第260話 信じることは第一歩

 神様というのは、そもそも力の規模が大きすぎて細かい作業をするのがかなり苦手なのだとか。

 やってやれないことはないけれど、米粒に文章を書くようなものだから、かなり神経をすり減らしてしまうそうだ。

 それでも日々そういう作業を、天上やら海やらでしてくださってるから、この世界は過不足なく回っている。

 えんちゃん様もそこら辺は凄く神経を使いながらお役目を果たしてるんだけど、中々上手くいかないそうで。


「前に鳳蝶に颯を貰い受けたとき、吾は危うく死なせてしまうところだったのじゃ。あの時確かに吾は怒っていたが、雷を呼ぶつもりなど少しも……」

「ああ、それは……身に覚えがあります」


 私も怒って、無意識にブリザード起こしてたもんな……。

 えんちゃん様の言うには颯の時に怒ったのは、足を縺れさせた颯にではなく、折角調教を施してくれた馬に上手く乗れない自分の不甲斐なさにイラついていたかららしい。

 八つ当たりだったとしゅんとしたえんちゃん様の背を、ブラダマンテさんが慰めるように撫でる。


「実はその御気性について相談を受けまして。それで鳳蝶様の魔力制御の緻密さをお話したんです」

「そうなんですね」

「確かにあーたんの魔力制御は天下一品だよ。教えた僕らが言うんだから間違いない」

「まんまるちゃんはもう、どんなに怒ってもブリザードは出さないもんね」


 ブラダマンテさんの言葉に先生方が頷く。

 確かにその辺はもう、滅茶苦茶頑張ったよ。

 だって無意識に火柱立つわ、巨大氷柱は落ちるわ、地面が割れるわって、それなんて人外魔境?

 制御できない力を持つなんて、いつ何処で誰かを傷つけるか解らな過ぎて怖い。

 それに過ぎたるは及ばざるが如しっていうし。

 大根を掘り起こすだけの作業に、地面を抉るような力しか出ないなんて 非効率だ。

 そんな力で掘った大根なんか、売り物にならないくらい損傷してそうだし。

 無駄なことをしないで済ませようと思えば、制御を身につける方が効率的なのだ。

 ……私のことはおいといて。

 えんちゃん様は緻密な制御が苦手な神様の中でも、更に苦手な部類ってことか。

 なるほどなと思っていると、えんちゃん様が眉を八の字にして俯く。


「……吾は出来損ないなのじゃ」

「えんちゃん様?」

「姉様も兄様も出来ることが吾には出来ない。癇癪を起こしては力を弾けさせる。こんなだから姉様も兄様も吾を嫌って中々会いに来てくださらぬのじゃ……」


 ぽつりとえんちゃんが溢す。

 ついでに彼女の足元にぽつりと雫が一粒落ちた。

 氷輪様の様子を見てると、そんな感じでは無かったんだけども。

 姫君もえんちゃん様の振る舞いには思うところがあったみたいだけど、それはそれで慕われていると言われたら満更でも無さそうだったし。

 それにロスマリウス様はそもそも、一族の子ども達に似たところを感じるからって、氷輪様にえんちゃん様を気にかけるよう仰ってたって聞いたぞ。

 これはあれだ。

 氷輪様にも同じことを感じたけど、没交渉による相互の理解不足では?

 深刻な雰囲気に、私は顎を一撫でして口を開く。


「あのですね。姫君や兄君がえんちゃん様を嫌ってるっていうのはないかと思います」

「何故じゃ!? それなら何故、姉様も兄様も吾に会いに来てくださらぬのじゃ!?」

「そりゃあ、お役目もあるでしょうけど……一番の理由は多分、会いに行って良いか分からなかったから、じゃないですかね?」

「会いに行って良いか分からなかった……?」

「はい」


 氷輪様の場合になるけど、氷輪様はえんちゃん様のことを、大人の心を持っているのに子どもじみた振る舞いをするって誤解してた訳で。

 それが誤解どころが、本当にえんちゃん様が「幼い」って気付いて物凄くバツが悪そうだったんだよね。

 小さな子どもを放っておくなってロスマリウス様に忠告されたけど、それを無視して放置してたんだから。

 つまり、今、氷輪様のお心は罪悪感で一杯なわけだ。

 だって小さな子どもの私に繁く構ってくださるくらいにはお優しい方なんだもん。

 身内の、それももっと長い付き合いの小さな子どもに、寂しい思いをさせてたなんて、そりゃあ氷輪様も忸怩たるものがおありだろう。

 だからって、いきなり手の平を返して態度を変えられるほど、氷輪様は器用な方かっていうと違うし。

 そんな器用なら、バツの悪い顔をして「兄」である私に意見を聞きに来たりしないよね。

 そういうことを加味して考えると、今さら兄貴風ぴーぷー吹かせてえんちゃん様に接するなんて出来ないし、会いに行くのも「どの面提げて?」ってなったんじゃなかろうか、と。

 簡単に言えば氷輪様も怖がってるんだ。

 そう言うとえんちゃん様が不思議そうに瞬きをする。


「怖がってる?」

「はい。えんちゃん様を今まで放っておいたから、嫌われてるんじゃないかって。それをぶつけられるのを怖がってるんだと思います」

「嫌われているのは吾のほうではないのかえ……?」

「今まで放っておいたのは、あの方がえんちゃん様が寂しがってるなんて思ってなかったからです。でも颯の時のことで、えんちゃん様が寂しがってるのが解った。えんちゃん様を寂しくさせたのは自分だと思うと、そんな目に遇わせた自分のことなどえんちゃん様に嫌われて当たり前だと思ってるんだと」

「そんな……。で、では姉様は?」

「姫君もえんちゃん様と、あれからもあまりお会いにならないんですか?」

「い、いや……姉様はあれから毎日来てくださるが……」

「ではそれが答えですよ」


 姫君はそもそもえんちゃん様を嫌ってなんかいない。

 その証拠にえんちゃん様と賭けをして、負けたからって律儀に妖精馬を探し回ってた。

 神様でさえ見付けにくい妖精馬を、だ。

 面倒だけど、それくらいならしても良いかと思うくらいには、姫君はえんちゃん様を可愛く思ってたんじゃないかな?

 ただ姫君は、そういうことを口にはお出しならないんだろう。

 でも聞けば答えてくださる方だ。

 だって、聞きもしないのに、仙桃の件で私を侮っていたと詫びてくださったもん。

 そういう誠実なお方だから、不安に思うことを素直に吐き出せば応えてくださる筈。

 私の言葉に、えんちゃん様は納得出来なかったのか、また眉を八の字にして俯いてしまう。

 けれど、それを掬い上げようにえんちゃん様の肩に小さな手をおいたのは、意外や意外、紡くんだった。


「あのねぇ、えんちゃん。つむもね、にぃちゃんに『つむのこときらい?』ってきいたことあるの」

「そ、そうなのかえ?」

「うん。にぃちゃん、つむとあそんでくれなくて、つむ、しゃ、さみしかったの。だからきいたの」

「ああ、そう言えばそうだったな」


 奏くんが頷くと、その感慨深げな様子に仕舞った記憶が揺り返される。

 それは奏くんと初めて出会った時から少し経った辺りのこと。

 家出は終わらせたけど、やっぱり紡くんと奏くんの関係が拗れたままのある日、紡くんは勇気を出して奏くんに突撃したらしい。

 なんで自分を避けるのか、自分のことが嫌いなのかと尋ねる紡くんに、奏くんは言葉の超ストレート豪速球をお見舞いして泣かせたそうな。

 でもそのお陰で紡くんと奏くんは和解したって聞いたけど?

 私が尋ねると奏くんも「そうだよ」と頷いたし、紡くんもかかっと笑う。


「つむ、にぃちゃんにいっぱい『すき』っていったよ!」

「吾も一杯『すき』って言えば良いのかや……?」

「うん。いわなきゃ、おもっててもつたわらないから!」


 そうだ、大事に想ってることなんて思うだけじゃ伝わらない。

 神様同士なら心の声が駄々漏れかと思ったけど、そうじゃないからきっとこんなに拗れてるんだし。

 良いこと言うなと感心していると、今度はアンジェちゃんがえんちゃん様の握り締めていた両手をそっと自分のそれで包む。


「えんちゃん。アンジェもね、ちからもちだから、ときどきものをこわしちゃうのぉ。こわしたいとおもってないのに……」

「そ、そうなのか?」

「うん。それでね、おねーちゃんやユーリおにーさんやエリックおにーさんや、エリちゃんしぇ、せんぱいとか、うちゅのみやちゃんしぇんぱいとか、ピセルのおねーちゃんたちが、おててにぎらせてくえゆのぉ。あ、ひよしゃまも!」

「うん。アンジェのちからがつよいときは『つよいよ』っていってあげたらいいかとおもって!」

「それでね、えんちゃんもアンジェのおててにぎるといいの。つおかったら、アンジェちゃんと『つおいよ』ってゆってあげゆから」

「つむのおてても、いーよ!」

「つむ……アンジェ……!」


 うるうるとえんちゃん様の両目に涙の膜が張る。

 いやー、紡くんにしてもアンジェちゃんにしても良い子だな。

 感心していると、ブラダマンテさんがこちらに向かって深々と頭を下げるのが見えて。


「ありがとうございます、紡さんにアンジェさん。皆様も……!」


 華奢な肩を震わせて、涙声のブラダマンテさんは、本当にえんちゃん様のことを心配していたんだろう。

 頭を上げてもらうよう声をかける前に、紡くんの唇が解けた。


「にぃちゃんとひよさまが、いつもいってるから! こまってるひとがいたらたすけるのはあたりまえって!」

「アンジェも、おねーちゃんとひよさまとロッテンマイヤーさんからゆわれてるの!」


 元気に手を上げて良い子のお返事をする二人の言葉に、私はレグルスくんを見る。

 すると目があったレグルスくんが照れたように笑った。


「だって、にぃにはあんまりそんなこといわないけど、こまってるひとをいつもたすけてあげてるもん」


 ざっと風が吹く。

 いや、別に私はそんな綺麗な気持ちで誰彼構わず手を差し伸べてはいない。

 寧ろ助ける人間は選ぶし、助ける理由だってわりと自己中に決めてる。

 それでもレグルスくんはそんな風に解釈してくれているのだ。

 その綺麗な気持ちに応える術は一つなんだろう。

 私はえんちゃん様の後ろにまわると、その幼くて小さな両肩に触れた。


「えんちゃん様、私がえんちゃん様を通して回復魔術を花にかけます。だから、その魔力の波動を追って、回復魔術を一緒に掛けてください。あまりに威力が強かったら、その時は私が頑張って軌道修正しますから」

「う、うむ。解ったのじゃ!」

「では……」


 静かにえんちゃん様を通して魔力を地面に注ぐ。

 ゆっくり、ゆっくり。

 それはレグルスくんの頭を撫でる時の手つきと同じくらい、繊細で柔らかに。

 その魔力の流れに、えんちゃん様がじわりと神威を乗せていく。

 粉雪のように淡く。

 しんしんと回復魔術が大地に注がれて緩やかに、踏み荒らされた真珠百合を少しずつ癒す。

 萎れていた花が僅かに首をもたげて、ゆるゆると葉もしゃんっとしてきた。

 その光景が嬉しかったのか、えんちゃん様の神威が怒涛の勢いを持つ。

 いけないと思って、絡めていた魔力を絞ると、出口を絞られた神威が私に勢いよく逆流してきて。


「ぐっ!?」


 痛い!?

 血管に熱湯でも流れてるのかと思うくらいに、熱いかと思えば火傷をしたような痛みが全身に走る。


「あ、鳳蝶!? いかん! 吾を離すのじゃ!?」

「ぐぅ、いや、ちょっとだけ、待ってください」

「えんちゃん! ちからがつおいよぉ!?」

「えんちゃんおちちゅいて!」


 手を掴まれているアンジェちゃんも、えんちゃん様の動揺を感じた紡くんも、えんちゃん様を落ち着かせるべく声かけかける。

 刹那、喉の奥から口の中に鉄さび臭い何がせり上がってきた。

 それを飲み下して大きく息を吐くと、震えるえんちゃん様を抱き締めて。

 私が止めないと解ったのか、レグルスくんがえんちゃん様の背中を擦り、奏くんもえんちゃん様の前に跪き、その震える身体を支える。


「落ち着いて。大丈夫。私や皆を信じて」

「うう……!」


 すぅっと一音、紡ぐ。

 その曲は合唱曲の一つで、友達がくじけたり傷ついたら、必ずささえるからと呼び掛けるような歌で。

 「信じてる」と日本語では訳されるタイトルの、凄く優しい言葉が連なる友愛の曲でもある。

 たおやかに紡がれる友情の歌詞に、段々とえんちゃん様の神威が落ち着いて、繊細に私の魔力と混ざり合い、燦々と地面へと降ってやがて花に吸い込まれて、鮮やかに真珠の実が色付いていく。

 最後の一音が空気に溶ける頃には、大地は綺麗な実や花をつけた真珠百合が満開になっていた。

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