第139話 渚のハイカラお嬢さん

 日焼けした小麦の肌に、矍鑠かくしゃくとした雰囲気、腰も膝も真っ直ぐで、源三さんを彷彿とさせる白髭と長い白髪のアロハシャツに似た服とサルエルパンツのお爺さんは、近くに住んでる漁師さんだそうで。


「いやぁ、長いこと生きとるが、クラーケンが瞬殺なんぞ初めて見たわい」

「はぁ、あれクラーケンって言うんですか」

「うむ、長年この辺りを根城にして我が物顔で暴れまわっておった奴じゃろうよ」


 氷柱が刺さったタコとカニを眺めて、髭を扱きながらお爺さんが教えてくれたには、何やら浜が騒がしいから見に来たら、人食い蟹が大群で隣の隣のヴィラを襲ってたそうだ。

 その群れを隣の隣で押さえられなくて、ジャヤンタさんたちが守ってる隣のヴィラに波及して、更に打ち漏らした一匹が私たちの浜に来ちゃったみたいな。

 そもそも人食い蟹はクラーケンの好物で、大群で浜に上がってきちゃったのは、このタコに追いかけられてたからだろう。

 こりゃヤバいと、お爺さんも避難場所を探してここに辿り着いたんだそうで。


「カニの大群に襲われても三日は持つ結界なら、クラーケンでも二日は持つ。このヴィラは他のどこより安全という訳じゃな」

「ふぅん。でも、じいちゃんよくそんなのわかったな?」

「まぁの。これでも色々あった身じゃて」

「ああ。お若い頃冒険者だったとか、そんなですか」

「そんなところじゃ」


 ホッホッと笑うお爺さんは本当に好好爺って感じ。だけど、同じような雰囲気の源三さんだって、昔は名うての冒険者だったって言うから、こちらではこういう雰囲気のお年寄りは、皆修羅場を潜った故のいい人なのかも。


「それにしてもお若いの、強いのう。弓はカニの関節の一番弱い部分を針の穴を通すが如くじゃし、剣圧は切られたのが分からぬほどの鋭い切り口じゃ。それにあの氷柱。見かけは派手じゃが氷結系攻撃魔術の初歩じゃな」

「あ、はい。高度な攻撃魔術って広範囲だから怖くて。味方に当たったらと思うと使えないというか」

「なるほどのう」


 感心しきりというお爺さんの言葉に、逆に驚く。

 奏くんやレグルスくんの技術はともかく、初歩の氷結系魔術だと見抜かれるなんて、本当に世界って広い。

 それを実感したのか、奏くんもレグルスくんも首を否定系に振った。


「おれのじいちゃんはもっとすごいし、先生たちはもっともーっとすごいぞ」

「いつか、れーがかつけど! かつけど!」


 ひよこちゃん、若干おめめが据わってるのはなんでなの。

 そんな二人の様子にこれまた愉快そうに、お爺さんは声をあげて笑う。

 と、とてとてと宇都宮さんがヴィラの奥から戻ってきた。


「若様、お嬢様のお支度が調いましたのでお連れいたしました」

「ああ、ありがとう宇都宮さん」

「いえいえ、これも宇都宮のお仕事のうちですから!」


 にこやかな宇都宮さんとは対照的に、その後ろから音もなく女の子が現れる。

 なんというか、ヒラヒラしたドレスもそうなんだけど、隙のない身のこなしがただ者じゃない感じがするし、何より真っ白な髪から黒い羊の巻き角か覗いていた。

 コーサラの十二氏族の一つには羊の家があるから、もしかしたらその家のお嬢さんかも。

 そう思っていると、女の子がボソボソと口を開いた。


「……此度は大義であった」

「……えぇっと、はい。お怪我などは?」

「無い。捕まる前に辛うじて魔術で障壁を張ることは出来た」

「ああ、なるほど。だから濡れてなかったんですね」

「そうだ」


 前髪が隠しているから、眼を見ることは出来ないけど、口が真一文字に引かれている当たり、まだ襲われた恐怖が残っているのかしら。

 だとしたら知らないひとに囲まれているのは苦痛だろう。


「あの、お名前をお尋ねしても?」

「聞いてどうするのだ」

「貴方を保護したことをヴィラの方に連絡して、ご家族に迎えに来ていただいた方が良いかと思って。ご心配なさっているでしょうから」


 お隣からはまだ怒号や悲鳴が、轟音とともに聞こえてくる。

 不躾にならないように彼女の姿を観察するに、夏用の素材を使ったロココとかいう言葉がピッタリなドレスには沢山のレースや刺繍が施されていて、とても安物には見えない。

 つまり、やんごとないお家のお嬢さんなんだろうことが見て取れる。

 年の頃は、奏くんより上だけど宇都宮さんよりは下って感じかな。

 眼を隠すような長い前髪、顔は口くらいしか見えないけど、この口元が実に雄弁。

 今だってへの字口に警戒が滲んでる。


「……」

「他意は無いんです。とりあえず貴方がご無事で良かった。それを早く何方かにお知らせしたいと思っただけですし」


 「ね?」とレグルスくんや奏くん、宇都宮さんを振り替えれば、皆全力で首を縦に振ってくれた。

 お爺さんも笑いながら頷いてくれて、それを目にした女の子がちょっとだけ頬を染めてそっぽを向く。

 多分お家で見知らぬ人間に簡単に名乗るなと言われていたんだろう。だからこっちを警戒してるだけで、本当はいい子なんだろうな。


「……その、礼をいう。身が名は……ネフェルティティ……、家名は言えぬが……」

「そうですか。でしたらこちらも家名は置きますが、私が鳳蝶、私の横の金髪の子供が弟のレグルス、茶色の髪の子が私の友人・奏、それからメイドの宇都宮です」

「れぐるすです、よんさいになったの!」

「よろしくなー!」


 レグルスくんがおてての指をぱっと広げて見せるけど、全部見せてるから「五才」になってる。だから奏くんが後ろから、親指を隠すように握ってくれたんだけど、それが面白かったようでネフェルティティ嬢が少しだけ笑った。

 宇都宮さんはお爺さんとお嬢さんにお茶を出してお辞儀すると、さっと私の後ろに戻る。

 それと交代で、私たちがいる縁側の下からタラちゃんとござる丸が、ひょっこり顔を出した。

 お嬢さんの口元が思い切りひきつる。


「モンスター!?」


 立ち上がりかけたお嬢さんの剣幕に驚いたのか、タラちゃんとござる丸が縁側の下にひゅんっと引っ込んでしまった。


「あ、待って! 私の使役モンスターです! 私、魔物使いなので!」

「さっき、お前さん、その二匹にも助けられておったぞい?」

「あ、そ、そうなのか……。すまぬ、助かった」


 私の説明に加えて、お爺さんの言葉に、ネフェルティティ嬢はハッとして二匹にも礼を告げる。

 すると、二匹がおずおずと縁側から出てきて、タラちゃんが長い尻尾で砂に『よろしく』と書いた。賢い。

 それに驚いた様子で、お嬢さんは小さく「よろしく」と返した。

 人見知りだけど、本当に良いお嬢さんなんだな。

 それは兎も角、まだまだお隣の喧騒は続いている。

 ロマノフ先生が行ってもまだ続いてるってことは、余程数が多いのだろうか。


「いやぁ、多分、景観を壊すなとかやかましいことを言われて、中々力が奮えんのじゃろうよ」

「へ? 私、喋ってました?」

「いいや、顔に『まだ終わらない』って書いてあったのでな。年の功じゃ」

「ははぁ、凄いですね」


 フォッフォッとお爺さんが声を上げて笑う。

 うーん、景観より命のが大事だと思うんだけど、それはここにずっと住んでる訳じゃない私たちの言い分で、ここの景観を商売にしてる人には環境破壊は死活問題かも知れないもんね。

 他者をおもんばかるって難しいな。

 隣の阿鼻叫喚は、しかしこちらに波及する様子もないのは、先生やバーバリアンが防いでくれているからだろう。

 こちらは潮騒と時々鳴く海鳥の声がBGMだ。

 そこに「ぐー、きゅるり」と、何だか違う音が不意に混じる。


「やべぇ、若さま。腹減ってきた!」

「れーも、おなかすいてきた」

「えー……どうしようかな?」


 空を見上げれば太陽はいつの間にか、真上で燦々と輝いている。

 おずおずと宇都宮さんが手を上げた。


「若様、私、お嬢様のことをお知らせついでに、何か買ってきましょうか?」

「あー……そうだね。でも今動くと戦闘に巻き込まれちゃうかな……」


 そうなると宇都宮さんが危ないしな。

 どうしたもんかと思っていると、ござる丸がぴょんぴょんとタラちゃんの上で跳ねる。

 タラちゃんが砂に尻尾で『せんせい、しらせます』と書くと、二匹してシュタタンッと岩場を跳ねて隣へ行ってしまった。

 伝令はとりあえず出来たとして、お腹空いたのはどうしよう。

 考えていると、レグルスくんが蟹とタコを指差した。


「にぃに、あれ、たべられないの?」

「あれって……蟹とタコ?」

「りょーりちょーが、あれよりちいさいけど、おなじのおりょうりしてたよ?」

「えー……どうかな?」

「うまいんじゃね? じいちゃんがデカい蟹はうまいって言ってたし」

「宇都宮、タコさん気になります!」


 ヒソヒソと話していると、ネフェルティティ嬢が「あれを、食す!?」とちょっと引いてる。

 でもさー、蟹とタコだよ?

 しかも獲れ立てピチピチだよ?

 盛り上がっていると、お爺さんが縁台から立ち上がる。


「あの蟹もタコも、ここいらでも滅多に見られぬ高級食材じゃよ。旨いぞ?」


 おぉう、良いこと聞いた!

 奏くんとレグルスくんと宇都宮さんが「きゃー!」と円陣を組んで喜び、ネフェルティティ嬢はちょっと困惑気味。

 そして私はスタスタと縁台から降りてしまうお爺さんを引き留める。


「どこに行かれるんですか? お爺さんもご一緒に……」

「ほ? ワシまでご相伴させてくださるのかの?」

「はい、だって色々教えて下さったし……」


 折角だし、皆で食べた方が美味しいと思う。

 そりゃ先生やバーバリアンの皆もいたら良いけど、まだ隣からは金属がぶつかる音や何か爆発したような轟音がするんだもん。

 私の様子にお爺さんが白い歯を見せてニカッと笑う。


「気持ちはありがたいが、ワシは昼はもう済ませたでの。ワシの孫を呼んでくるからたらふく食わせてやっておくれ。代わりにその嬢ちゃんをお若いのが預かっとることを、宿の主人に伝えておこう」

「解りました。ところでお爺さん、お名前は?」

「ワシはマリウス、孫はロスというんじゃ。よろしくの」

「はい、お待ちしてますね」


 「ではの」と飄々とマリウスお爺さんは行ってしまった。

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