第144話 戸惑って、夏
ぶわりと海風が吹いて、ネフェル嬢の長い前髪をはためかせていく。
下から現れたラピスラズリとアクアマリンの美しい瞳は見開かれ、驚愕に揺れていた。
「……れも、そんな……と、言って……なかった……!」
「へ?」
「誰も、そんなこと、言ってくれなかった!」
魂からの絶叫というか、凄い勢いで叫ばれて、今度はこっちがびっくり。
レグルスくんや奏くんもきょとんとしてる。
「あー……おれたちには、若さまが突然なのはいつものことだけどなぁ」
「なにそれ? 私、そんなにいつも突然?」
「にぃにはいつもしゅごいよぉ! かっこいいのー!」
もうさぁ、ひよこちゃんの可愛さ無限大だよね。
きゃっきゃするレグルスくんの髪を撫でると、改めておててをつなぐ。
すると、護衛の二人が走ってきて、私の前に跪いた。
いや、あなた方が跪くのはネフェル嬢にであって私じゃないよ。
ちょっと驚く私に、護衛の一人・カフラーさん──浅黒い肌に、唇が厚め、焦げ茶の目をした厳つい人が、静かに口を開いた。
「なにゆえに、その様に思われたのでしょうか?」
質問の意味が解らなくて首を捻ると、片割れ──こちらも浅黒い肌をした、黒髪黒目の青年が言葉を足す。
「ネフェル様のお目が不吉な筈がない。我らはそれを解っております。しかし、何故不吉と言われるかまでは考えたことが無く……」
「ああ……いや……良くはないけど、言い伝えって何となく理由を深く考えないで伝えていくものですもんね」
私が「金銀妖瞳」に対してああいう結論に至ったのは、知識と情報があったからだ。
知識というのは、対立する間柄のコミュニティでは、片方が善とするものを、もう片方が悪とすることがあるということ。
でもって情報というのは、過去金銀妖瞳の人物がいたこと、その人物が帝国では英雄であったこと、その英雄が散々に打ち負かした国があること、そしてその国はネフェル嬢の故国であったこと。
この二つを併せると、対立するコミュニティは帝国とネフェル嬢のお国、金銀妖瞳は帝国では攻めてきたネフェル嬢のお国を撃退した英雄の特徴で「善」=「英雄の証」、迎撃されて滅ぼされたネフェル嬢のお国では敗北を招いた敵将の特徴として「悪」=「不吉」となったという推論が成り立つ。
「……と、まあ、これだけのことなんですけど」
これだって推論の域を出ないのは、他の情報、たとえば「本当に金銀妖瞳だった人物が他にもいなかったのか」とか、「その他の金銀妖瞳の人物がネフェル嬢のお国に災厄をもたらさなかったか」とか、「実際金銀妖瞳の人物がいるのといないのとで、何か災難が起きる確率が違うのか」とか、そういった物が不足してるからなんだけど。
もう少し情報があれば、完全に「金銀妖瞳が不吉というのは迷信」って言い切れるのかもしない。
そう告げると、二人はハッとした顔でネフェル嬢へと、今度こそ跪いた。
「今の話をイムホテップ様に申し上げます!」
「調べあげましょう! そうすればネフェル様の憂いもきっと晴れる筈です!」
「お前たち……!」
なるほど、この二人はネフェル嬢の目を不吉だとは思わない派なんだな。ついでに言えば、ばあやさんやイムホテップ隊長もそうなんだろう。
そもそも大事なお嬢様に、その目を指差して不吉だと叫ぶ奴を護衛になんぞしないとは思うけど。
それでもネフェル嬢が目を隠していたなら、それはそう言う外圧があったってことなんだろうな。
まあ、でも、それは私が口出しするようなことでもないか。
でもとりあえず、これから観光名所に行くのに、前髪を垂らしてたら見えないものもあるだろう。
私はウエストポーチの中から、いつも作業時に使っているつまみ細工の試作が付いたピン止めを、ネフェル嬢へと差し出した。
「これから行く海底神殿は、魚や海底の様子が見えるのが売りなんだそうですよ。前髪を上げて見た方がよく見えます」
「あ、ああ……そう、か……」
受け取ったものの、モジモジとそれを手のひらに乗せたまま、ネフェル嬢は使おうとしない。
「……本当に……本当に気持ち悪くないのか?」
戸惑うようにピンを握りしめて俯くご令嬢に、奏くんが首を勢い良く横に振った。
「全然、カッコいいと思うぞ!」
「そうですよ。それに私達の先生はエルフさんです。あの綺麗なお顔を毎日見てるんですよ。その私達が綺麗だと言うんだから、相当ですよ」
掩護射撃になるか解んないけど、私達は常に綺麗な顔の先生たちに囲まれてるんだから、本当にちょっとやそっとの美形では驚いたりしなくなってる。それなのに、私が食いついたんだから、自信を持って欲しい。
それでもネフェル嬢はモジモジと、手のなかでピンを弄ぶばかり。
やっぱり前髪を上げるのは抵抗があるかなと思っていると、宇都宮さんがもそっと小さな声で私に耳打ちする。
「若様、お嬢様はピン止めをご自身で使われたことがないんじゃないかと。僭越ながら宇都宮がして差し上げても、よろしゅうございますか?」
「ああ、そうか。気がつかなかったよ。よろしく、宇都宮さん」
「はい、承りまして御座います」
ペコッと私に頭を下げると、宇都宮さんはネフェル嬢の傍に行き、私に言ったのと同じことを告げ、髪飾りを受けとる。すると宇都宮さんの読みは当たったようで、ネフェル嬢は小さく頷くとピン止めで前髪を止めて貰った。
それを二人の護衛は心底嬉しそうな顔で見ていて。
ネフェル嬢も二人を嬉しそうに見ていた。
やっぱりネフェル嬢も前髪上げたかったんだね。
「では行きましょうか」と成り行きを見守っていたロマノフ先生が、再び歩き出す。
神殿はコリント様式だかドーリア様式だか、帝都の大神殿と似た作りだけど、何で海神だけを奉るのかと言えば、このコーサラの初代王家が龍人の一族──カマラさんやウパトラさんの祖先に当たるらしい──で、独立に当たって「この辺が実り豊からしい」と、海神の啓示があったから。
お言葉通り栄えたので、お礼に神殿というかご座所を用意したそうだ。
そんな話なだけあって、外見もだけど中身も超豪華。
海の中を思わせる深い碧に塗られた壁、天井からは煌めく巨大なシャンデリアが吊り下がり、まるで星の耀きだ。
ロマノフ先生に引率されて、神殿の玄関部から奥に進むと、巨大な動く階段、まあ所謂エスカレーターのような物が下へ下へと延びていて。
同じものがもう一つ横にあるんだけど、それは海底から地上に戻る用らしい。
ここから下に移動するんだけど、危ないからレグルスくんと手を繋ぐと、反対の手をネフェル嬢に掴まれる。
「私、乗ったことない……」
「ああ、そうなんですね。でも、三人で乗れるかな?」
大人二人半くらいの幅があるから、こども三人でなら乗れるだろうけど、私が結構幅とっちゃうからなぁ。
そう呟くと、ネフェル嬢が「幅?」と繰り返す。
「は、幅? 幅は大丈夫だと思うが?」
「えー……そうですかね?」
「ああ、余裕があるくらいだと思うが」
「余裕……は、ないでしょ?」
おかしいことを言うなぁと、ネフェル嬢の顔に書いてあるけど、それはお互い様だよ。
まあ、乗れば解るかと思って三人で、エスカレーターの一段目に足を乗せた。
「え?」
「ほら、余裕じゃないか」
スカスカという程ではないけど、普通に三人で苦しくない程度にきちんとスペースがあるんだけど。
「若さま、やせて大分たつのに、まだ太ってると思ってんのな?」
「痩せてる? 私、痩せてるの? 標準よりちょっと太めとかじゃないの?」
「ちょっと何を言ってるのか解らないんだが。腕が私より細くて標準より太ってるなら、私は肥満体型ってことになるぞ?」
「ひょえ!?」
後ろからの奏くんの言葉に、ネフェル嬢が自分の腕と私の腕を並べて比べる。驚いたことに、私の腕の方が細かった。
やべぇ、筋トレしないと。
いやいや、そうじゃなくて。
「え? 大分前からこれって、私、大分前から痩せてたの!?」
「おう。なんだ、あんだけやせたって言われてたのに、若さま気付いてなかったのか?」
「いや、痩せたって言っても標準よりちょっと太めの認識だった……!」
「若さま、帰ったら目の医者行こうな? おれ、ロッテンマイヤーさんに言っとくよ。こわかったら着いていってやるからさ」
「やめてー!?」
なんてこった!
ネフェル嬢はスラッとしてて、背も低くは無いしスタイルも良さげに見える。
その人より、腕が細い!
どうりで腹筋割れてないはずだわ。
鍛え方が足りなかった!
私の動揺はエスカレーターの速度には全く関係なく、一番下へとさくっと着いてしまう。
衝撃がまだ抜けない間に、海底海神神殿のご座所へと至ると、そこには大きな像が安置されていて、帝都の神殿と同じく、これまた大きなお布施を入れる鉢が鎮座していた。
お布施の相場って確か……と記憶の底から引っ張り出そうとすると、ロマノフ先生が鞄から小さな布袋を出して、私に手渡す。
「クラーケン討伐の報酬ですよ。金貨が20枚。他にも質の良い真珠と珊瑚と鼈甲も報酬として預かっています。余程あのタコに困らされていたようですよ」
「なにそれ怖い」
受け取ったは良いけど、値段が怖すぎる。
私と同じく奏くんも宇都宮さんもドン引きしてるようで、レグルスくんだけは初めて自分で稼いだお金に顔を輝かせていた。
何処かの某とか言う甲斐性無しの、ぶっちゃけ父上だけど、そのせいで小さいのにお金の大事さが解ってるとか、賢いって誉めて良いのか、凄いって誉めて良いのか。
とりあえず甲斐性無しは後日絶対絞める。
どことは言わないけど絞める。
それはおいといて、報酬はあの時浜にいた全員で山分けしようかと思ったんだけど、まず宇都宮さんが「私は職務を遂行しただけですので」と辞退して、ネフェル嬢も「私は寧ろ報酬を払わなければいけない側だ」と固辞。
そういやあの時浜にいたマリウスお爺さんと、お孫さんのロスさんが、何処に住んでるのか聞き忘れてたな。
まあ、二人は地元の人だというし、お金をコーサラで使えば、巡り巡って二人にも届くだろう。
奏くんとレグルスくんにそう言うと、二人も同意してくれた。
だから、代表して金貨を一枚、鉢の中に入れようとした瞬間、ガラスを張ったように透明な海神神殿の壁がパァッと輝き出す。
そして、私達一行以外、大勢いた参拝客の全てが、凍りついたようにその動きを止めた。
キラキラと光の粒子が現れて、やがて人の形を取る。
眩しいながらも薄目をあけていると、その形は徐々にハッキリして来て、一際強く目映い光を放つと、一瞬にして収まった。
「よう、お前たち! 早かったな!」
降り注ぐ聞いたことある声に頭上を仰ぐと、いつぞやの「HAHAHA!」って感じの笑い声とドレッドヘアに
「ロスさん!?」
「おう! 昨日ぶりだな、お前ら! 俺の正体に早くも気付くたぁ、百華やら氷輪が目ぇかける筈だぜ!」
えーっ!? どういうことかなぁ!?
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