四巻発売記念小説・婚約狂想曲

 秋の中頃。

 程好い田舎な菊乃井は、色付いた木の葉が随分と詩心を誘う風景を描いていた。

 異世界からやって来た演劇の専門家・ユウリ君と、サン=ジュスト君の元部下のエリック君、芝居の経験のある男役が出来る少女・シエたんの三名を迎えて、菊乃井少女合唱団は菊乃井歌劇団へと進化する準備段階に入った。

 僕のやることも増えて、自然に外出することが多くなって。

 朝から歌劇団の子達にレッスンして、屋敷に戻ったのは昼過ぎ。

 遅めの昼食を部屋でとった後、食器を片しに厨房へ続く廊下を歩いていた時だった。

 ハイジ……仕事中はロッテンマイヤーさんって呼ぶ決まりの遠い姪みたいな子が、普段の倍くらいの早さで廊下を急ぐのが見えて。

 ついつい気になって呼び止めると、ホッとしたようにハイジの眉毛が下がる。


「どうしたの?」

「それが……」


 手紙が一通、そっと差し出されて、僕はちょっと首を傾げた。

 宛先には確かに僕の名前があったけど、他にもラーラやアリョーシャの名前もある。

 帝国認定英雄三人を連名にする手紙の中身なんて、あまりいいことが書いてある予感がしない。

 その予感は手紙の裏に書かれた差出人の名前──フランツ・ヨーゼフ・フォン・ロートリンゲン公爵──を見て確信に変わる。

 長く溜め息を吐くと、僕は手紙の封を躊躇いなく開けた。

 どうせ僕宛でもあるわけだし、他の二人にしたって丁寧に開けたりなんかしないんだから。

 中に折り畳まれていた便箋を開くと、僅かに花の香りがする。

 文香というやつだろうけど、あの子はわりとこういう細かい気遣いをしてくれる人が好きだ。

 仄かな香りを感じつつ、視線を紙面に落とせば、癖のない固めの字。

 誠実さを表したような文字には好感が持てる。

 書かれている時候の挨拶や近況報告、柔らかな言葉であの子や僕らの体調を気遣う文章も、大人として過不足はなかった。

 この程度の話なら、何も僕ら宛でなくてもいいだろうに。

 そう思いながら、続きを読む。

 すると看過し得ない事が出てきた。

 北アマルナ王国の国王夫妻より、ネフェルティティ王女の命を助けた礼を直接伝えたいという面会の打診と共に、王女の望みとして彼女の婚約者にとの話があったという。

 なんでも、あの子と過ごして以来、ネフェルティティ王女は王族としての自覚が高まり、持つものの義務にも目覚め、成長が著しいそうだ。

 それにあちらは本人同士で将来を言い交わしたともいっているとか。

 僕達に、まさかとは思うが是非本人に確認を取ってほしい、と。

 北アマルナ王国って言ったら魔族の王国で、帝国とはちょっとした遺恨があった筈の国だ。

 たしかにあの子から「角の生えた金銀妖瞳の綺麗な女の子と友達になった」とは聞いたけども!

 手に力が入りすぎたのか、ぐしゃっと音を立てて手紙が潰れて、ハッとする。

 顔を手紙から上げれば、ハイジが気遣わしげに手紙と僕とを交互に見ていた。


「あー……コーサラであーたんがお友達になった女の子。どうも北アマルナ王国の王女様だったみたいで、その……あーたんと過ごしてから色々ご成長なさったらしくて……直接お礼が言いたい……は、本命じゃないな。あーたんを婚約者に据えたいって。こっちが本命だね」

「!?」


 ハイジの眉が飛び跳ねて、驚いたのが解る。

 分厚い眼鏡の下の目は真ん丸に見開かれているだろう。

 けれど流石メイド長、瞬時に驚愕を表情から消した。


「どういうことでございましょう?」

「この手紙だけじゃなんとも……。いや、角のある綺麗な金銀妖瞳のご令嬢とコーサラで仲良くなって、その子と子ども達皆で海神の神殿でおもてなしされたってのは知ってるけど」

「それは私も存じ上げておりますが……。その折りに何かのお約束をなさったのでしょうか?」

「かもしれないけど……」


 だからと言って、あの子と将来の約束が結び付かない。

 あの子は賢い子だから自分でも感じているだろうけど、自身に振りかかる好意を信じられないでいる。

 それは親から受けた扱いが、あの子の自己肯定感を限りなく磨耗させて、愛情や好意を受け入れる心の部分が壊れてしまっているからで、決してあの子のせいじゃない。

 上手く好意を受け取れないでいるあの子が、恋だの愛だのを語って将来の約束をするなんて。

 寧ろ立場を笠に着て、無理に迫って承知させられたって言われた方が、まだ納得出来る。

 だけど同時に僕、いや僕達はあの子が絶対に嫌なことには、断固として頷かない性分なのも知っている訳で。

 痛くなってきたこめかみに手をやると、僕はうっそり溜め息を吐いた。

 どうやら落とし穴にはまったらしい。


「アレじゃないかな。多分、向こう……北アマルナってたしか、婚約の儀式があったような気がするんだよね。それを知らずに二人で……ああ、ご令嬢は解っててやったのかもだけど……、まあ、やらかしちゃったとか」

「……それはあり得る話で御座いますね」


 賢いあの子の持つ、落とし穴。

 意図して仕掛けられたわけじゃない分、わりと質が悪いそれ。

 あの子は大人も驚くほど知識が豊富で賢い子だから忘れがちなんだけど、まだたった六歳なんだ。

 知っていることより知らないことの方が多い筈なのに、あの子の賢さがそれを忘れさせてしまう。

 たった六歳の子どもが、何処かのお国の婚約の儀式を知っていることの方が稀なのに。

 そしてその落とし穴をせっせと埋めるために、僕達家庭教師がいるのだ。


「あー……あーたんじゃなくて、もっと迂闊なのがいるから責任はソイツに取ってもらおうか?」

「は、えぇっと?」

「アリョーシャだよ。アイツ、僕らに勝ってあーたんにくっついていったくせに、何してたんだよ!? とっちめてやる!」


 我ながら鼻息荒くドスドスと廊下を歩く。

 目的は二階。

 わざわざ聞き耳を立てなくても、エルフの良すぎる耳にはアリョーシャとあーたんの声が聞こえてくる。

 走るまではいかないけど、それなりに急いであーたんの部屋に行くと、ひょこっと開け放たれた扉から中に顔を覗かせて。

 なにやら壁を見ているあーたんに「やあ」と声をかけると、視線を巡らせてアリョーシャを探す。

 そうすると、壁にタペストリーを掛けているアリョーシャが見えた。

 こちらの気も知らないで、暢気にしているアリョーシャに若干イラついて、自然に目がつり上がる。


「ちょっとアリョーシャ、顔貸して」

「おや、ヴィーチャ。ご機嫌斜めですね?」

「今はそんな軽口を叩く気にもならないから、とりあえず耳だけでもいいから貸して!」

「おやおや」


 僕の不機嫌な様子にアリョーシャは肩をすくめ、あーたんは目を丸くして何があったのか視線でハイジに問いかけた。

 ハイジには答えようもないだろう。

 眉を八の字にする彼女に驚いているのか、窺うようなあーたんに、僕は話を聞かせたくなくて防音の結界を張った。

 これにはアリョーシャも驚いたようで。


「何がありました?」

「何がって……!」


 イラついたままに、アリョーシャにロートリンゲン公爵からの手紙の内容を話せば、即座にアリョーシャの表情が固くなる。


「北の方のアマルナのやんごとないお嬢さんとは聞いていましたが、まさか王女だったとは……」

「聞いてたのに、あーたんと婚約の真似事させたの!?」

「婚約の真似事……? あ!」


 思い当たる節があったのか、アリョーシャがぽんと手を打つ。

 あーたんからも事情を聞くと、僕ら大人は「なるほど、それか」と思うような事がポロポロと出てきた訳で。



「らしくもなく迂闊なことをなさいましたな、ロマノフ卿」

「仰る通り、面目ありません」


 マホガニーのローテーブルを前に、ソファに身体を預けたロートリンゲン公爵が眉間を押さえた。

 アリョーシャの表情も苦い。

 珍しい長兄の顔にラーラが肩を竦める。


「だけど子ども同士の口約束じゃないか。そんなに深刻にならなくていいんじゃないかな?」

「事が子ども達だけの話であればそうですが……」


 ロートリンゲン公爵の表情も固い。

 訝しげに首を捻ったラーラに、公爵がため息を吐いた。


「海神・ロスマリウス様が、ネフェルティティ王女殿下の後見に立たれたそうです」

「ッ!?」


 思わず息を飲んだ僕ら三人に、ロートリンゲン公爵はコツコツとローテーブルを指先で叩く。

 そして苦り切った声で「正直に言えば」と切り出した。


「陛下は、鳳蝶君に国の中枢に入ってもらうべく、それなりの家のご令嬢を娶らせるおつもりなのです」

「あの子を他国に盗られたら、この国は痛いもんね」

「四柱もの神様のご加護を得ている人物であることもそうですが、何よりその能力が流出することで帝国の国益を損ねますから」


 僕のちょっとした皮肉を交えた言葉に、公爵は大真面目に頷く。

 あーたんが幽閉も何もされずに、自由にしていられるのはその四柱の神様の存在が大きい。

 しかし、他国にその才能が流出しそうだとなれば、そんなことも言ってはいられなくなるだろう。

 それならば。

 同じことを考えたのか、三人で顔を見合わせると、先ずラーラが唇を開いた。


「その神様の存在を逆手に取ろうよ」

「と、仰ると?」

「ロスマリウス様は除くとして、あーたんの後ろには三柱の神様がいらっしゃる。無理強いすれば、その怒りに触れるだろうから婚約の件は国としてごり押し出来ない」

「何より本人が婚約したと思っていません。ましてや鳳蝶君は、嫌な事は神様にすら『嫌だ』とはっきり言う性格だから命じるのも無理だ、と陛下からあちらにお伝え願えば」


 僕の言葉を引き取って、アリョーシャが付け加える。

 少しだけ考える素振りを見せて、公爵が肩を落とした。


「それが一番穏当でしょうな。そうして時を稼いで彼方の姫の心変わりを期待しましょう」


 期待、ねぇ。

 子どもは大人の気持ちや想像を、遥かに越えてくることがある。

 この期待も多分裏切られるんだろうなぁなんて、僕の口からはとてもじゃないけと出せなかった。

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