第158話 騒乱の見えない全体図

 傷は癒えたけれど、まだ男性の意識は戻らないようで魘されている。

 癒すそこから、傷口が腐るなんて尋常じゃない。

 ロマノフ先生の見立てでは、剣の刃に毒が塗ってあったか、剣自体にそういう呪いが込められているかの二択で、一々解毒と解呪を別々にやるよりは、両方を一度に出来るヴィクトルさんに任せた方が早いと判断して、男性を一足先に連れて帰ってきたそうだ。

 先生とラーラさんが現場に到着した時には既に傷を負っていて、彼の止血を試みていた連れの青年がいたそうで、その青年のいうには盗賊から他の人達を守ろうとして、この男性は切られたらしい。

 ちょっと見では男性は平民というには身形がよく、ヘイゼルの髪も綺麗に撫でつけられていて、目が開いていたらさぞや爽やかな美男子だろう。

 とりあえず意識が戻らない事には、ギルドとしても菊乃井としても調書が取れない。

 彼の連れのことも気になる。

 尚、襲われたのは乗り合い馬車で、彼の他の被害者は三人。彼の連れの男性と、十五、六の少年とその妹だそうな。

 三人の被害者も、菊乃井の兵士に護衛されて街に向かっている。

 傷は癒えたとはいえ、怪我をしていた人を、いつまでも外においておくのは如何なものか。

 そう思っていると、辺りのざわめきに気がついたのか、ローランさんが冒険者ギルドから出てきた。


「怪我人の保護もとりあえず依頼されてるから、うちの救護室を使ってくれや」

「解りました」

「僕らも行こう」

「はい」


 ローランさんの後に続くロマノフ先生とヴィクトルさんの、その後ろをレグルスくんを連れて着いていく。

 菊乃井でこんなのを見たのは初めてで、心臓がどきどきして、ちょっと怖い。

 盗賊が出るとか、モンスターに襲われるとか、そんなのは毎日のように話題に上るのに、実際に目の当たりにしたのは初めてで、いかに自分が守られているかって話だよね。

 ギルドのカウンターを越えた奥、怪我をした冒険者に簡単な手当てを施すための救護室があって、そこの固そうな木のベッドに、ロマノフ先生が青年を横たえる。

 出血のせいで顔色は白いけど、熱が出ているのか、頬だけは赤みがさしていて、呼吸も少し荒い。

 その苦しそうな息の合間に口を動かすから耳を寄せると、誰かの名前っぽいのとうめき声が混ざって出てきているようだ。


「お連れさんは?」

「もう少ししたら着くと思いますよ。この彼の容態は気になるけど、同じく被害にあったお子さん達が怯えてるから、ルマーニュ王国の田舎町からの乗り合いで、少しだけ見知った自分がいた方が落ち着くだろうから現場に残ると仰って」

「優しいひとですね、その人もこの方も……」


 他人のために戦える人は優しくて強い。

 でもそれで死んでしまっては元もこもない。

 この勇敢な人が死なずに済んで良かった。

 そう思いつつ、男性に備え付けの毛布を掛けると、レグルスくんが端っこを持って手伝ってくれる。

 その顔はなんか凄く悔しそうだ。


「どうしたの、レグルスくん?」

「れーがもっとつよくておおきかったら、とうぞくなんかやっつけちゃうのに!」

「ああ……」

「にぃにのだいじなものは、みんなれーがまもるんだから!」

「うん、ありがとう。でも私の一番大事なのは君なんだから、危ないことはしないでね?」

「むー……!」


 盗賊に憤るレグルスくんの頭を撫でると、納得はしていないものの、危ないことはしないと約束してくれた。

 しかし近場で盗賊が出るなんて、菊乃井の治安は悪化しているのだろうか。

 そう聞けば「逆だ」と、いつの間にか救護室に来ていたローランさんが答えた。


「寧ろ菊乃井の治安は他所よりかなり良い方だ。なにせ毎日のように帝国認定英雄のロマノフ卿やら、伝説のギルドマスター・ルビンスカヤ……いや、ルビンスキー卿やらが彷徨うろつくし、サンダーバード・晴も庶民の星のエストレージャも、ちょくちょく顔をだすんだからな」

「おまけに衛兵も精強ですしね」


 お陰でちょっと前から盗賊も山賊も菊乃井周辺には寄り付かなくなっていた。

 最近ではこれにバーバリアンも加わったから、菊乃井で罪を犯すのは、捕まって悪事から足を洗いたい奴くらいだとも言われるようになっているらしい。

 それなのに、盗賊が出た。しかも、襲ったのは見るからにお金がありそうな商隊とかでなく、単なる乗り合い馬車。

 何か臭いものを感じるのは、私の勘繰り過ぎだろうか。

 と、レグルスくんとヴィクトルさんの指が、私の眉間を擦る。


「え? なに?」

「にぃに、しわしわ」

「あーたん、眉間にシワ……」


 おうふ、無意識に眉をひそめていたみたい。

 若干の怪しさはロマノフ先生も感じたようで、顎を撫でると「ラーラを待ちましょう」とポツリと溢す。

 先生はラーラさんが盗賊を逃がすとは思っていないそうで、仮に死体になっていても情報を引き出す術はあるそうだ。

 誰も好んでやりたがらないけれど、例えば暗殺者を捕まえて自害されてしまった時用に、そんな術も開発されている。

 「外法だ」とヴィクトルさんは顔を顰めたけど、それ以上に暗殺という手段が外法だもの。

 対策と抑止力としてはあり、かな?

 そんなことを話していると、男性が苦痛に呻く。

 それにレグルスくんが、私の服の裾を引っ張った。


「にぃに……おうた……」

「うん、そうだね」


 何か……と歌のチョイスを考えていると、俄に外が騒がしくなる。

 バタバタと複数の走る音と、怒号というほどでは無いにせよ、大きな声に驚いていると、バンッと救護室の扉が勢いよく開いた。

 そして転がるように入ってきた人物は、キョロキョロと周りを見回して、ベッドに寝ている青年に目を止めると、彼の傍にいる私達を掻き分けて、その身体にすがり付いた。


「エリック! エリック!」


 ハーフアップに結われた黒髪を振り乱し、余程心配なのだろう、眠る青年・エリックを揺さぶる。

 でもそういうことすると、怪我人には良くない。


「ちょっと、怪我人は丁寧に扱いなよ。その人、命に別状ないけど熱が出てるんだからさ」

「あ……、そ、そう、か……でも、良かった……!」


 ヴィクトルさんが黒髪の人の肩を掴んで止めると、その彼もちょっと冷静さを取り戻したようで、ほっと一息ついた。

 と、その後ろから、紅茶色の髪のだぼっとした服の少年と、レグルスくんくらいの小さな、やっぱり紅茶色の髪の女の子がオズオズと顔を出す。


「えりっくおにいさん、だいじょうぶ?」

「ミケルセンさんは……?」


 視線は眠るエリックさんと、黒髪の人に注がれて、不安に揺れている。

 紅茶色の子達の不安に気づいたのだろう、黒髪の人は唇を柔く上げて艶やかに笑んだ。


「命に別状はないってさ。今はちょっと熱があるから寝てるみたいだ」


 「そうなんだろ?」と、黒髪の人が問うのに、ヴィクトルさんが頷くと、紅茶色の子達がほっとしたように、緊張を解く。

 それでも怖い思いをしたからか、表情がまだ固い。

 小さな女の子なんて、ぎゅっとお兄さんの脚にしがみついて隠れてるくらいだし。

 今彼らに必要なのは、本当に安心していいという確約だろうか。

 その一助になればと、私はローランさんの足をつつく。


「若様?」

「カフェにいって、何か飲み物を彼らに出前してあげて下さい。お金はここから出して……」


 ウエストポーチから、金貨を入れた袋を出すとローランさんに渡す。

 するとローランさんが首を振った。


「いいよ、若様。そういうのは必要経費で落とせるから」

「そうですか。でもとりあえず飲み物を……」

「おう、ちょっと使いを出すわ」


 そう言って、ローランさんは救護室から顔だけ出して誰かを呼ぶ。

 多分、受付のウサミミお姉さん。

 だけど来たのはウサミミお姉さんじゃなくて、ラーラさんと菊乃井の衛兵だった。

 銀の鎧を着て、兜を抱えた鬼瓦みたいな顔には見覚えがある。


「あ、鬼瓦……」

「誰が鬼瓦だ……って、若様じゃねぇですか!」

「ごめん、鬼平兵長だっけ?」

「はっ! 鬼平権蔵であります!」


 ビシッと私に怖い顔の兵隊さんが敬礼するもんだから、紅茶色の子達も黒髪の人も唖然としてる。


「えぇっと……何はともあれご無事で良かったです。菊乃井へ、よくいらっしゃいました」

「は、はぁ……?」

「あの……?」

「だぁれ?」

「あ、私、菊乃井の領主の息子です。留守の両親に代わって領地を預かってます」


 ぺこっと私がお辞儀すると、レグルスくんもぺこっとお辞儀する。

 すると黒髪の人が訝しげに周りを見回す。

 「本当に?」と言いたげな彼の視線に、ローランさんもヴィクトルさんもラーラさんもロマノフ先生も鬼平兵長も頷いた。


「そうか……なら、頼みがある」

「はい?」

「この街の代官、ルイ・アントワーヌ・ド・サン=ジュスト氏に面会したい。エリック・ミケルセンと言えば解ってもらえるはずだ」


 なにやら事件の予感がする。

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