第210話 無関心の対義語は好意ではない
私が普段飲んでるお茶は紅茶なんだけど、緑茶も東の方では作っているそうだ。
この辺は緑茶より紅茶が好まれるから、あまり流れてこないだけ。
温かい物を飲むと若干気分が落ち着いたようで、皆どこかホッとしたような顔だ。
想定外の人物の登場に、ちょっとパニック起こしたけど、もう大丈夫。
蜜柑ジャム入り紅茶が沁みる。
はふっと息を吐けば、ロマノフ先生が難しい顔をしながら、顎を擦っていた。
「もしかして」と呟いた言葉に、ヴィクトルさんもラーラさんも、何かに気づいたような表情を見せる。
そんな二人の間で暫し視線を行き来してから、ロマノフ先生は口を開いた。
「皇居での新年パーティーの席で、内密にとロートリンゲン公爵が教えてくれた事があるんですが……」
首を捻ると、ヴィクトルさんもラーラさんも頷く。
そしてちょっと微妙な顔で先生方が教えてくれたことには、貴族の間で菊乃井の噂が流れているそうだ。
曰く、菊乃井の嫡男は両親が取り返しの付かない失態を犯すのを待っている、と。
理由は両親が取り返しの付かない失態を犯した時、陛下より二人を隠居させるようにというお言葉を賜る約束が出来ているから。
陛下は菊乃井の嫡男の両親に似ぬ聡明さを愛し、それを発揮できぬ状況を憂えている。
しかし暗愚と言えど親は親。
家名を汚さぬためとはいえ親殺しをなしたものを、未来のことだとしても重用するのはいかなものか。風当たりは強かろう。
そうお考えになったからこそ、陛下はあえて菊乃井の嫡男を「時を待て」と押し止めておられるのだとか。
「……帝都の方々って妄想、げふん想像力高くないですか?」
「身も蓋も底もないことを言わないんですよ」
「だって、単に殺すほどの価値があの二人にあるのかって話なのに……」
たしかに私は母にも父にも飲み込ませたい事があるんだけど、それは別に飲まなかったからって私は一向に困らない。
だって領地に関する権限も軍権も取り上げた。
ほぼあの二人にはなんの力も残っていないのだから。
血腥いことをするのは手っ取り早い。
でも、それをしたら大人は私をどう思うだろう。
あの両親のことだから仕方ないと言いつつ、私を恐れ要らぬ猜疑心を持つ筈だ。
そしてそれを我が子に話すだろう。そっちの方が私やレグルスくんが大人になったときに痛手だ。
という訳で殺すより出家なんだけどな。
生きてたら私が失敗した時の責任を押し付けられるけど、死体に鞭打つのは憚られる。
そこまで考えて「あ……」と声が出た。
「もしかして、母はその噂を真に受けたんじゃ……!?」
「可能性はあるでしょうね」
「蜥蜴の尻尾切り、かな」
「相当彼方さんも怯えてるってことでは在るんだろうけども……」
先生方それぞれから声が上がる。
ブラダマンテさんが、物凄く複雑な表情を私に向けた。
「えぇっと、お母様はそのお噂を真に受けて、家名に傷をつけるような真似ばかりなさるお父様に愛想をつかし、生き残りを図って切り捨てようとなさっている……ということでしょうか?」
「醜態を晒す父を私に始末させるために、プレゼントの名義をレグルスくんになるように小細工したんでしょう。私が怒り狂って父に毒の杯を渡すと思った……のかな?」
迂遠だ。
物凄い迂遠だ。
オマケに見当違いの作戦だし。
頭を掻けば、伸びた髪がワサワサと揺れる。
母は去年から徐々にこちらにすり寄ってきていたけれど、それは私の機嫌を取るためだったとして、じゃあこの件はなんなんだろう?
私が口実を与えられて、嬉々として父を始末するとでも思ったんだろうか?
「だとしたら随分舐められたもんだな……」
血が沸騰するような怒りが、腹の底から沸き上がる。
短絡的に私が血を流すようなことを是とすると思ってのことなら、私をお前たちと同列に扱うな!
叫びそうになる気持ちを押し止めて、体内で渦巻く魔力を散らす。
私の怒りはブリザードを起こすから、意識して散らさないと。
瞬時に登った血も、深呼吸すればなんとか降りていく。
「若様……」
「……大丈夫です」
ロッテンマイヤーさんが心配そうな顔で私を見てる。それに手を振ると、少し冷めた紅茶で喉を湿らせた。
うん、紅茶の香りって落ち着く。
もうなんか、色々慮るのも面倒臭くなってきちゃったんだけどな。
「目が据わってるけど、あっちもこっちも潰しちゃう?」
「魔力を流したら今見た映像がいつでも再生出来るよう、カーテンに魔術を固定化したから証拠としては使えるよ」
ラーラさんとヴィクトルさんの言葉に、ちょっと考える。
イルマの単独犯であれば、ことを公にして菊乃井の家名に泥を塗ってくれたことを償うために、父に出家を迫ろうと思ってたんだけど、これはそれでいけるんだろうか?
それからセバスチャンか。
ヤツは野放しにするのは危ないだろうから、紐付きにして母と纏めて幽閉にでも処したいところだな。
イルマはまあ、成り行きで私に危害を加えたことになったけど、本人が明確に意図してやったことはレグルスくんへのプレゼント購入資金の着服と呪具をそれと知っていて渡したことか。
レグルスくんへのことは個別で圧迫面接必須だけど、それは菊乃井のこととは切り離す……としても微妙。
後は母だな。
うーん、頭が痛い。
ぐりぐりとこめかみを揉んでいると、おずおずと白い手が上がった。
ブラダマンテさんだ。
どうしたのか尋ねると、躊躇いがちに唇を解く。
「あの……宇気比をなさるのはいかがでしょう?」
「宇気比って、あの宇気比ですか?」
懐かしい儀式の名に私が首を傾げると、ブラダマンテさんが頷く。
「宇気比は冤罪や真実を明す方法ではあるのですが、逆にも使えます。この件にお母様が関わっていなければお母様の身にはなにも起きず、関わっていれば……」
「ああ、なるほど」
まあ、関わってなくても使用人の監督不行き届きかつ女主人失格で、出家か幽閉かって話になるだけなんだけどね。
それにしても面倒だ。
なんでどいつもこいつも、大人しくしていてくれないんだろう。
大人しくさえしていてくれたら、適当に落とし所に落としたものを。
歯噛みすれば、大人がみんな複雑な顔を私に向けた。
「そりゃあ、無理ですよ。あちらは鳳蝶君を知らないけれど、バラス男爵の末路は知れ渡っていますし」
「あーたんから恨まれる自覚はあるわけだし、あんな噂が出回ってたらそりゃ怖いよねぇ」
「そうだろうね。特にまんまるちゃんのお母上は貴族らしい貴族なわけだし、お父上を生け贄にして生き残れるならそうするんじゃない? 虎の尻尾を踏んでそれで済むなら安いとかって」
なんだ、その私への評価は!?
「心外な……。あのですね、道端の雑草や小石に脚を取られたからって、その雑草を絶滅させたり、小石を無になるまで燃やしたりする人がいますか?」
私にとってあの二人はそういう存在だ。
顔を見れば憎らしく感じるのかもしれないけど、価値としてはそれくらいでしかない。
そんなモノを憎んでる暇があるなら、私はレグルスくんと遊びたいし、領地を耕したいんだよ!
むすっとしながらそう告げると、先生方が至極真面目な顔をした。
ロマノフ先生が静かに問う。
「未練は全くないんですね?」
「まったく、これっぽっちも」
「二度と会えなくなったとしても?」
「私を最初に切り捨てたのはあの人達です。先生は前に私は一度死んだのかも知れないと仰いました。ならその時に、私とあの人達の今生の縁は切れたんです」
正直な話、私はあの人達をもう親とは思ってないんだと思う。
だって会話らしい会話をした覚えもなければ、共に過ごした記憶もない。
今の私に親と呼ぶものがいるとするなら、それはやっぱりロッテンマイヤーさんだろう。
しかし。
きゅっと目を瞑る。
「……レグルスくんには……父は……」
必要かもしれない。
それを思うと、父の事は踏ん切りが中々つかないんだよね。
大きな溜め息が出る。
すると、ロマノフ先生が優美に組んでいた脚を変えた。
「では王城から攻めとりましょうか?」
「王城? 母からお片付けですか?」
「はい。本拠地を攻め落とせば、後は捨て置こうが攻め潰そうが自在です。何せ連携したりする筈のところが、勝手に分断されているんですから」
変わった例えにちょっと首を捻ると、ロマノフ先生が頷く。
ヴィクトルさんも頷いた。
「各個撃破は定石だね。王城が落ちたら、あっちの支城は補給も儘ならないんだもん」
「今でも十分兵糧攻めが効いてるし、後ろを突かれる心配もないしね」
ラーラさんの言葉に私は苦く笑った。
そりゃ父から母に援軍なんか出せないだろう。
というか、その支城を窮地に陥れたのは王城なんだから。
私の様子に同じく苦笑いすると、「ともかく」とロマノフ先生がソファから立ち上がった。
それに続いてヴィクトルさんやラーラさんも立ち上がる。
「一週間、いや、三日ほど時間を下さい。ちょっと根回ししてきます」
先生方は凄く晴れやかな顔だった。
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