第208話 集束する暗闇
刃を落とした短剣の柄には、いくつも見事な宝石が填まっていた。
その中の一番大きな物は、丁度柄の中央にあって不思議な光彩を放つ。
紅く輝くそれはヴィーヴルの額の石だそうで、これはブラダマンテさんのお母様の形見の品だそうな。
彼の聖女ブラダマンテは歳経たヴィーヴルに育てられ、母の死の床で母と親交のあった桜蘭の神官に、額の石と共に託されたという逸話を持つ。
だから帝国ではブラダマンテという名前を娘に付けたなら、ヴィーヴルの額の石といわれるガーネットの付いた、刃を落とした短剣を持たせるのが習わしとなっているのだ。
ちゃんとそういう風習を守ってる辺り、ブラダマンテさんのお母様はとても信心深かったのかも。
そんな娘さんが聖女ブラダマンテの道を辿って、巫女さんになって行方不明なんて、どれほど親御さんは悲しんだろう……。
じゃ、ない。
今はそういうことを考えてる場合じゃない。そんな大事なことは、こっちのゴタゴタと混ぜて考えちゃダメだ。
すっと深く息を吸うと、短剣のガーネットに指先で触れる。
「短剣に宿る精霊よ、私にあなたの記憶を見せてください。もしも見せてくださったなら、あなたをピカピカに磨いてさしあげる」
半分歌いながら告げると、「え、軽っ!?」と、ヴィクトルさんが呻いた。
「軽いです?」
「いや、だって……。昔、その魔術の詠唱聞いたことがあるんだけど、もっと仰々しかったよ?」
「はぁ、でもロスマリウス様は物に宿る精霊に『記憶を見せてくれたらこれこれしてやる』って言えば等価交換で見せてくれるって仰ってました。あとゴテゴテ言葉を飾ったら、精霊が理解するまで時間がかかるから簡潔にって」
なんでも精霊と私たちの言葉ってかなり違うみたいで、訳するのが中々難しいそうだ。
前世でいうなら日本語を外国語に訳すみたいなものかな。
だからゴテゴテ言葉を飾るより、簡潔にした方が伝わり易いんだって。
なんなら何にも言わないで、使いたい魔術をイメージしながら魔力を渡した方が、してほしい事をそこから汲み取ってやってくれるとか。
じゃあなんで詠唱するかっていうと、きな臭いのとそうじゃない理由があったり。
でもそんなことは私が言わなくても、先生方は気付いたようで。
「使い方を難しくした方が、使える者が少なくて済むからかい? 攻撃魔術の最上位のやつなんか、とんでもなく詠唱長いもんね」
「時間がかかれば発動が難しくなるばかりですしね」
そう、最上位の攻撃魔術の詠唱はやたら長い。
私が攻撃魔術の上位をほぼほぼ使わないのは、効果範囲が広くて威力が強いからフレンドリーファイアが怖いってのが一番の理由だけど、二番目の理由は呪文が長すぎて覚えきれないからだもん。
ラーラさんとロマノフ先生の言葉に「でも」とヴィクトルさんは首を振る。
「詠唱は精霊に渡すのに十分な魔力を練り上げるためには、必要なルーティンだ。呪文を口にすることで、体内に魔素を取り込んで練った魔力と術のイメージが組上がる。それに詠唱時間が長いと精霊が術者に気づいて沢山近寄ってきてくれるんだよ」
その通りなんだけど、瞬時に魔力とイメージを組める者は少数の精霊に沢山の魔力を渡し、詠唱でそれをする者は沢山の精霊に均等に魔力を行き渡らせているってだけで、威力に違いはほぼないらしいんだよね。ロスマリウス様談だ。
つらつら話していると、ロッテンマイヤーさんがおずおずと机の上を指した。
「あの、先程から短剣が光って御座いますが……」
「おお! どうやら承諾してくれたみたいですね」
キラキラと金の燐光を纏う短剣に、もう一度指先で触れて、今度は多めに魔力を注ぐ。
すると逆流するように、頭の中に色付で画像が流れ始めた。
記憶の再生は短剣が作られたところから始まったようで、ちょっと長丁場になりそうな予感がひしひし。
なので、精霊にお願いすることに。
「精霊さん、申し訳ないんだけどここのお屋敷にくる一ヶ月半くらい前から見せてくれるかな?」
語りかけると、ふつりと脳内の画像が途切れる。
それからほんのちょっとして、再び脳内に映像が流れてきた。
真っ黒な仕立ての良さげな袖に、暗い中から引っ張り出されて正面には引っつめ髪のおばさん。
メイド服を着ていて、凄くニタニタしてる。
『……これがその、呪いの短剣?』
ちょっと聞き取りにくいんだけど、女の人の声。
どうやら、短剣は肝心の場面をぴたりと再生し始めてくれたようだ。
先生方やロッテンマイヤーさん、ブラダマンテさんにカーテンに目を向けて欲しいと告げて、私は窓にかかるカーテンへと手のひらを向ける。
少しだけ短剣に記憶の再生を止めてもらって、今見た場面をカーテンに映す。そして再生が追い付くと、短剣にまた記憶を見せてもらう。
『……左様です。所有者に些細な不運が訪れますが、それだけ。子供なら始終動き回って転んだりするもの。その回数が一回くらい増えたところで……』
『怪しまれないってわけだ。アンタ、こんなの扱って儲けてんの?』
『人の不幸は蜜の味と申しますからねぇ』
人品が下衆だと思えば、笑い方まで下衆に思えてくるから不思議だ。
脳内でもカーテンのスクリーンでも笑う男女にゾッとする。
景色が回転した。
女が短剣を手に取ったのだろう。くるくると回される視界に、黒い袖の主であろう男の顔が写った。
顔は笑っている。
しかし眼がどうにも、気になる。まるで短剣を持つ女を嗤う蛇のような雰囲気があった。
この目、なんか引っ掛かるな。
どこかで感じたことがあるような。
いや、私が知る蛇みたいな目の男はたった一人──母の従僕・セバスチャンだけなんだけど。
でも今は関係ない筈だ。
だいたい男の顔に靄がかかったり晴れたりで、中々はっきりしない。
輪郭が二重にぶれていて、凄く見辛いんだよね。
脂ぎったブルドッグみたいなおじさんの中に、スラッとした若い男が見え隠れしてる。
「この商人、認識阻害と姿変えの魔術使ってる……」
「……となると、この商人も怪しくなりますね」
目を細めてカーテンのスクリーンを見るヴィクトルさんと、その言葉に頷くロマノフ先生。
ラーラさんがさもありなんという顔をした。
「呪具をそれと解ってて売る商人だ。さぞや後ろ暗いことがあるんだろうね」
しかし、この商人はこの件で大した罪には問えない。
だって「呪具ですよ」ってきちんと説明してるもん。
本当に使うかどうかは買った側次第だから、解ってて売った程度だと罰金ぐらいが関の山だ。
後はこのメイドがイルマかどうかなんだけど、それは宇都宮さんかアンナさんに確かめてもらうとして。
あと一押し、何か決定的なことを言わないもんか……。
そう思っていると、スクリーンを見ていたブラダマンテさんがら小鳥のように小さく首を傾げた。
どうしたのか尋ねる前に、メイドが動く。
エプロンのポケットから小さな布袋をおもむろに取り出し、その中から銀貨を一枚、商人に差し出したのだ。
『まったく、あんな子供の誕生日に金貨一枚も使うなんて馬鹿馬鹿しい。御嬢様と少しでも似てりゃあ可愛げもあったろうけど、父親にばかり似てて憎らしいんだから……!』
『それはそれは……』
『 お屋敷を維持するために置いてやってるってのに、その金も持ってこれない役立たずのくせに贅沢な……』
蔑むように言うメイドの目は暗く淀んで、ちょっと鳥肌が立った。
なんだこの、他人を貶めたり虐げるのを、自分の持つ当然の権利とでも言わんばかりの態度は。
メイドと対面している商人だろう男も、少しばかり引いているようだ。
銀貨を手にすると、男はそそくさと荷物を片付ける。
その様子に引っ掛かりを感じた。
だってこのイルマとおぼしきメイド、先ほど「あんな子供に金貨一枚使うなんて」って吐き捨てた癖に、商人に渡したのは銀貨一枚きり。
あとのお金はどこに消えたんだろう?
もしかして自分の懐か?
嫌な感じに眉間を押さえていると、短剣の記憶の光景のなかでメイドは鼻を鳴らした。
『ねぇアンタ、また面白いのが手に入ったら持ってきてよ。気に入ったら買ってあげなくもないわよ』
『ありがとうございます。しかし、よろしいんですか? 私のような行商人が出入りして』
『アンタ、ここは菊乃井伯爵の別邸よ? 商人が出入りしてて、なんの不都合があるわけ?』
女が吐いた言葉に、室内が凍る。
確かに「菊乃井伯爵」と、女は口にした。
ビンゴだ。
顎を一撫ですると、先生方やロッテンマイヤーさんと目線を交わす。
だが、まだ画像は続いていて。
『それにしても、アンタもワルい奴よねぇ?』
『あはは……』
『あっちが呪いに気付かなくても子供があの男のせいでちょっと不運な目に遇うだけだし、呪いがバレたってアタシが知らぬ存ぜぬを通しゃ、あの男が恥をかくだけ。面白いったら!』
『菊乃井様にエルフの三英雄がご滞在なのは有名な話ですしね。ふんぞり返ってるだけの貴族なんぞ、ちょっと痛い目をみればいいんですよ』
ぐふぐふと腹を揺らして嗤う男の中で、スレンダーな男が冷たい目をしていた。
男の様子に、やはりブラダマンテさんが首を傾げる。
何か引っ掛かっているのだろうか?
尋ねてみると、ブラダマンテさんが頬に手を当てる。
「いえ、実は先ほどからちらちら見えている蛇のような男性に見覚えがありまして……」
「え?」
「おそらく、この暫く前、わたくし少しばかり意識があったのでは……と」
ブラダマンテさんのいうには、その蛇のような男は菊乃井の屋敷と同じような格式の家に住んでいて、ブラダマンテさんの短剣はそこに飾られていたそうだ。
菊乃井の屋敷と同じような格式といえば貴族だろう。
「……ちょっと過去を見てみましょうか」
もしも何処かの貴族が噛んでいるなら、また話が違ってくる。
なので短剣にお願いして、記憶をそこから巻き戻してもらって。
商人がメイドと話しているところから、箱の中に仕舞われ、更に荷物の中に仕舞われてと画像が逆再生されるのを見ていると、今度は何処かの屋敷に戻ったのか、菊乃井の屋敷と似た調度のある部屋の様子が見えた。
壁紙に菊っぽい花が沢山付いてるし、家具にも菊の彫り物があったり。
商人の泊まっている部屋だろうか。
短剣が箱から出されて、飴色のテーブルに置かれると、先ほどの黒い袖が目に止まる。
ピカッと光ったあと、何やら男がぶつぶつと呟いているけど、逆再生だからか意味ある言葉に聞こえない。
徐々に現れていく男の姿に、私とロマノフ先生、ロッテンマイヤーさんは目を見張った。
「なんで、コイツが!?」
「これは……」
「この男はたしか……」
絶句する。
そこにいたのは、母の従僕・セバスチャンだった。
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