第264話 ご対面だよ、おっ母さん!

 雪に紛れて緑が見え隠れする地面から、にょきっと生える葉っぱが針のように細い木々。

 その隙間を縫うように、大きな梟が飛ぶ。

 先頭を行く子羊は楽しそうにメェメェ鳴いてるんだけど。


「親を呼びまくってるぞ」

「ご機嫌は?」

「悪くない。けど周りの視線が刺さる」


 ラシードさんが顔色を若干悪くしながら、子羊の鳴き声を解説してくれる。

 そうなんだよ。

 森に入った途端、此処彼処に大きな羊が現れて、じっとこっちに視線を向けてくる。

 見てくるだけなんだけど、圧が凄い。

 だけど、それを感じてるのはエルフ先生達や、ブラダマンテさん、イフラースさんの大人組と、私や奏くんやラシードさんの中途半端な子ども組で、レグルスくんや紡くん、アンジェちゃんは感じてないようだ。

 えんちゃん様も何処吹く風って感じだけど、そもそもえんちゃん様に圧をかけられる存在なんて、この地上にはいないだろう。

 その内、子羊の鳴き声に呼応するように、周りの大人羊が鳴き出した。


「あれ、大人の絹毛羊怒ってるの?」

「いや、警戒はしてるけど……どっちか言えばあっちも困ってるから王様を呼んでる感じ……なような?」


 ああ、うん、だろうな。

 話せなくても何となく、それは解る。

 だってお家に神様が来ちゃったんだもん。

 そりゃあ、困惑するよね。


「若さまの家の人みたいだな!」

「おぅふ、やっぱり皆驚いてるよね……」

「そりゃあなぁ。アリス姉とか、玄関が突然開いたら『こんにちは』って言われるから、呼び鈴鳴らない時に玄関の扉が開いたら背筋がピンッてなるって言ってたし」

「あれは、奏くんとレグルスくんが『玄関から来なきゃダメじゃん』って言うからでしょ」

「それは正直悪かったと思うから、『入る前に呼び鈴鳴らさなきゃダメじゃん』って言っといたぞ」


 マジか……。

 奏くん、つおい。

 と言うか、イゴール様が奏くんみたいなタイプを好んでるんだろうな。

 発想が面白くて、権威を尊重はするけど必要以上に阿らない。

 とてもおおらかだけど、詰めるとこは詰める、そんな人。

 次男坊さんもきっとそんな人なんだろう。

 だからこそ、その言葉を聞いてくれるんだ。

 その話に、ラシードさんが首を傾げる。

 そうだな、彼も菊乃井うちの人になったんだ。

 事情を教えておかないと、何かあった時に肝を潰すはめになるのはラシードさんとイフラースさんだもんね。

 ちらりとラシードさんに視線を向けると、私は小さな声で彼に話しかけた。


「詳しくは帰ってから話しますが、私は神様から加護をいただいている身なんです」

「そ、そうか……。いや、薄々そうかなとは思ってたけど」


 まあ、ね。

 えんちゃん様の正体に薄々感付いてたみたいだもんな。

 こくりと頷いたラシードさんに、奏くんが首を横に振った。


「もうちょっとちゃんと言わなきゃ。家に神様がよく来るから、ラシード兄ちゃんもそのうち会うかもよ」

「は!?」


 ラシードさんの目が飛び出そうなほど見開かれる。

 このリアクション見ると、やっぱり家に神様が来るって普通じゃないんだな。

 気さくにお出でくださるから慣れてきちゃったけど、親しき仲にも礼儀ありだ。

 その辺はちゃんと意識しておかないと。

 そんなことを考えながら歩いていると、ふと足もとに影が射す。

 翁さんが一際高い木の梢に止まると、てけてけとテンポよく歩いていた子羊も止まった。

 それから高く元気よく「メェェェ!」と鳴くと、眼前に大きな巌が現れる。

 その巌が、のそりと動いた。

 って、巌は動かないんだから、これは──!


「お若い方々、紹介しよう。絹毛羊の王じゃ」

「…………っ!?」


 翁さんが静かに告げると、のそりと巌が立ち上がる。

 ゆっくりと見上げれば、菊乃井屋敷の二階の屋根と似たような高さに羊の顔が現れた。

 金の、月を横にしたような目が、私達来訪者を悠然と見下ろす。

 子羊が再び高く鳴いて、その大きな羊に抱きつくように突進して、ラシードさんが「え!?」と、驚きの声を上げた。


「どうしました?」

「や、子羊が『母ちゃん』って……」

「母ちゃ……、女王様!?」


 王って言うから、てっきり雄だとばっかり思ってた。

 私だけじゃなく皆そうだったみたいで、一瞬ざわつく。

 そんな私達の様子に、翁さんが羽をバタつかせた。


「人間のような区別が我らにはないからのう。強い者が王じゃ。そこに雄だの雌だのは関係がない」

「なるほど、シンプルですね」

「さて、我らからすれば人間が煩雑すぎるのよ」


 ふっくらとした胸を揺らして翁さんが笑う。

 泰然とした姿はまさに森の長老って感じ。

 見事なもふもふに感心していると、絹毛羊の王が鳴いた。

 すると周囲にいた羊達が、こちらに背を向けてどんどん遠ざかって行く。

 仕舞いには絹毛羊の王と、その一粒種のプリンスくんと翁さんだけになって。

 絹毛羊が足に子羊を埋もれさせたまま、穏やかに鳴いた。

 ラシードさんがイフラースさんと視線を交わし、一つ頷いてから唇を開く。


「……えぇっと、『うちの子を助けてくださってありがとう』だってさ」

「ああ、いえ……その……」


 花園の掟を破った人間がいることを説明しようと思ったんだけど、子羊を助けた私達も人間だけど、傷付けたのも人間な訳で。

 種族的マッチポンプ過ぎて説明しにくい。


「密猟者の件は私が伝えましょうか……」


 悩んでロマノフ先生に助けを求めれば、先生はそれを察してくれて。

 バサリと翼をはためかせた翁さんが、胸をふるふると動かした。


「よいよ、この翁が説明しよう」

「あ、はい。お願いいたします」


 ありがたくお願いすると、翁さんが絹毛羊の王に向けてほうほうと話すように鳴く。

 絹毛羊の王はその鳴き声の切れ目に合わせて、まるで相槌や質問をするようにメェメェ鳴いた。

 子羊も同じくメェメェ。

 やりとりだけ見ていると、大きな羊と子羊と梟とか、メルヘンで和む。


「にぃに、どんなおはなししてるのかな?」

「こひつじ、おこられる?」

「しかられちゃう?」

「どうかな? 勝手に遊びに行ったことは叱られるかもだけど、それ以外はこっちが叱られそうな気がするよ」


 レグルスくんと紡くんとアンジェちゃんがアズィーズやガーリーから降りて来て、じっと成り行きを見守っている。

 えんちゃん様もブラダマンテさんと手を繋いで、子羊を心配そうに見ていた。

 奏くんがラシードさんとイフラースさんに問う。


「怒られてんの?」

「ああ、いや、うんと……」

「怒られてはいないですね。諭されてはいますが」


 イフラースさんによると「危ないところに行ってはいけない」とか「今回は運が良かっただけで、本当なら二度と会えないところだった」とか、そんなことを翁さんに話を聞いては、絹毛羊の王が子羊に伝えているそうな。

 だけどラシードさんは首を捻る。


「言ってることは解るんだけど、それに混じって小さい声で『おにいちゃんをしからないで』とか『あたちがいけないの』とか聞こえるのは何だろ?」

「ああ、そう言えば……」


 ラシードさんの疑問にイフラースさんも頷く。

 するとそれが聞こえたのか翁さんがほうほうと笑った。


「おお、それは王にお預けした星瞳梟の雛じゃよ。坊はどうやら雛のために真珠百合の実を採りに行ったのじゃな。ほ、善きかな善きかな!」


 メェメェと大小の羊が鳴く。

 確かに行いは良いと思うけど、危ないには違いない。

 でも人間が悪心さえ起こさなければ、彼処はそんなに危ない場所ではなかったんだよね。

 私は王に向かって頭を下げた。


「同じ人間として、子羊を危険に晒したことを心からお詫び申し上げます。ですが、悪心を起こしたのは一部であって、大多数の人間は絹毛羊や星瞳梟の皆さんから恩恵を受けていることをきちんと承知しています」

「うむ」


 翁さんが羽を大きく震わせて、私の言葉を絹毛羊の王に伝えてくれたようで、こくりと王の首が縦に動く。


「今回のことを大目に見てほしいとは言いませんが、出来うるなら人間のことは人間に任せていただきたい」


 きっぱりと言い切ると、翁さんの目が細まる。

 快・不快が読み取りにくいけど、甘いと思われても仕方はない。

 でも私は、密猟者達を許してやってほしいわけじゃないんだ。


「きっと今までに何度も人間は彼処の不文律を破って来ているんでしょう。わりと我々は学ばないところがありますし。しかも人間と言うのは度しがたいくらい性根の捻れた生き物で、今回のように自分達が悪いことをしたのに、そのしっぺ返しを喰らうと、今度は迷惑を掛けてしまった側を恨むようになるんです。だから、余計な関わりを持たぬ方がいい。いや、絹毛羊の皆さんに益があって、人間が貴方達を大事にする分には、利用してやればいいと思いますが……」


 いや、本当に。

 心からそう告げると、翁さんが身体を震わせて大笑いする。

 何でさ?

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