第271話 冷たいお水と詰めたい距離と
声にならない悲鳴を上げてベッドから飛び起きると、そのままベッドヘッドにぶつかって頭が痛い。
ついでに心臓も跳び跳ねて動悸が酷すぎる。
「ごめんね、驚かせて」
「な、なな、なん、なん、なんでっ!?」
「ああ、うん。後ろのオジサン二人と、天にいる怖いおばさ、げふん、お姉さんに頼まれたのと、僕が心配だったから? 僕一応医神だしね」
酸素の足りない金魚みたいに口をパクパクさせる私に構わず、イゴール様は私の腕や額に触れる。
その肩越しにソワソワした様子の、本日のお召し物はやたら豪華な黒と紅が使われた漢服の氷輪様、それからドレットヘアと筋肉美がマッチしてるロスマリウス様が見えた。
何事!?
あわあわしていると、イゴール様が長く息を吐く。
「うん、受け止めたのが艶陽の神威だったから良かったね。本当なら魔素神経が全廃でもおかしくない感じの焼かれ方をしてる。けど、あの子の力は生命への祝福だから、反対に物凄く強化されてるよ。君の師達は実に素晴らしい働きをするね」
「そうかい。一安心だな」
『ああ、だが念のために
イゴール様の言葉を受けて、ロスマリウス様がほっとしたようなお顔をして、でも氷輪様は何だか水差しと綺麗な切子のようなグラスを私に持たせる。
それを見たイゴール様が「いやいや、そこまでじゃ……」と口したら、凄い目付きで氷輪様に睨まれて。
「ああ、うん。良いんじゃない? 離魂症もなりをひそめるだろうしね! って言うか僕も百華から桃を沢山預かってきたんだよ。つべこべ言うなら無理にでも口に突っ込めって言われてるし?」
見事な手の平返しだけど、驚く所はそこじゃない。
「桃って……?」
「うん? そりゃ仙桃だよ。百華の桃って言ったらそれしかないでしょ」
「ひょえ!?」
ちょっと状況が飲み込めない。
だって起きたら神様がお三方もいらした上に、何で水差しとか仙桃を渡されるの!?
軽く目を回していると、ロスマリウス様に頭をポンポンされた。
「そりゃお前、お前が艶陽の神威を受け止めるなんて無茶苦茶すっから、無事を確認しに来たんじゃねぇか」
「へ……?」
「そうだよ。ただでさえ末っ子の面倒見させて悪いなって思ってた所にアレだもん。百華なんて真っ青だったよ」
『済まぬな。我らがどうにかせねばならぬことであったものを、お前ならば何とかなるのではと思ってしまった。何とかなりはしたが、お前と師を危険に晒した』
氷輪様が頭を下げると、イゴール様もロスマリウス様も、それぞれ謝罪の言葉を口にされる。
いやいやいやいや!
「頭を! 頭をお上げください! あれは、私がやりたくてやったことで!」
未熟にも逆流なんかやらかして、私と先生が揃って吐血したから、さぞかしえんちゃん様も怖かったろう。
そんなつもりがなくて誰かを傷つけたら、物凄くショックを受けるんだ。
身をもって知ってるだけに、あれがえんちゃん様の傷にならなきゃ良いんだけど。
そう伝えると、ロスマリウス様とイゴール様が複雑そうな顔をして、氷輪様が顔を片手で覆った。
「いやぁ、良い子だよね」
「まったくだ。誰だよ、こんな健気な子どもに危ないことをさせたのは?」
「百華なんて、真珠百合を通して直ぐ様この子と師匠に守りの術をかけてたけど、それでも血を吐くくらいだもんなぁ」
『ぐ、返す言葉もない』
氷輪様の手が顔面にめり込んでる気がするけど、それよりイゴール様が仰った「百華」と言うのが気にかかって。
首を傾げると、イゴール様にお尋ねしてみた。
「姫君が見ておられたんですか?」
「そうだよ。君が何かしようとしてるの察して、真珠百合を媒介に神威を君と師に送ったらしい。もっとも、真珠百合に掛かる負担を考えたら、掠り傷を癒す程度の微々たるものしか送れなかったそうだから、艶陽の力を受け止めたのは君と師の実力さ」
肩を竦めたイゴール様が「ね?」と、ロスマリウス様に振る。
振られたロスマリウス様は、組んでいた腕をほどいて、顎をぼりぼりと掻いた。
「艶陽がいくら弱体化してても、神威を受けて魔素神経が焼けただけで済むなんざ、余程の研鑽の結果だろうよ。よくやった。お前もお前の師も誉めておくぞ」
「ありがとうございます」
ロスマリウス様にワシャワシャ頭を撫でられてお言葉を賜ったので、お礼をきちんと言おうとベッドから抜け出そうとする。
でもそれは氷輪様に止められた。
『先に変若水を飲んでからだ』
「これ……お水ですか?」
『月の宮にある
「ははぁ」
そんな訳で渡された水差しからグラスに移した水を含むと、口の中に爽やかな冷たさと仄かな甘さが広がる。
天上はお水も美味しいんだな。
ごくりと飲み下すと、何だか元気になった気がする。
はふっと息を吐けば、イゴール様にぷにっと頬を摘ままれた。
「百華から預かった桃も置いておくから皆で食べなよ? 百華が『絶対に食せ』って言ってたし、艶陽もこの桃大好きだから、明日のデザートにでもしてやってよ」
「あ、え、えっと、はい」
でも、なんで?
きょとんとすると、私を囲むよう、ベッドに神様方が腰かける。
「艶陽が悩んでたのは知ってたんだけどね。僕達はあの子に兄らしい事をしてやって来なかったからね」
「気にはなってたんだがな。だが、四六時中一緒にいてやれる訳じゃない。精々がたまに様子を見に行ってやるだけだ。近いようで隔たりのある俺達では、そんなに深い話も出来まいよ」
『精神の年齢が近そうなお前であれば、艶陽も心を開けるのではないかと思ったのだ。百華もお前は弟の世話をしているから、末の子の扱いを心得ているだろう、と言うし』
「ああ、なるほど。でも、えんちゃん様は、本当に皆様とお話したいんだと思いますよ。だって……」
兄様と姉様って言ってたもん。
認めて欲しい、こちらを向いてほしい。
好きになってほしい。
誰かにそう期待することの苦しさは知っている。
そっと目を伏せると、さわさわと三つの手が私の頭を撫でた。
「すまんな。お前も随分苦しんだろうに、古傷に爪を立てるような真似をして」
「ごめんよ、僕ら神同士はお互いの心の声が聞こえないんだ。普段は人の子の心の声を聞いているだけに、聞こえないことに臆病になってしまって、お互いの距離を詰めかねる時があってね」
『お前が艶陽に告げたように、あれの寂しさを汲んでやれなかったのが情けなくてな。どうしてやれば良いかも解らなかった……。ここに通っているのだし、さっさとお前に相談すれば良かったのだ』
お三方とも、眉を八の字にして悄々としておられる。
神様は神様で、それぞれ悩み深いようだ。
だけど、一つ解ることがある。
「どうか、えんちゃん様とお話をなさってください。皆様がえんちゃん様を想うように、えんちゃん様は皆様が好きです。それをどうか伝えあってください」
思えばレグルスくんは、ずっと私に気持ちを伝えてくれていた。
ロマノフ先生も、ロッテンマイヤーさんも、私の周りにいてくれる人は皆、その心を取り出す代わりに言葉を惜しみ無く注いでくれている。
私だってその気持ちを素直に受け止めたい。
だけど、まだ怖いんだ。
そんな怖がりな私が言うことじゃないのかも知れないけど。
もじもじとシーツを弄っていると、ぐりぐりと三つの手がまた私の頭を強めに撫でた。
『この後会いに行く』
「寝てるかも知れんが、顔を見てくるさ」
「百華がもしかしたら呼び掛けてるかもだけどね。僕らに君の事は任せたから、艶陽のことは任せろって言ってたしね」
『ああ。お前のことだから、艶陽を優先しろと言うだろうから、自分がそちらに回るとな』
きっと凛とした表情で仰ったのだろう。
姫君のお姿が目に浮かぶようだ。
良かったですね、えんちゃん様。
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