第145話 海の神様と、渚のお嬢さんと、菊乃井のアンファン・テリブル
小麦色を少し濃くしたような肌色の、逞しい裸の胸板には、腰布から伸ばされた布がかかり、腰帯は玉で飾られ、耳や首には豪奢な宝石の飾り、筋肉の張り詰めた腕や、手首足首には金の環。
見るからに只者でない偉容に、私も皆も唖然と空中に浮かぶ人を見上げる。
「え?」
「え……って、え?」
私もロスさん(暫定)も、目を合わせて、お互いぽかーんっだ。
「え? なに? お前ら、気付いて無かったの?」
「え? 気付く? 気付くって何ですか? あの、ロスさん……ですよね?」
「そうだけど……あちゃー……」
ふよふよと浮かぶロスさんが、顔を片手で覆い天を仰ぐ。
その様子に、こっちもふと冷静になると、色々見えてくるものが。
マリウスお爺さんのお孫さんのロスさん、それが海神神殿に現れた。
因みに海神様のお名前はロスマリウス様、これってもしかして。
「もしかして、ロスさんとマリウスお爺さんってロスマリウス様でいらっしゃる……?」
「今か!? 今気付いたのか!?」
「あ、はい! その……」
ロスマリウス様の勢いに押されながらも、私はロスさんがヴィラから帰った後のことを話す。
怪我人が出たこと、それがあと僅かで手遅れになるところだったこと。
そう言った諸々のお陰で、ゆっくり昨日のことを振り替える余裕が無かった。
そんな話を腕組みしながらも聞いて、ロスマリウス様はニカッと笑う。
「なるほどなぁ。大変だったな坊主たち」
「はい、でも、一人も死者は出なかったそうなので」
「それは不幸中の幸いだったな。怪我をしたものも身体を労るがいい」
「お見舞いのお言葉、ありがとうございます」
胸に手を当ててお辞儀をすると、レグルスくんが同じようにお辞儀し、奏くんが見様見真似で同じポーズを取る。
ネフェル嬢は呆気に取られていたけれど、私がお辞儀したので我に返ったようで、美しくカーテシーを。宇都宮さんも同じくだ。
「良い、面をあげろ。俺は礼儀正しい子どもは嫌いじゃないが、あまり畏まったことは好まん」
その言葉に一斉に顔をあげると、やっぱり昨日浜に来た時のようにロスマリウス様は豪快な笑顔だ。
その笑顔のまま「あのな」と切り出されたのは、何故昨日ロスマリウス様が、マリウスお爺さんとロスさんの姿で浜に現れたかってことで。
私達が来ることは事前に姫君や氷輪様からお聞きになっていたそうで、くれぐれもよろしく(意訳)と頼まれたのだそうな。
「んで、浜の様子がおかしかったし、とりあえず頼まれてるし、お前たちに何かあったらあの二人が五月蝿そうだと思ってな」
「それで様子を見に来て下さったんですか?」
「ああ。でもただ見に行くのもつまらねぇしな。ジジイの姿で行ったらどんな対応するかと思って?」
人間はとかく見た目に左右されやすい生き物だ。
私達が突然現れたロスマリウス様を老人だと無碍にするなら、様子見したら後は義理は果たしたんだし放って置こうと思ったそうだけど、現実は違う意味でヤバいと思われたそうだ。
「お前ら警戒心ガバガバで、ジジイは逆に心配になったぞ。クラーケンを瞬殺出来る力はあっても、そこガバガバだと意味ねぇじゃねぇか」
「あー……そのー……」
確かに。
確かにそうなんだけど、なんだろうな。
あの時は蟹やタコが浜に現れた瞬間には悪寒みたいなものを感じたんだけど、マリウスお爺さんが来た時には、そんな嫌な感じが無かったんだよねー。
それをどう説明したもんかと思っていると、奏くんが唇を尖らせる。
「マリウスじいちゃんからは、おれのじいちゃんと同じでヤな感じがしなかったからだよ。ヤバい奴はヤな感じがする。じいちゃんはおれに『ちょっかん』を信じろって、いつも言ってる」
「ほ、小僧は直感持ちか。そんならまあ、及第点をくれてやろう」
つまり奏くんは直感のスキル持ちで、敵味方の判定が付くってことか。
あれ、じゃあ私が感じたゾワゾワもそうなのかな?
これは後でロマノフ先生に聞こう。
閑話休題。
兎も角、予想以上に私達が人懐こく、更に蟹やらタコを一緒に食べようと言い出して驚いたんだけど、「食わせてくれるってんなら断る理由もねぇやな」と、それなら若い姿で沢山食べられた方がお得って事でロスさんに変身したんだけど、結果はあんな感じ。
「俺ァ、様子を見に行っただけなのに土産を貰っちまったのさ」
海の神様に海の物を差し上げるって、目茶苦茶不敬なんでは?
ひゅっと息を詰めた私に気がついたのか、私の心を読まれたのか、ロスマリウス様は「HAHAHA!」と景気よく笑われた。
「海の物だろうが山の物だろうが、俺は旨いものは好きだから充分供物になるぞ!」
「く、供物……?」
「そう、供物だ」
ニヤッと口の端をあげると、日に焼けた肌に白い歯がよく映える。
いや、でも、あれはマリウスお爺さんにアレコレ教えて貰ったお礼だから、供物とは違うような?
私も奏くんも、ネフェル嬢も宇都宮さんも、頭に疑問符を浮かべているようだったけど、レグルスくんが口を開いた。
「くもつじゃなくて、おみあげだもん……です。おじいちゃんと、ロスさんにわたしたの」
「そうだな。お前たちはそうなんだろうが、受け取った俺が供物だと思ったらそれは供物だ。そういう道理だから、ここはそういうことにしておけ」
「にぃに、どおりってルールのこと?」
「うん、そうだよ。レグルスくん、そういうこと解るの?」
「ん、ルールはわかる!」
「はーい!」と元気よくお手々を上げるレグルスくんに、空中をふよふよ漂っていたロスマリウス様が、少し高度を下げて、ひよこちゃんの頭に手を伸ばした。
金の綿毛みたいな髪に指を差し込んで、わしゃわしゃと撫でると、ちょんっとレグルスくんの額をつつく。
「おし、賢いぞ。ルールだから、そこは納得しておけ」
「はい!」
整っていた金の髪がぐしゃぐしゃになったけど、撫でられるのは好きなようで、レグルスくんはきゃっきゃしてる。
可愛いよね、うちのひよこちゃん。
和んでいると、ロスマリウス様はレグルスくんから離れ、再び空中に高く浮く。
「おっと、話が逸れた。本題に入ろう。お前たちは俺に供物を捧げた。それはまあよくある話だから、後で適当に海の幸をそれなりにくれてやろうと思ったんだが、ちょっと状況が変わってな」
「はぁ、状況……」
何だろう?
奏くんと顔を見合わせていると、ウゴウゴとレグルスくんが抱きついてくる。
「なぁ、もしかしてあのタコ食いたいとか?」
「いや、そんな……まさか……?」
モショモショこちらが内緒話してるのも、きっと神様には筒抜けだろう。
ネフェル嬢も「タコ食べたいはないと思う」と話に入ったところで、ロスマリウス様がわざとらしく咳払いをして。
「お前ら……いや、旨いもん食えるならそれに越したこたぁねぇが、今回は違うぞ。お前らが殺ったクラーケンだが、あれには海に住まう俺の子達が苦労させられていてな」
「ロスマリウス様のお子達?」
「ああ、人魚の一族なんだが……」
お話によると、あのタコはここ十年くらい、あのヴィラの付近の深海を根城にしていて、近くを通る生き物や船を捕まえては餌にしていたらしく、そのせいで人魚の一族も捕食されて犠牲者が出たり、商船を破壊されたりするから流通が滞ったりと、かなりの被害を被っていたそうだ。
ギルドで貰った報酬は、ここ十年依頼を出しては上乗せしてきた物が、繰り越し積み上がった結果で、それだけあのクラーケンを倒すのが困難だったことを示していた。
「頭の良いヤツでな。自分より強い気配を感じたら、深海の溝に隠れて倒す方法が無かったんだが、今回蟹の群にお前たちの気配が紛れて解らなかったんだろう」
「ははぁ」
「それに俺は俺の子達が全滅しそうなら兎も角、単なる食物連鎖に介入は出来ん決まりでな」
なるほど、神様でも守らなければいけない
それと状況と何の関係があるんだろう。
ロスマリウス様の次のお言葉を待つ。
「それで本題だ。俺の子達に、お前たちがクラーケンを倒したことを話したら『礼をしたい』と請われた」
「報酬はギルドから受けとりましたよ?」
「それはあのクラーケンがたまたま討伐依頼を出されていただけの話で、それがなければお前らはタダ働きだろうが」
そうかな?
でも別にあの時はネフェル嬢が襲われてて緊急事態だったからで、それさえなければクラーケンも蟹もスルーしてたような気がしないでもない。
行き当たりばったりで、お礼をされるようなことは何も無いような気がする。
皆そう思っているようで、ちょっとビミョーな顔をしてたのか、ロスマリウス様が「ふん!」と鼻を鳴らした。
「お前らの気持ちは兎も角、俺の子達は礼をしたいと言っている。だからお前らがどう思っていようと、俺の子達の歓待は受けてもらうぞ」
そうロスマリウス様に胸を張られて、しおしおとした雰囲気でネフェル嬢が一歩下がる。
いや、これで仲間外れとか無い。
そう思って下がっていくのを宇都宮さんと目配せして阻止すると、ネフェル嬢が目を見開く。
ひゅっとロスマリウス様が眉をあげた。
「何処へいく気だ。お前も来るんだぞ」
「え、いや、しかし、私は助けられただけで……」
なにもしていないと言い淀んだネフェル嬢に、ロスマリウス様は持っていた三叉槍を肩に担いで、首を横に振った。
「お前が捕まってなきゃ、この小僧どもはクラーケンや蟹を放置したさ」
「だろ?」と視線を向けられて、大きく頷く。
「だって先生が大人しくしとけって言ったもん」
「あぶないことは『め!』だもん!」
「ですねぇ」
「僭越ながら宇都宮も浜辺のお掃除より、若様たちの安全第一ですし」
「だってよ」
ロスマリウス様は「正直な奴らめ」とククッと苦笑してくれたけど、実際そうだよ。
誰かが困ってなきゃ、降りかからない火の粉までは払いに行かない。
唖然とするネフェル嬢をそのままに、ロスマリウス様は更に続ける。
「まあ、それでな。お前の話もしたら『さぞかし怖い想いをしただろう。けれどそれで海を嫌いにならないで欲しい。海の素晴らしさを見て、心を癒して欲しい』と言われた。だからお前も連れていく。お前らに否やは言わせん、神の決めたことは絶対だ!」
そう言って三叉槍を天に向かって掲げたかと思うと、カッと先端が光る。
目映さに目が眩んで瞬きをしている間に、私たちの周りを大きな泡が取り囲んでいた。
それを見たロスマリウス様は一つ頷くと、鉾の先端で私たちの後ろを指す。
後ろに何かあったっけ?
不思議に思って振り替えると、そこには「またか」みたいな顔をしたロマノフ先生が跪いていた。
同様にネフェル嬢の護衛の二人も。
「日没までには返す」
「承知致しました」
「「ははーっ!」」
わぁ、帰ったらどう話そうかなぁ?
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