書籍2巻発売記念SS2・風の神はその意味を身をもって知る

 あと二週間もすれば正月が来る、そんな時分。

 僕は麒凰帝国の中央に程近い、とあるラビリンスの中にいた。

 ここは百華が鳳蝶を囲うように、僕が贔屓にしているとある公爵家の次男坊が、自分の隠れ家として利用している場所でもあって。

 ラビリンスはダンジョンと違って、人工的に作られた迷宮を指す。だからダンジョンよりはまだ人間に優しい造りになっているのを、更に次男坊は自分の持てる能力をフルに使って、凄く暮らしやすい空間にかえたのだ。

 なにせ帝国貴族でも中々買えないような、ドワーフの名工が作ったソファとテーブルがあるくらい。

 ふかふかのクッションを背もたれにして寛いでいると、深い深い群青の髪の、少しばかり目付きの悪い少年が組んでいた腕を解いて、薄い唇を開いた。


「アンタさ、ミシンとか作れる?」

「んー? 何それ? どういうの?」

「ああ、手芸の道具なんだけどさ」


 つらつらと紙に絵を描いて原理を説明してくれた「ミシン」とやらは、どうやら彼に残る異世界の記憶の名残で、それがあると布を縫うのが凄く捗る道具だそうで。


「百華公主の相談は、あの姫さんとこにいる蝶々ちゃんの誕生日プレゼントなんだろ? ミシン、絶対使えるし、喜ぶって。俺の前世のツレもミシンはあるとありがたいって言ってたし」

「だろうね。でも誰か作れる職人いる?」

「そんなん、アンタが作ればいいじゃん」


 事も無げに言ってのけるけど、僕、神様だよ。

 ちょっとだけムスッとしてそう言うと、目の前のソイツは「だから?」と首を捻る。


「お前ねぇ、僕は神様なの。不敬とか思わないの?」

「俺がこういうヤツだって解ってて付き合ってるヤツの言う台詞かよ」

「百華のところは凄く敬ってくれるけど?」

「知るかよ。蝶々ちゃんは字だけじゃなくて、色々丁寧なんだろ」


 ヤツがふいっと視線を逸らして見た先には、鳳蝶が書いた丁寧な手紙が飾ってある。

 恐らくはコイツにとって初めて出会った、同郷の記憶を持ち、更にはかつての祖国の味で心の底に沈む諦念と孤独と絶望を癒してくれた相手、それが鳳蝶だ。

 っていうか、僕思うんだけど、コイツなんか勘違いしてる気がする。

 だって、手紙を見る目には懐かしさ以外の、ちょっと系統の違う熱量がある、ような?

 そしてそれを裏付けるように、時々「可愛い名前の~」とか「気立てのいい」とかが、「蝶々ちゃん」の前に付いてたりするんだもん。

 これ、もしかして早めに言ってやらないとダメなヤツかな?

 思案していると、駄目押しかなんなのか、ヤツが再び言葉を紡ぐ。


「そりゃムリマの爺さんなら作れないことはないだろうよ。でも姫さんのご希望なんだろ? 爺さん、デザインとか性能とかに凝っちまって、あと二週間でなんて絶対無理だ」

「ああ、それは……」


 ドワーフの名工というのは、本当に本当の逸品を作る時は、それこそコダワリまくって何年もかけて作り出す。それが神に捧げられるものなら尚更時間がかかる。

 それに思い至ってため息を吐けば、ヤツもニヤッと口の端を上げた。


「俺も蝶々ちゃんとは長くお付き合いするつもりだから、作ってやってくれよ。俺たちが組んで良いものを世界に送り出したとき、力をつけるのはアンタなんだからさ」

「お前ってヤツは本当に神を畏れぬ不心得者だね……」


 がっくりと俯けば、ヤツがニシニシ笑ってる気配がする。

 まあ、どうせ百華だって僕に作らせようとするだろうし、これは巡り合わせってやつなんだろう。


「お願い申し上げますよ、イゴール様」


 笑ってる気配をそのままに、頼んでるとは思えない態度のヤツに僕は一矢報いることにした。

 すっとソファから立ち上がると、ヤツが描いた絵を懐に入れる。


「どうせこうなるとは思ってたけど、まあ、やってみるよ」

「ああ。喜ぶだろうな、蝶々ちゃん」

「そうだね。手芸大好き男の子だからね」

「……へ?」


 僕の「男の子」を強調した言葉に、ヤツがひゅっと呼吸を止める。

 上気していた頬が一瞬にして色を無くすと、「へ?」と再度間抜けな声を漏らした。


「お、おとこ?」

「うん、男の子」

「か、可愛い『女の子』じゃなくて?」

「ころころした可愛い男の子」


 「じゃあね」と手を振って僕は姿をけしたけど、消える前に見たヤツの顔は、鳩が豆鉄砲を大量に食らったような顔だった。


 それから二週間後、僕は百華に鳳蝶の誕生日プレゼントを渡すべく、神々の宴にミシンを持ってきていた。

 とは言え、百華は冬の間は地上に絶対降りない。

 そうなると、鳳蝶に誕生日プレゼントを届けに行くのは僕の役目になるんだろう。

 そう思って百華に会えば、なんと鳳蝶の弟への誕生日プレゼントまで託されて。

 いくらなんでも、僕の扱い雑過ぎない?

 ちょっとげっそりしたけど、まあ、僕は神の中でも若手の方だし、お年寄りな百華たちよりはフットワークも軽いから。

 そう思って宴を楽しむことにした。

 百華の天上のご座所にある果樹園の果物や、ロスマリウスのところの海の幸、くりやの神が腕を奮ったご馳走、他にも盛り沢山。

 舌鼓を打っていると、不意に宴の場の空間が歪む。

 その歪みから漂う、静謐にして暗い、けれど不穏さの無いオーラは、生き物が永久の眠りに落ちる時の雰囲気の表れだそうだ。

 一瞬の揺らぎのあと、歪みが大きくなる。

 そしてガラスが割れるような音と共に、闇紅色の長い髪を背中に流した男が一人、人間のいうところの髪と同色の肋骨服にやっぱり闇紅色の長いマントを垂らして立っていた。

 その姿に、宴の雰囲気が即座に静まり返る。


「え、誰?」


 その男を見た正直な感想が、僕の口からポロリと出ると、男はその妖美な顔を誇るように胸を張った。


「薄情だな、貴様は。我以外に誰が永久の眠りの静謐を纏うのだ」

「……ひ、氷輪!?」


 紅い瞳が笑む。

 氷輪は特定の姿を持たず、宴にもいつも黒い靄のようなかたちで参加していた。

 それが人の貌をするだけでも驚きなのに、更に笑うなんて。

 呆気に取られる僕を他所に、氷輪は優美に宴の席に着く。

 その姿に、百華が声を上げた。


「そなた、そんな貌であったかえ?」

「いや、あれの中の『死』のイメージを借りたらこうなった。中々美しいかろう?」

「菫の園の役者の姿……かや?」

「黄泉の國の帝王で『死』の具現の役らしいぞ。役者一人一人の演じ方が違うからか、中々安定せん」

「そうかえ」


 ふむふむと頷く百華と、見せびらかすように優雅に氷輪はマントを払って席に着く。

 どういうことなの?

 僕だけじゃなく、皆そう思ったろう。

 しかし、そんな僕らを他所に氷輪は百華と何やら話出した。


「あれに誕生日祝いを渡そうと思うのだが」

「奇遇じゃの。妾も用意してイゴールに渡したぞ」

「ああ、地上に降りられぬからか」

「うむ、そなたも渡せばよいぞ」


 いや、なんで僕を使い走りにする許可を、百華が出すのさ。

 抗議しようかと口を開きかけた途端、氷輪と目が合った。

 すると氷輪の紅い唇が「イゴール」と艶やかに動く。


「そのプレゼント、我に寄越せ。我が届けてきてやろう」

「へ?」


 思わぬ言葉に、気の抜けた声が出る。

 貴方、そんなフットワーク軽かったっけ?

 よっぽど喉から出かけた言葉を、頑張って飲み込んでいると、何時の間にやら氷輪が傍に来ていて。


「出せ」

「はい?」

「誕生日プレゼントだ。出せ。早く」

「えぇ……?」


 何やらテンションが高い氷輪に押されて、鳳蝶用のミシンと弟用のインクの無くならない羽根ペンを渡すと、「では早速」とその姿が消える。


「……あれ、本当に氷輪なの?」

「他になんじゃと?」


 戸惑う僕に、百華は事も無げに言う。

 本当になんなんだ。

 僕の周りはあの子に振り回されてる気がするんだけど。

 たった一人の人間との出会いがこうまで色々起こすなんて、これがEffetエフェPapillonパピヨン、つまりバタフライ効果ってやつかい、鳳蝶?

 僕は此処にはいない、EffetエフェPapillonパピヨンの主に心の中で問い掛けた。

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