンジェちゃんや、聞くともなしに聞いていた皆が一斉にえんちゃん様を見る。
「えんちゃんのお姉さん、来たのか?」
「うむ。昨夜特別に来てくださった」
「おはなし、できた?」
奏くんと紡くんが心配そうに問いかけると、はにかんだ様子でえんちゃん様が頷く。
ブラダマンテさんがそっと私を窺っていて。
声をかけると、そっと屈んで耳打ちの姿勢になった。
「実は昨日、勿体無くも同じベッドで一緒に休むと仰って、そのようにしたのですが」
「……おいでになられましたか」
「はい……その……姉君様がいらっしゃった後で、兄君様方が……」
説明しにくそうにしながらも、ブラダマンテさんが教えてくれたんだけど、やっぱりあの後で神様方はえんちゃん様の顔を見に行ったそうな。
えんちゃん様は凄く喜んだんだけども、時間は深夜、ブラダマンテさんは妙齢の女性、しかも寝間着。
これに対して「気遣いのないことを!」と、姫君が激怒。
男神様三人を正座させてこんこんとお叱りあそばしたそうで。
「姉君様も兄君様もことのほかえんちゃん様を心配なさってのことですし、それに氷輪公主様はすぐに男神姿から女神姿に変わってくださいましたので……」
「姫君は女性の守護神でいらっしゃいますから」
「然様に鳳蝶様とお約束なさったと、姫君様よりお聞きいたしました」
「はい、優しいお方ですので」
「姉君様に兄君様方が叱られてるのを見て驚いておられましたけれど、それぞれに案じていたとお声をかけられて喜んでおられました」
ブラダマンテさんが淡く笑むのに、私も笑みを返す。
それを見てブラダマンテさんは「心配してたんです」と、呟いた。
「呪術師を討ち果たすための戦いに旅立ったことは後悔しておりませんが、私にもしもがあった時、あのお方の寂しいお心を誰が慰めて差し上げるのか……それがとても心配で」
「それは……」
胸の前で手を組んで祈るような仕草に、胸がざわめく。
ブラダマンテさんが静かに話すことには、彼女とえんちゃん様が出会ったのは、今の私と似たような年だったらしい。
ブラダマンテさんは小さい頃からお転婆で、お母様の心配もどこ吹く風で色んな所に一人で出掛けていたそうだ。
そんな折、家の近くの森の奥深くにあった湖で、太陽の色に似た鱗を持つ小さな龍が怪我をして動けなくなっていたのを見つけて。
「その龍がえんちゃん様の飼い龍だった、と?」
「はい。家に連れて帰って母と怪我の手当てをしていたら、どうにか動けるようになったようで。飛び立った次の日に艶陽様が龍を抱いて我が家をお訪ねくださいましたの」
それ以来、えんちゃん様はブラダマンテさんをおとなうようになり、私がそうしたようにブラダマンテさんもえんちゃん様ただ一人を至上の主と定めたのだとか。
なら、どうしてその主からはなれたのかと言えば、ブラダマンテさんが倒した呪術師は禁呪を使い、それこそ天に通じる穴を穿とうとしていたそうで。
「放っておけば艶陽様に害をなすかもしれない。それほどに、彼奴は強う御座いました。だからその当時、桜蘭、いえ、帝国にすら並ぶもの無き無双の巫女と謳われた私が彼奴を止めねばと……!」
「そうだったんですね……!」
何と言う忠義心!
わ、私だって気持ちは負けてないけど!
負けてないけど、一人で戦いにはいかないよね。
だって私、弱くはないけど上には上がいるもん。
それも身近に英雄が三人も。
そこまで考えて、ふと疑問が沸き起こる。
ブラダマンテさんは当時天下無双の巫女さんって言ったけど、帝国にはロマノフ先生やヴィクトルさん、ラーラさんがいるわけで。
しかもブラダマンテさんが捕まってたデミリッチを、ロマノフ先生は瞬殺出来るくらい強いって……。
あれ?
なんか、変だ。
そう言えばブラダマンテさんはソーニャさんとは知り合いだけど、ロマノフ先生のことは知らなかった。
ロマノフ先生もブラダマンテさんとは面識がなかったんだよね?
んんん?
どういうこと?
あのデミリッチは姫君のお蔭でかなり弱体化してたみたいだけど、それでも高名な冒険者パーティであるバーバリアンの三人が、自らを足手まといかもって言うくらいには強かったはず。
ブラダマンテさんも弱い訳じゃない。
けど、あのデミリッチに捕らわれていたんだから、ロマノフ先生より強くはない訳で。
でもブラダマンテさんは無双の巫女と呼ばれていた時期がある。
それは、もしや……。
いや、でも、そんなことってあるんだろうか?
口の中が、何だか乾く。
私は乾いた舌を、頑張って動かした。
「あの、ブラダマンテさんって……もしかして……『短剣の聖女』本人だったりします?」
「……本当にお気付きでなかったんですね」
「へ!?」
思いもよらない返事に、意図せず大きな声が出た。
そのせいでレグルスくんたちの視線が私に集中するけど、流石歌劇団のメンバーは一糸乱れずダンスを続けている。
驚いたように私を見た後、レグルスくんがちょこちょこと私の服を引っ張った。
「にぃに、どうしたの?」
「え、や、どうって言うか……ちょっとびっくりして」
素直に話せば、レグルスくんもうんうん頷く。
「シエルくん、ちからもちだもんね! れーも、びっくりした!」
そう言われて歌劇団の練習風景に目をやれば、シエルさんが美空さんを抱き寄せてリフトしているのが見えた。
シエルさんの首に腕を回した美空さんも、体勢を崩さないようにくるくると廻されてる。
リフトって実は腕力はあまり関係なく、お互いの信頼関係のが重要って聞いたことがあるんだよね。
でも、それを今ここで言うのも無粋かな。
二人の見事なダンスに拍手を贈ると、皆が同じように拍手する。
「しゅごいでしょ、アンジェのおねーちゃん!」
「ああ、凄いな! それにとても姿が良い! 吾もあのように振る舞いたいものじゃ!」
「アンジェも、おねーちゃんみたいになるの!」
誇らしげなアンジェちゃんの横顔に、えんちゃん様も微笑む。
「吾もあのように男子の格好が似合うかの!?」
「えんちゃん、おとこのこのやくするの?」
「うむ! 吾も王子とやらになりたいのじゃ!」
「そっかー。アンジェはねー、おひめさまにもなりたいの。おねーちゃんはいつも、アンジェのなりたいものになればいいよっていうの。だから、アンジェはやさしいおひめさまになりたい。でもおねーちゃんみたいに、つおくてかっこいいひとにもなりたいの」
「そうかや。では吾が王子でアンジェが姫じゃな!」
「うん!」
きゅっと二人の幼女が手を取り合って夢を語る。
それはとても美しい光景で。
「良かった。あの方に寄り添ってくださる人が、私以外にも見つかって……」
「ブラダマンテさん……」
「私は人間、いつかはあの方を置き去りにします。だから、私のいなくなった後、あの方の心を誰が守ってくださるかとても心配だったんです。私以外の誰が、と……」
二人を見つめるブラダマンテさんの双眸には光るものがあった。
けれど、私の胸に刺さったのは「私以外の誰が」と言う言葉の方だった。
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