第265話 毒は薬にもなるけど、大体劇薬

 大きな梟が大笑いすると、止まっている梢が軋む。

 翁さんは一頻り笑ったあと、ほうほうと小首を傾げていた絹毛羊の王に何事か語りかけた。

 すると、一瞬間が相手からまるで大笑いするかのように王の巨体が揺れる。

 しかも、メェメェめっちゃ鳴いてるし。

 何が何やら解らないので通訳を頼もうとラシードさんを見ると、明らかにドン引きしたような顔で私を見ていた。


「何ですか?」

「いやいや、お前……。めっちゃウケてるけども」


 ウケてるのか。

 怒られるよりはいいけど、何がウケたんだろう。

 不思議に思って首を捻ると、翁さんが笑いを収めて嘴を開いた。


「いやいや、お若いのは実に愉快な御仁よな」

「そうですか?」

「うむ。この翁が知るだけで今回のようなことはもう三度ほどになるかな? その度にお若いののように王に赦しを求める人間と会ったが、誰も彼も口を揃えて『人間も悪いやつばかりじゃない、信じてくれ』と言う」

「あー……」

「お若いのは逆に『信じなくていい』・『距離をおいて構わない』と言うのじゃから、面白い」

「赦す赦さないを決めるのは被害者の権利で、加害者が要求することじゃありません。私は子どもで物を知らないところはありますが、いくらなんでもそんな恥知らずではないつもりです。今度の事で距離をおかれても当たり前だと思うし、信を得られないのも当然の事だと考えるから、そう言っただけです。人間が貴方達の毛刈りをするのは、そこに利益が生まれるからだし、お互いに利益がある関係は下手な精神的結びつきだけより、ずっと強固な関係ですよ。星瞳梟と絹毛羊がそうでしょう?」

「確かに、そう言う言い方をすればそうじゃな」

「利用出来る分には付き合う。人間とはそのくらいの距離感と信用でいた方が、人間も自分達が赦されてる訳じゃないことを自覚出来ます。人間は忘れる生き物だ。主導権はお前達でなくこっちが握ってるんだぞって常に見せておかないと、図に乗るんですよ」


 アルスターの人達はその辺をきちんと自覚してるから、落とし前はきっちりやってくれるだろう。

 なにせ絹毛羊の王を怒らせたかもと知って、なけなしのマンドラゴラモドキを捧げて詫びをいれようと考えて、それを私達に託した訳だし。

 ツラツラと話せば翁さんがそれを王に通訳してくれる。

 絹毛羊の王の返事は「面白い子」だそうで。


「とりあえず、坊やが怪我をした件は、その傷を治療してくれたから怒ってない。山賊に関しても討ち果たした上に、花をきちんと手当てしてくれたし、何よりその場に自分がいた訳じゃないから、介入する気は特にない……だってさ」

「おお、ありがとうございます」


 ラシードさんが絹毛羊の王の言葉を通訳してくれたので、ぺこんと頭を下げる。

 あの花園での一件はこれで手打ちでよさそうだ。

 なので、忘れる前に翁さんに言われて持ってきた真珠百合の実を、絹毛羊の王に差し出す。

 私の手のなかの真珠の匂いを嗅ぐと、王はゆっくりとそれを私の手ごと口に含んだ。

 周囲が息を呑む。

 ぬるりと手を包む舌の感触に、ちょっと緊張したのもつかの間。

 真珠をあまさず口に納めた王が、ゆっくりと離れたかと思うと、身体を揺らして大きな声で鳴く。

 翁さんも羽をバタつかせた。


「そうじゃろう、そうじゃろう!」

「メェェェ!」

「解る。甘露よな。わしもそう思った故、土産として持ってきてもらったのよ。ささ、他の連中にも分けてやってくだされ!」

「え? あ、はい」


 翁さんに促され、皆で手分けして真珠百合の実を配り始める。

 すると遠巻きにしていた羊達が寄ってきては、次々と実を食べ始めて。

 流石にえんちゃん様に大人の絹毛羊は寄り付かなかったけど、子羊達は物怖じすることなく突撃してる。

 羊の背中でぴよぴよ鳴いてる星瞳梟の雛にも、ガーリーからイフラースさんが実を咥えさせたり、羊に座ってもらってレグルスくんやアンジェちゃんが食べさせたり。

 皆に行き渡った頃には、森は羊と雛の歓喜の大合唱で満ちていた。

 バサリと翁さんが羽ばたいたかと思うと、森の奥に消えて、しばらくして戻ってきたと思ったら、私やレグルスくん、奏くんに紡くんにラシードさん、アンジェちゃんやえんちゃん様の手に、ぽとぽとと何かを落としていく。

 見れば私には花の彫刻も見事な深紅のガラスペン、レグルスくんには剣を捧げ持つ獅子のカメオ装飾が施されたカフスボタン、奏くんには何か分からないけど大きくて綺麗な風切羽数枚、紡くんは皮の小袋で落ちた時にガラスがぶつかるような音が。

 ラシードさんには金糸銀糸の装飾も鮮やかなのベルト、アンジェちゃんには綺麗なレースのリボン、えんちゃん様にはクマの縫いぐるみだ。

 再び梢に止まった翁さんがほうほうと胸を膨らませる。


「約束の良いものじゃよ。お若いのにはカーバンクルの額石を古の職人が精魂込めて彫刻して作り上げた宝石筆、弟御には大昔にこの辺りにあった魔術王国の名のある将軍が身に付けていたカフスボタン、大きな坊やの方はこの辺り一帯に平和をもたらした伝説の星瞳梟の風切羽、小さい坊やにはその小袋の中に入っとるんじゃが、魔力を込めて飛ばせばどんな硬い装甲も貫くガラス玉が入っておっての。角の少年のは、お前さんと同じ種族の我が友の国で、祈りを込めて作られた守護のベルト、小さいお嬢ちゃんの綺麗のレースのリボンは、昔々怪物相手に力比べをして勝った姫勇者の髪を結わえていたもの。畏れ多くも姫御前には、かつて貴方様に救われたのじゃろう渡り人が、一針一針生きていることに感謝を込めて縫ったクマを差し上げようぞ」

「そ、そんな珍しいもの……!」

「や、俺までそんな!?」


 慌てる私とラシードさんを尻目に、レグルスくんも奏くんも素直に受け取って。


「ありがとー!」

「大事に使うな、じいちゃん!」

「おじぃちゃん、ありがと!」

「ありあとごじゃましゅ!」

「忝ない。大事にする」


 紡くんもアンジェちゃんもぺこんとお辞儀してお礼をしてるし、えんちゃん様も嬉しそうに受け取っている。

 これは、遠慮するだけ野暮なんだろう。

 ラシードさんと顔を見合わせて御礼申し上げると、翁さんは羽を震わせて頷いた。


「いやいや、真珠百合に込められた力の対価にはほど遠いくらいじゃ」


 翁さんによると、私とえんちゃん様が真珠百合に込めた魔力と言うのか神威と言うのかは、あの土地に毎年溜まる魔力の数十年分に相当するそうで、これから暫く真珠百合は豊作になりそうだとか。

 そうなると豊富な魔力を得られるお陰で、この辺りの魔物も糧を得ることが容易くなって、危険を冒して人間を襲わずに済みそうらしい。

 人間と魔物が共存できるなら、それに越したことはないよね。


「お若いの。我ら野に生きるものは……いや、孫子を持つものは皆、愛しい子らが餓えぬことが何よりも嬉しいのじゃよ。実りをもたらしてくださったお若いの達には感謝してもしきれぬ。なのでな、礼がわりに受け取ってくだされ」

「それならば、有り難く受け取らせていただきます」


 でも、力のほとんどは多分えんちゃん様のお陰なんだけども。

 何となくえんちゃん様を見ると、何やらクマの縫いぐるみをじっと見て考えごとのご様子。

 邪魔しない方が良いかな。

 そんなことを思っていると、朗らかに絹毛羊の王が鳴いた。

 その声に翁さんが頷く。


「ほう、良き考えじゃな。伝えよう」

「?」

「うむ、お若いの。夏の初め頃にまたこの森を訪なってくださらんかの?」

「初夏に、ですか?」

「そうじゃ。王がの、この見事な真珠百合の実の力を受けた毛を、お若いのに差し上げると言っておる。この夏の一族の毛、全てを」

「ひょえ!?」


 絹毛羊の毛とか願ってもないことだけども、それはこの辺の産業に影響がでちゃうような!?

 それは不味い。

 なので辞退しようとすると、私が言いたい事を察したのか、翁さんが首を振る。


「刈った毛は少しばかりアルスターの連中に安値で譲ってやって下され。それがあればアルスターの連中にも富は回る筈じゃ。そもそも最近はわしが頼んだ毛刈り人一人だけに、毛を刈らせておったからのう」

「そうなんですか……?」

「うむ。アルスターもここ最近、悪心を抱く輩が増えたのでな」


 なるほど、経済制裁はもう発動済みだったのね。

 だったら、構わないか。


「でしたら、夏の始まりにまた!」

「うむ、待っておるよ」

「メェェェ!」


 夏が待ち遠しいな!

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