第209話 渾沌たる闇の底
どういうことなの!?
なんで別邸でイルマに呪具を売り付けた商人が、あの母の従僕のセバスチャンになるわけ!?
注意して見たら背景の壁紙とか、うちとそっくりだよ!?
目と思考がぐるぐる回る。
意味が解らなすぎて唖然としていると、パンッとブラダマンテさんが手を打った。
「やはりこの方です。時々『お嬢様のために……』とか『お家とお嬢様をお守りしなければ』とか呟いていらしたから、この方がお仕えされる方はどのような立派な方かと思っていたんです」
「へ……?」
私が混乱していても、短剣の記憶の逆再生は続いていて、セバスチャンの手によって箱の中に短剣が戻されて暗転。
その暗さにちょっと落ち着いたから、記憶の画像を止めてもらうと深呼吸をする。
その頃にはロマノフ先生もロッテンマイヤーさんも平静を取り戻していて。
「……まさか、こうくるとは」
「やり方が貴族的だと思ってはおりましたが、流石にこれは……」
呟いた二人に、皆で首を傾げる。
どういうことか尋ねる前に、ヴィクトルさんが声を上げた。
「あの蛇みたいな男、あーたん知ってるの? アリョーシャもハイジ……ああ、ごめん。ロッテンマイヤーさんも?」
職務中はハイジじゃなくてロッテンマイヤーって呼んでくれって頼んでたっけ……なんて現実から逃げてる場合じゃない。
この男が母の従僕のセバスチャンだと説明すると、ラーラさんが不快げに眉を跳ね上げた。
「ひよこちゃんを階段から突き飛ばしたやつか……!」
「はい。その外道従僕です」
頷くと、今度はロマノフ先生が口を開く。
「これは私たち教師陣もロッテンマイヤーさんも鳳蝶君も、推測が外れたような当たったような、ですね」
「左様でございますね」
「うん? どういうことでしょう?」
首を傾げると、ロッテンマイヤーさんが「僭越ながら」と説明してくれた。
この一件、ロッテンマイヤーさんはイルマにはこちらを呪う意図は無かったのではないかと思っていたそうな。
だってメイド。
専門的な知識なんてないし呪具の見分けなど出来ない。
まして宇都宮さんやアンヌさんから察するあちらのメイド長の水準は、貴族としては失格ライン。
更に主人である父に対しても、レグルスくんに対しても悪感情しかない。
それらを総合するに流れの商人から二束三文で買ったプレゼントを送りつけて、双方に恥をかかせるくらいが思い付く嫌がらせとしては関の山なのではないかと思ったそうで。
「どちらかと言えば、プレゼントを購入する資金の着服の方が主目的ではないかと思っていたのです。なんというか、若様が仰るような策謀とは無縁の方のようでしたし」
確かに短剣の記憶の中でメイド長はそれらしき行動を取っていた。
そしたらメイド長が最初に企んでたのは購入費の着服で、呪詛自体は然程重要な目的ではなかったってこと?
私の疑問に答えるように、ロマノフ先生が唇を動かす。
「私はロッテンマイヤーさんの案に加えて、黒幕に他家の貴族や商人がいて、鳳蝶君の案をあちらのメイド長に入れ知恵したんだと思ってたんですよね」
えぇっと、それは要するに誕生日プレゼントの購入資金を懐に入れたいイルマを利用して、父やレグルスくんひいては私に、私が思い付いたような嫌がらせをしようとした黒幕がいるんじゃないかと先生方は思っていたってことか。
ロッテンマイヤーさんの貴族的だというのは、その遠回り加減と貴族のお家事情を知らなければ出来ない、言い方は良くないかもだけど「メイド風情」では出来ない嫌がらせだという意味合いなんだそうな。
でもロッテンマイヤーさんは出来そうだよ?
「あーたんのメイド長の基準はロッテンマイヤーさんだけど、彼女が有能すぎるぐらい有能なだけで普通のメイドさんはここまで有能な人、少ないからね?」
「は!? そうだった!」
ヴィクトルさんの苦笑に、私ははっとする。
私のメイド長の基準はロッテンマイヤーさんだ。
一人で二人分以上の働きをしてくれるひとなんて、そうそういやしない。
そう解ってる筈なのに、やっぱり目の前にいる人を基準にしてしまう。
普通のメイドさんはこんなこと出来ない。
むぅっと唸ればラーラさんに肩を叩かれた。
「でも黒幕が企んでたことはまんまるちゃんが推理した通りだから、全く的はずれって訳でもないよ」
「ですが、黒幕が鳳蝶君の母上の従僕となると話が変わってきますね。鳳蝶君の母上が関わっているか否かでも色々と違ってくる……」
ロマノフ先生の苦いものを飲み込んだような顔に、皆が頷く。
しかし、と私は思った。
ブラダマンテさんがデミリッチの中で見ていたセバスチャンは『お嬢様のために』とか『お家とお嬢様をお守りしなければ』とか言ってたらしい。
それならセバスチャンは
って言うか。
「お嬢様って、母のことですかね?」
疑問が口から無意識に溢れ落ちたらしい。
先生とブラダマンテさんがきょとんとして、ロッテンマイヤーさんが「あ!」と珍しく声を上げた。
「若様は五歳以前の記憶が病のせいであやふやで覚えていらっしゃらないのでしょうが、セバスチャンは奥様のご幼少の頃から従僕としてお側に仕えている者でございます」
「んん? 若そうに見えて結構な歳なの?」
「いいえ。セバスチャンは先代執事の息子で、年の頃が近いからと先々代の奥様が奥様にお与えになったそうなのです」
「与えたって……オモチャじゃないんだから……」
人間を物のようにいうなんて、ロッテンマイヤーさんらしからぬ言動に驚いていると、彼女は首を横に振った。
「まさしく玩具をお与えになったような感覚で、奥様のセバスチャンへの扱いもそうだったと、大奥様がお嘆きだったのを覚えております」
「……なんという……!」
いや、でも、そんな扱いを受けていて、家を守るだとかお嬢様を守るとかいう言葉が出てくるだろうか?
もしかしてこの記憶の男はセバスチャンじゃなかったりして。
だけど、父上やレグルスくんや私に隔意があるセバスチャン似た男が、こんなに近場に何人もいるとも思えないし。
仮に執事の息子だったから、菊乃井を守らなきゃいけないと思ってたとして、何で今動くんだろう?
動く機会はいくらでもあったし、菊乃井を大事に思うなら母の浪費やなんやかやを先に止めてくれれば良かったんだ。
それなのに全部すっ飛ばしてこれって、どういうことなわけ?
頭には疑問符が幾つも生える。
でもあれこれ考えたって、私はセバスチャンじゃないんだから解る筈もない。
眉間にシワを寄せて考えていると、ブラダマンテさんが「あの」と躊躇いがちに言葉を紡ぐ。
「わたくしにはこの方が良い方か悪い方かは解りかねますが、この方が『お嬢様を守りたい』と願うのは本心だと思います」
ブラダマンテさんが言うには、セバスチャンはずっと薄暗い情念を纏ってはいたけど、「お嬢様」のことを口にする時は一本すっと芯が通った感があったとか。
じゃあ、なんであの時嗤ったんだろう?
セバスチャンは、先生やロッテンマイヤーさんを交えた、両親との話し合いの席で醜態を晒す両親を嘲笑していた。
家を守りたい、母を守りたいと考えたなら、あそこであんな醜態を見せるのはまずいだろうに、それを諌めなかったのは何故だ?
ダメだ、謎が多すぎる。
思考が煮詰まりすぎて、ぷすぷすと頭から湯気があがりそうだ。
ロマノフ先生とロッテンマイヤーさん、あの場にいた二人も凄く複雑な顔をしていて。
パンパンと手を打ち鳴らす音が書斎に響いた。
はっとするとヴィクトルさんが肩をすくめる。
「ちょっと一息入れようよ。お茶でも飲んで気持ちを落ち着けたら、また見えるものがあるかもだし」
その言葉に皆が頷いた。
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