第261話 蜂蜜よりも尚、甘く
私の魔力を階に、えんちゃん様の神威が大地に染み渡ったのか、真珠百合が赤や青、薄桃、翠に橙、それはもう鮮やかな花や実を着けて、天の園かと思うほど美しい光景が広がる。
ラシードさんやイフラースさんはぽかんと口を開け、ガーリーやアズィーズ、子羊は共に喜んでいるのか、花の間を跳び跳ねて。
誰もが息を呑む景色に、私もまた圧倒されていると、不意に肩を誰かに抱かれていることに気づく。
そっと振り向くとロマノフ先生がほっとしたような顔で私を見ていた。
不思議に思って「先生?」と、口に出そうとした瞬間、ロマノフ先生が大きく咳き込んで膝から崩れる。
手で覆われたロマノフ先生の口元からは、赤い液体が一筋ながれ落ちたのが見えて。
「せんっ!?」
「せい」と続けようとしたのに、私も喉をせり上がる鉄さびにむせてしまう。
「あーたん! アリョーシャ! 大丈夫!?」
「よく頑張ったね、まんまるちゃん!」
ヴィクトルさんがロマノフ先生を、ラーラさんが私を支えてくれた。
レグルスくんやえんちゃん様が泣きそうな顔でしがみついてくる。
奏くんもブラダマンテさんも、紡くんやアンジェちゃんを落ち着かせながら、私達の様子を見ていた。
つか、なんか、全身火傷したみたいに痛いし熱い。
顔をしかめるとラーラさんが私を覗き込む。
「まんまるちゃん、吐いていいよ」
「げふっ……はっ……せんせ、は!?」
「大丈夫だから、まずは君が落ち着いて。ゆっくり息をして、うがい出来そう?」
「はっ……はー……で、出来そうです」
「じゃあ、はい。お水」
渡された水筒から水を口に含んで中を濯ぐと、ちょっと花に申し訳ないけど地面に吐き出す。
しぱしぱと瞬きすると、ラシードさんとイフラースさんが、私に抱きついてるレグルスくんとえんちゃん様を引き取ってその背を擦ってくれているのと、ヴィクトルさんがロマノフ先生に口を濯がせてるのが見えた。
何事だったんだろう?
ラーラさんに何が起こったのか聞こうと口を開けると、痛みのせいで呻き声が出る。
すると目の前にすっと琥珀色の飴玉のような物が差し出されて。
目線だけで「何ですか?」と問えば、悪戯を咎めるときの顔でラーラさんは私の口にその飴玉を放り込んだ。
良い匂いだし、甘いけどちょっと酸っぱい。
「こんなこともあろうかと、ゴザルから材料を提供してもらって作った『エリクサーじゃないけど、それっぽい効果のある飴玉』を作っておいたんだよ」
は?
ラーラさんの言葉に目を丸くしながら飴玉をもごもごしていると、ヴィクトルさんが肩を竦めた。
「大根先生にお願いして作ってもらったんだ。あーたんが何か無茶しても、なんとでもしてあげられるように。アリョーシャに使うことになるとは思わなかったけどね」
「……まあ、これも教師の役割ですよ」
同じくロマノフ先生も飴玉を舐めているのか、口元をもごもごさせてる。
どういうこと!?
訳が解らなくなって先生達三人を代わる代わる見ていると、ロマノフ先生が立ち上がった。
そしてヴィクトルさんが頷く。
「魔素神経がちょっと焼けたけど、回復したら前より強化されてるね」
「なるほど。骨折したあと骨が太くなるのと似た原理ですかね」
「神威を受けるっていっても、今のは神罰じゃないからね。回復魔術……生命への祝福を直接受けたみたいなもんだからじゃない?」
神威を受けるって、それは……。
はっとして、ロマノフ先生を見れば、先生も悪戯を咎めるときの顔をしていて。
「あの、もしかして、先生……!?」
「君がやりたいことを手伝うのも教師の役割だと言ったでしょう?」
ぱちんっとウィンクがロマノフ先生から飛んでくる。
その顔は少し血の気が失せていて、ロマノフ先生の身体を支えていたヴィクトルさんがぷんすこ口を尖らせた。
「だからってあーたんに逆流した神威をほぼほぼ一人で肩代りするなんて……。僕やラーラだっているんだから!」
「そうだよ、ボクたちだってまんまるちゃんの先生なんだから」
「うーん、まあ、これはアレです。長兄の意地ってやつですよ」
つまり、私が血を吐くくらいの損傷で済んだのは、ロマノフ先生がほとんどを肩代りしてくれたからってことか。
ほとんど肩替りしてもらっても、全身火傷を負ったくらいの痛さだったのに、それがほとんどいったロマノフ先生の苦痛はどれほどだったんだろう。
最近色々上手くいってたから、調子に乗ってたんだ。
ぐっと唇を噛むと、ロマノフ先生が私の旋毛をつつく。
「自分が失敗したから、なんて思わなくて良いんですよ。君なら乗り越えられると思って、私たちは君を止めなかったんです。実際、君は上手くえんちゃん様の力を導いてさしあげたじゃないですか」
「で、でも、先生が……」
「いや、思ってたより損傷が少なかったですよ? 魔素神経全損くらいは覚悟しましたが、一部が焼けただけで、しかも回復したら強化されてるんだから。なんというか、鋼を鍛えるのに似てますね」
あっけらかんと言われた言葉に、きょとんとすると、私の旋毛をつついていた手が、そのまま頭を撫でる。
「思ってたより損傷が少なかったというのは、君が私達の予想より遥かに強くなっているということです。胸を張っていい」
「そうだよ。本当にダメなら僕らだって、君が泣こうが誰が泣こうが止める」
「うん。ボクらが止めなかった故の結果なんだし、逆に『なんで止めなかったの!』って怒ったっていいんだからね?」
さわさわとヴィクトルさんもラーラさんも、私の頭を柔く撫でる。
気づけば全身の痛みも無くなっていた。
ぽすっとお腹と横っ腹に温もりがぶつかってくる。
お腹にはレグルスくんの金髪がめり込んでいて、横はピンク色の毛糸の帽子。
「にぃに、だいじょうぶ!?」
「鳳蝶、大事ないかえ!?」
「あ、ええ、大丈夫ですよ」
ぐりぐりとお腹と横っ腹に二人の頭を擦り付けられる方が地味に痛い。
ぐすっと鼻を啜るレグルスくんとえんちゃん様の頭を撫でていると、奏くんが紡くんの手を引いて近付いてきた。
「若さま、大丈夫か? 無茶すんなよ。ビビったじゃん。なぁ、つむ」
「うん。わかさま、もういたくない?」
「うん、大丈夫。ありがとう」
「どういたしまして!」
「どーいたまして!」
にかっと鼻の下を擦る奏くんに、紡くんもにぱっと笑う。
するとアンジェちゃんがブラダマンテさんに抱っこされてやって来たかと思うと、さわさわと私の頭に手を伸ばして撫でた。
「わかしゃま、おちゅかえしゃまでちた!」
「お身体は大丈夫でしょうか?」
「はい、大丈夫です。アンジェちゃんもブラダマンテさんもありがとうございます」
にこっと笑えば、二人も穏やかに笑い返してくれる。
そっとラシードさんとイフラースさんも、アズィーズとガーリーと子羊を連れてやって来た。
「本当に大丈夫なのか? つか、あの、えんちゃん様って……その、人間じゃなかったりすんの?」
「ラシード様、それは後にしましょうよ」
「う、うん。いや、なんか、本当にお前凄いな……」
「いや、今のはちょっと調子に乗った結果だから……あんまり誉められたことじゃないよ」
「それでも、俺はすげぇと思ったよ。本当に」
いや、本当に慢心駄目、絶対。
苦く笑えばぽんぽんと労るようにラシードさんが私の肩を叩く。
イフラースさんと言えばその光景に「ラシード様にご友人が出来た!」とか、何か咽び泣き出した。
その賑やかさに、えんちゃん様が私の横っ腹から顔を上げる。
そしてぐるりと周りを見回した。
「鳳蝶のみならず、つむにアンジェ、レグルス、奏、みんな、吾のためにありがとうなのじゃ」
涙を拭って凛々しくえんちゃん様がいうのに、口々に返すのは「どういたしまして」だ。
中でもブラダマンテさんは、ハンカチをビショビショにするくらい泣いている。
「ご立派になって!」と感涙するブラダマンテさんの姿に、イフラースさんがもらい泣きしてたり。
ほのぼのした雰囲気に、すっかり和んでいると、不意に「メェー!」と大きな子羊の鳴き声が響く。
ヤバい、すっかり忘れてたけど子羊ちゃんどうしよう!?
皆の視線が子羊に集まる。
子羊はアズィーズやガーリーに擦り擦りと身体を擦り寄せていて、機嫌が悪そうには見えない。
だけど声だけはえらく大きくて。
「ラシードさん、子羊なんて?」
「怒ってはない。っていうか、アイツ、怪我が治ったからアズィーズとガーリーを遊びに誘ってる」
「怪我が治った?」
「トラバサミの。さっきの花に注いだ回復魔術の余波で、トラバサミに挟まれたところが治ったみたいだな」
なら、良いか?
いや、よくないよ。
この子の親が来ちゃったらどうなるんだろ?
花はとりあえず手当てしたけど、警戒音声で呼ばれた所に私達がいたら、私達が子羊に何かしたと思われるような……。
だからって一匹で置いて帰るのもなんだかなぁ。
悩んでいると、空から大きな羽ばたきが聞こえて。
見上げれば巨大な梟、それも瞳が夜空に星を散らしたような虹彩になっているのが一羽。
「なんじゃ、我が友・絹毛羊の王の子の鳴き声に駆けつけて来てみれば……。お若いの、このジジイに説明くださらんかね?」
「へ!? は、話せるんですか!?」
「長く生きれば、それなりにのう」
バサバサと翼を羽ばたかせて、岩場に大きな梟が降りる。
物凄く貫禄のあるしゃがれた声に、子羊が嬉しそうに鳴いた。
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