第270話 猛省、一歩戻ってまた進む

 神狼族の獣人は、強いけれど惚れっぽい。

 自分より強い者には従いたくなる性質のせいで、男性女性問わず、強ければ忠誠を誓いたくなるそうだ。

 だけど、一度誰かに忠誠を誓うと、その誰かより強い者が現れても一向に靡かないとも。


「……そんで、あーたんに服従したっぽいし、じゃあ今のあーたんの実力ってどんなもんかと思って、本気でお互い魔術を打ち合ったって?」

「……はい」

「そうなんですよ。鳳蝶君が思いの外強くて、ちょっと本気になってしまって」


 腕組みをして胡乱な目を向けてくるヴィクトルさんに、私とロマノフ先生は苦く笑う。

 あの後、心情的には納得いかないところはあったものの、私が「悪い顔」だと思っていた表情には、【威圧】と【魅了】が微量とは言え含まれていることを理解して、その上で影響を考えながら使うと、先生と私は約束した。

 のは、良いんだけど。

 顔は爪を立てたのと泣いたのでぐちゃぐちゃ、ロマノフ先生は私の魔力の暴発を防ぎきれずに傷を負った訳で。

 これをどうやって誤魔化すかと話し合った結果、ベルジュラックさんの種族の話と合わせて、煙に巻いてしまおうと画策した。

 いざ屋敷に帰って来ると、玄関でヴィクトルさんとロッテンマイヤーさんが仁王立ち。

 二人とも私達のボロボロさ加減に絶句してから、揃って悲鳴を上げたから、さあ大変。

 レグルスくんも奏くんもえんちゃん様もやってくるし、ラーラさんも駆けてくる。

 そして絞り出した言い訳に、ヴィクトルさんの額に青筋が浮いた。


「アリョーシャ、君って奴は!?」

「あ、あ、違うんです! 私が先生を怪我させちゃって、動揺したからで……!」

「いやー、強かったですねぇ。まさか手袋越しなのに爪を弾き飛ばされるとは」


 朗らかに笑うロマノフ先生と対照的に、ヴィクトルさんとラーラさんは物凄くお怒り。

 ロッテンマイヤーさんは心配げに眉を寄せたまま、私の顔を覗く。


「傷の手当てを致しましょう」

「や、別に、そこまで酷くないので……」

「小さな傷を侮ってはいけません」


 そっと頬に触れていく手は、柔らかくひんやりしていて優しい。

 本当は多分、ロッテンマイヤーさんもヴィクトルさんもラーラさんも、力試しが嘘だって気づいているんだろう。

 でも黙っててくれる。

 それはきっと、今は未だ私が触れてほしくない場所だって解っててくれるからかな。

 押し黙ると、ロッテンマイヤーさんは救急箱を取りに行き、代わりにレグルスくんと奏くんが、ラーラさんやヴィクトルさんの後ろからやって来た。

 レグルスくんが、私のお腹に飛び付く。


「にぃに、せんせいにかったの?」

「え、あー……勝ってはないかな」

「でも負けてもないんだろ?」

「う、んと……解んない」


 奏くんの問いに答えられずに首を否定系に動かす。

 すると、ヴィクトルさんやラーラさんに詰め寄られていたロマノフ先生が笑った。


「まだまだ負けませんよ。ただちょっと大魔術を使われたのが予想外で、対処が遅れて爪が弾けたり掠り傷が出来ただけですし」

「大魔術……? 若さま、味方に当たるの怖いから使わないって言ってるのに、珍しいな?」

「え、あ、た、偶々? ロマノフ先生だけしかいなかったし」

「まあ、的が一つなら間違えないよな。英雄相手にそれってすげぇじゃん!」


 ちっとも凄くない。

 自分の嫌なところを突きつけられた嫌悪感で爆発した上、先生に怪我までさせたんだもん。

 悄々する私を見て、ラーラさんが肩を竦めた。


「気にしなくていいよ、まんまるちゃん。仕掛けたのはどうせアリョーシャだろ? それなら怪我をしないよう万全の姿勢でやるべきだったんだ。それを怠ったアリョーシャがいけない」

「でも……」

「でも、じゃない。こうなる予測が付いたなら、その時点で対処するべきをしなかった。それでまんまるちゃんが気に病むのも、アリョーシャは解ってる事だからね。配慮が足りない」

「全くもってその通りです。言葉もない」


 苦く笑うロマノフ先生に、ヴィクトルさんも頷く。

 結局、私とロマノフ先生の怪我は、何か言いたげにしてたけど何にも言わずにえんちゃん様が治してくださった。

 けど、やってしまった事はなくならない。

 怪我の治った手で、ロマノフ先生に撫でられて、改めて謝ろうとすれば「皆には内緒です」と、唇の前で人差し指をしっと立てられてしまった。

 夜は菊乃井家在住メンバーに、えんちゃん様とブラダマンマテさん、奏くんと紡くんにアンジェちゃんも交えてお食事会。

 明日の予定をどうするかと言う話になった。


「吾は姉様から、菊乃井には歌や踊りが見られる場所があると聞いたぞよ?」

「ええ、はい。ありますが……」 

「そこに行きたいのじゃ」


 えんちゃん様が頬を染めて仰る。

 これに喜んだのがアンジェちゃんで。


「あのねぇ、アンジェのおねーちゃん、おうたもダンスもじょーじゅなのよぉ!」

「そうかや! 吾もアンジェの姉の歌や踊りを見たいぞよ!」


 アンジェちゃんとえんちゃん様はすっかり仲良くなったようで、きゃっきゃする二人を皆が和やかに見ている。

 それなら明日は歌劇団の視察に行こうか。

 そう考えていると、ラシードさんがすっと手を上げた。


「俺、明日は役所に行きたいんだけど……」

「役所ですか?」

「うん。領地の経営とか統治を学ぶには、そう言うとこに勉強に行った方がいいかなって」


 まあ、確かに。

 私も直接的な運営はルイさんに任せている所も多いし、学ぶなら確かにルイさんは適任なんだろう。

 しかし、後ろに控えていたロッテンマイヤーさんに視線をやると、彼女は仄かに「否」と首を動かした。

 そしてすっと近付いてきて、私の耳に口を寄せる。


「サン=ジュスト様に教えを乞うには、ラシード様はまだ知識が不足しているように思います。まずはミケルセン様に基礎を学ぶようにされては?」


 頷くと私はラシードさんに答えた。


「ルイさんの仕事はかなり複雑です。予備知識がないと、何をしているか理解が出来ないこともあります。なので、基礎的なことを先に学んでは?」

「基礎的なこと?」

「はい。貴方のいた一族と、街の統治はかなり種類が違うと思います。その違いから説明して貰うには、ルイさんは多忙を極めています」

「そ、そうか。代官なんてそりゃ忙しいよな」

「ええ。ですが幸いなことに、かつてルイさんの元で働いてた人が、歌劇団の事務局長をしてくれています。彼にまず基礎的な事の教えを請うては?」


 ミケルセンさんは歌劇団の事務局長だけど、街の様子から景気の動向やらをルイさんに報告してくれてるそうな。

 一人で何人分もこなせちゃう人が集まってくれてて助かるけど、見合うお給料が出てるのか、本当に気になるよ。

 ルイさんもミケルセンさんも「妥当線です」っていうけど、本当に本当かな。

 世間の相場が解んないってこう言うとき、実に良くないよね。

 そう言うこと含めて、私もラシードさんも学ばなきゃいけないんだ。


「だな。お前が勉強不足だって言うなら、俺なんか赤ん坊みたいなもんだ。ミケルセンさんって人に、お願いする。会わせてくれるか?」

「ええ。でも知らないことは恥ではなく、知らないでいることを良しとするのを恥じましょう。赤ん坊だって育つんだから」

「ああ、そうする」


 そんな訳で明日は皆で歌劇団の劇場を見学しに行くことに。

 ヴィクトルさんが早速小鳥のような使い魔を飛ばしてアポを取ってくれた。

 因みに、この使い魔はタラちゃんやござる丸と違って、魔力を固めて作る無生物なんだとか。

 明日の予定も決まったところで、お食事会はお開き。

 アンジェちゃんとブラダマンテさん、えんちゃん様は奏くんと紡くんを迎えに来た源三さんと、一緒に街へと帰っていった。

 立て続けにあった出来事のお陰で、私も大分と消耗してたのだろう。

 お風呂に入ってレグルスくんにお休みのお歌を歌ったら、自分もベッドに入って。

 それ以降の記憶が全くない。


『……! ……!』

『……なに……だら、……ってば!』

『……せぇ……。で、……よ?』


 何かの気配と声を感じて、薄く目を開く。

 ぼんやりと開けていく視界に、徐々に金の髪が見えて。

 驚いて一気に目を開けると、イゴール様のドアップ。


「あ、鳳蝶、起きちゃったね?」

「────っ!?」


 何事!?

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