第252話 転んでもタダでは起きたくないお年頃
アルスターの森での一件から一夜開けて、私はいつものように過ごして朝食のテーブルへ。
本日は最近料理長が凝ってる東方料理の炊き込みご飯と、次男坊さんが送ってくれた魚の干物、野菜の煮物、具沢山のスープなどなど。
炊き込みご飯は沢山作ったから、奏くんや紡くんにもおにぎりにして渡す予定だ。
魚の干物も作り立てを、冒険者ギルドの転移魔術ネットワークを使った速達で送ってくれたヤツだからか、身がふっくらして凄く美味しい。
魚の他にもイカの干物と、ちょっと前から作っててようやく人に飲ませられるようになった焼酎を、先生達の晩酌用に送ってくれたんだよね。
秋口にうちにミサンガの研修に来たアリサさんが、無事に技術を習得して次男坊さんの元に帰っていったお礼なんだけど、他にもアジアンノットを幾つか教えたからそれも含めてのことなんだろう。
取引相手は義理堅い方が良いっていうのは、どこの世界もそうらしい。
レグルスくんは最近では自分で魚の骨を外せるようになったから、嬉々として隣に座るラシードさんにお箸の使い方を教えている。
ラシードさんの一族は箸を使う文化圏じゃないらしいけど、そこは郷に入っては郷に従えの精神で挑戦していた。
ダメならナイフもフォークもスプーンも用意してあるから、その辺は大丈夫だろう。
川魚はよく食べるけど、海のは珍しいそうで、ラシードさんは目を輝かせながら、ゆっくり丁寧に料理を味わって食べていた。
で、本日の食後のお茶はほうじ茶。
これも料理長が凝ってる東方料理の影響らしい。
ちょっと薄めに淹れられたお茶で口を湿らせた後、ラシードさんが真剣な面持ちで唇を開いた。
「その、昨日のことなんだけど」
「はい」
「俺達を守ってくれる対価だけど……」
「ああ」
それね。
ちらっと先生達が私を見る。
多分ラシードさんに課せられた封印を気にしてるんだろうけど、私が彼から欲しいのは今の彼に差し出せるものだから、こちらとしては何ら問題はない。
その前に確認をとろうか。
「ラシードさんは、蜘蛛とか平気ですか?」
「うん、まあ、大丈夫。契約の訓練とかで掴まえては逃がしたりしてたし」
それなら蜘蛛のモンスターとは過不足なく契約出来るな。よしよし。
私が頷くと、ラシードさんが慌てて首を横に降った。
「あのさ、俺、役に立たないぞ?」
「ん?」
「俺、中級魔物使いなんだ……。一族のほとんどは上級魔物使いなのに……」
「そうですか。それで?」
「それでって……。俺は才能がないんだってば。すぐ上の兄貴にも無能だとか出来損ないとか言われてたし。なんの価値も無いんだよ……!」
ぐっと唇を噛むと、ラシードさんは俯いてしまう。
聞き捨てならない言葉に、目が据わるのを自覚する。
「対価は等価交換だって言ったでしょ?」
存外低い声が出て自分でも驚いたけど、ラシードさんはもっと驚いたのか顔をさっと上げた。
「ガタガタ喧しいんですよ。私が欲しいって言ってるんだから、貴方がする返事は『はい』か『解った』だけです」
「だから対価にならないって言ってるんだったら!」
「私が欲しい物の価値は私が決めるんです。貴方の能力が役に立つか立たないかは、欲してる私が決めることだ」
ピシャッと言い切ると、ラシードさんは不服そうに口ごもる。
そのやり取りを静かに聞いていたロマノフ先生が、ぽんっと手を打った。
「ああ、糸や布の生産を手伝ってもらえれば
「そうなんですよね。タラちゃんだけじゃく、他の蜘蛛の糸や布を使うとバリエーションが増えるかなって」
「物によっては、廉価版や価格帯が違うものがご用意出来るかもしれませんね」
「ですです」
給仕に徹していたロッテンマイヤーさんも、私のしたいことを察して頷いてくれた。
そんな会話にラシードさんは目を白黒させる。
そしてぽつりと言葉を溢す。
「俺、役に立つのか? 弱いし、魔物使いの才能ないんだぞ……」
「蜘蛛のモンスターと契約できれば、今の菊乃井としては御の字です」
「だけど、一族では……俺は無能って……」
「そりゃ、所変われば品変わるでしょ」
彼の一族が住む雪樹山脈は、厳しい自然と強い魔物に囲まれた場所だ。
そんなところで生きていこうと思うなら、強かったり、ある程度必要とされる能力水準を持たないといけないんだろう。
でも菊乃井は違う。
たしかにダンジョンがあるからモンスターの大発生には備えないといけないけど、衛兵だって冒険者だっていてこの街の住人を守ってくれてる。
だから個人的な戦闘力がなかろうと、魔物使いとしての才能がなかろうと淘汰されたりしない。
代わりに農業が出来る知識や体力、商いに携わるための読み書き、何か物を作り出す職人的技巧、その他色々な能力が必要とされる。
菊乃井ではそういった能力が無いと、どれだけ強かろうと生きにくい環境とも言えるわけで。
どちらが生きていくのに良いとか悪いとかじゃない。
そういう地域性だってこと。
そして私が欲しいと思っているのは、糸や布が作れるモンスター蜘蛛と契約出来る魔物使いってだけで、それを満たすなら下級だろうが上級だろうが正直どうでもいいんだよね。
その辺の話をツラツラとすると、ラシードさんはとても困惑しているようで。
「え? や、でも、強い方がよくないか……?」
「そりゃ強いに越したことないですけど、菊乃井にはワイバーンとか必要ないので」
「でも居たら防衛とかに使える……」
「一匹だけで何が出来るんです? 弓の名手やバリスタとかカタパルトに出てこられたら終わりだし、養うには奴ら大食らいだし燃費が悪いですね」
「そ、そうか? でも蜘蛛だぞ? 糸や布作る以外期待できないんだぞ?」
いやいや、それが大事なんだってば。
モンスター蜘蛛の作った糸や布は、防具や貴人の着る服には欠かせない貴重な素材。
採取するのだって、簡単そうに見えて実はそうじゃない。
モンスター蜘蛛の生息地には、狂暴なモンスターが必ず住んでる。
アルスターの森にもモンスター蜘蛛が沢山いたけど、あの森に悪鬼熊がいたように。
そんなだから冒険者に素材採取を依頼すると、それなりの費用がかかる。
そうやって元手がかかってるから、モンスター蜘蛛の糸や布を使った製品だって自然とお高くなるわけで。
それを可能にしているのが、出来る蜘蛛なタラちゃんと、私の尋常じゃない魔力量なんだよね。
これにもう一組、蜘蛛と魔物使いのコンビが加わったら益々生産力があがるんじゃないかと!
力説していると、ラシードさんは益々困惑した顔つきになる。
「本当に弱くても役に立つのか?」
「はい」
「お、俺の一族ではそんなの許されなかった……」
「さっきも言いましたけど、環境の違いなんですよ。貴方が弱かろうとも、ここでは貴方を生かす術がある。だけど雪樹山脈みたいな厳しい場所では戦えないとそもそと生きていられないから、貴方を鍛えようと厳しい言葉を投げ掛ける人がいたんでしょう。反抗心で伸びる人がいないとは言えないけど、私は好まないやり方ですね」
「ここでは俺でも……弱くても生きていける……」
「甘いとはいえ、オルトロスを従えられた貴方を弱いとは思いませんよ。大体ここらでは魔物使いなんて希有な存在です。菊乃井のためには、喉から手が出るくらい欲しい人材だ」
言い切ってラシードさんをじっとり見つめる。
すると、その顔が段々と泣きそうに歪んでいった。
この人、昨日から本当に情緒がジェットコースターで大変そうだな。
まあ、無理もない。
何度も何度もまるで自己暗示にかけるように、無能だとか才能ないとか弱いとか言ってた所に、その逆をぶつけられてるんだし。
そのラシードさんが、私の視線に耐えかねたように俯く。
「魔物使いなら誰だっていいんだろ? 俺じゃなくたって……」
「そうですよ。でもね、いくら優秀でも自分より弱いと解ってる弟にワイバーンをけしかけるような上級魔物使いの貴方の次兄より、才能がないと言われても研鑽を重ねた中級魔物使いの貴方なら、私はラシードさんが良い」
「……ッ!?」
「私は貴方が良いんです」
だって絶対ラシードさんの次兄って鼻っ柱強くて扱いにくそうだもん。
その点、聞く耳があるラシードさんのが関わりやすそうだし。
更に封印がかけられてるにも関わらず、自身の研鑽で中級魔物使いまで辿り着けたこと。
翻せばそれは、封印がなければ彼の能力はもっと高いってことだ。
こんな良い人材中々いないよ。
そう、彼はお釣りが来る。
背後の厄介事さえ片付ければ、等価交換どころか貰いすぎになるかもしれない。
「……ってわけで、私はラシードさんから『はい』か『解った』以外の返事を受けるつもりはありません。その上でお返事は?」
多少行儀は悪いけれど、テーブルの上に肘をついて、組んだ手の上に顎を乗せて尋ねる。
見つめる先にいるラシードさんの目に、力と光が宿っていた。
「解った、やる」
「そうですか。なら後でタラちゃんに気立てのいい蜘蛛さんを紹介できるか聞いてみましょうね。それから厩舎にいるオルトロスやグリフォンにも会いに行ってやるといいですよ。うちの馬丁のヨーゼフは動物もモンスターも、調教では誰にも負けない。学ぶこともあるでしょう」
いやー、良い取引だ。
これぞWin-Winってやつじゃない?
ホクホクしていると、パタパタと急ぎ足で宇都宮さんが食堂に入ってきて。
「お怪我の……イフラース様がお目覚めになりました!」
明るく響く声に、がたりと椅子を倒してラシードさんが立ち上がる。
私も立ち上がるとラシードさんに「先に行っててください」と声をかけた。
「イフラースさんを診てくださってた方に連絡してから行きます」
「解った、ありがとう!」
パタパタと宇都宮さんと同じく早足で、彼女の後を追ってラシードさんは食堂を出ていく。
どんなに急いでても走らない辺りに、育ちの良さが匂う。
その背を見送っていると、ツンツンと袖を引かれた。
レグルスくんだ。
「にぃに、かっこいいおかおしてる」
「そう?」
レグルスくんの言葉にへらりと笑うと、ロマノフ先生が肩を竦める。
「レグルス君の『かっこいい』は、私達の悪いお顔という意味なんですが?」
「やだなー、私は転んでもただでは起きたくないだけです」
確かに本人も解らない封印を課されていて、しかも命を狙われる存在を抱え込むなんて相当なリスクなんだろう。
だけど、相手が愚かでなければ菊乃井はこのまま希有な人材を確保出来るし、もしも国を超えて手出ししてくる輩なら、私より先に帝国が黙っていない。
後ろ暗い手段を使ってくるなら、その時は彼の一族に落とし前を着けてもらえばいいだけだ。
何にせよ、そう悪いことにはならないだろう。
くふりと笑うと、先生達も同じく悪い顔で笑った。
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