第101話 手段が選べるのは余裕がある証拠

 宇気比うけひの原初の作法は、全く簡単なものだった。

 姫君と氷輪様からもたらされたこの情報は、私はもとよりロマノフ先生、更に遥か昔に宇気比を見たことがあるロマノフ先生のお母様にも衝撃をもたらし、近い未来歴史学者たちにもショックを与えることになるそうだ。

 いやね、鳶から生物学的に鷹が生まれるはずないように、普通のエルフからロマノフ先生みたいな「人間って可愛いですよね」なエルフが生まれる筈もなく、お母様も「人間って面白いことやるわよね」系エルフなわけで。

 お母様は長年人間が作った儀式や魔術の形式を記録してコレクションするのを趣味としていて、それを人間の歴史学者たちに資料として見せてあげてるそうだ。

 で、正式とされている作法に後世後付けされた可能性が出てきちゃったことで、もう何かてんやわんやになりそう。

 それは大変だけど、今の私にはそれより大変なことがある。

 奴等とエストレージャの試合前に行われる宇気比のやり方は変えない。

 正式なやり方だと思ってた方法を、先方にもう伝えてあるからと言うのもあるけれど、十重二十重とえはたえにチェックポイントを用意しておけば、本気で奴等が改心していた時にセーフティが働くことになるからだ。


 「この期に及んで甘いですかね……」

 「甘いかそうでないかの二択なら、甘いですね」


 すっぱりとロマノフ先生が言う。

 そもそも奴等が改心しているなら、手配をかけられて一日で居場所が割れてるんだから、出頭したら良かった訳で、それをしなかった時点で黒なのだ。

 男爵に止められたにしても、それなら男爵が公式文書等をこちらに寄越すのが筋だし。

 それも無かったのだから、大概菊乃井は舐められているのだろう。

 だろう……じゃないな。確実に舐められている。

 それはロマノフ先生から教えられた現実だ。

 なんと菊乃井さん宅の家庭の事情は、近隣どころか帝都住まいの大貴族には筒抜けなんだそうな。

 つまり私が死にかけても放ったらかしな文字通り放置子で、異母弟を引き取った事を男爵は知っている。それこそ、この件でルイさんが交渉に行くより前から。

 当主代理と勝手に名乗ってるだけで、親との仲が芳しくないからどうとでも転がせると思われてるのだ。

 それも男爵から身代巻き上げる気になった要因なんだよね。

 この貴族社会、舐められっぱなしでは渡って行けない。

 それでこの男爵の件が私の試金石になるそうで。

 勝てば公爵家に貸しを作る形で縁付けるけど、負けたら反対に借りを作ることになる。

 この一件が私という人間に投資すべきか否かの指標となるのだ。


 「勝ちますとも」

 「正義は我にあり、ですか?」

 「いいえ、ヤられたら倍返しの精神です」


 そんなドラマが生前あった……気がする。

 両親を向こうに回して権力をぶん取りに行くには、後ろ楯があった方がいい。

 この件の最初から、そう考えてロマノフ先生やヴィクトルさんは公爵閣下と連絡を取っていたそうだ。

 何故私にそれを言わなかったのかと言うと、公爵閣下との連携の必要性を私が気付くかどうか量っていたそうで。


 「気づかなかったらどうなっていたんですか?」

 「どうにもなっていません……と言いたいところですが。そうですね、公爵と縁付くのが数年先送りになったくらいかな」

 「つまり権力奪取が数年単位で遅れるってことですね」

 「まあ、そうともいいますが……でもね、私はそれでも良いと思っています。君はまだ幼年学校にも入れない歳なんですよ。貴族の大人なんて政治力と面子の化け物の中に好き好んで入らずとも生きていける歳でもある。いずれ嫌でも戦わなければいけないのに、それを先伸ばしにしたがるなら兎も角、生き急ぐ必要はないと思うのです」

 「それは……」


 そうなのかもしれない。

 でもそれじゃダメなんだ。

 だって私には時間がどこまで残っているか分からないんだもの。

 私が死ぬより前に、絶対にやっておかなければいけないことがある。

 だから急いで親から権力を奪って、その上で速やかにレグルスくんが跡継ぎになれるように、色々と整えなければ。

 首を横に振った私に、ロマノフ先生が眉を八の字に下げた。そしてそっと溜め息を吐く。


 「教師は教え子をわざと苦労させるものですが、本当にしたいと願うことは出来るように準備しますし、危ないときは身を呈するものです。君が本心から中央に進出したいなら、それを手助けすることに否やはありませんが、そういうことではないのでしょう?」

 「……はい。中央に出る気はありません。ありませんが、菊乃井の中枢を握る気は満々です」


 そうでなければ本格的に領地を変えていけない。

 けれど、私が両親から権力をもぎ取りたい理由はそれだけじゃなくて。

 覚悟を決めて、ロマノフ先生の手を握る。


 「私は両親を追い落とした上で、レグルスくんを正式に私の跡継ぎに据えたいのです。今のままでは私に何かあっても、レグルスくんに菊乃井は継げない」

 「それは……」


 麒凰帝国の国法では、貴族の家の跡継ぎに娘が指名された場合、爵位は娘とその娘が産んだ子供にのみ継承が許される。

 その場合、本来は娘は分家から婿をとり、その婿を養子にするものなんだけど、母はそうしなかった。

 父が伯爵と呼ばれるのは便宜上で、爵位自体はない。

 つまり、菊乃井の爵位継承は母から私には可能でも、母からレグルス君には絶対にいかない。

 現状ではレグルスくんは、何がどうあっても菊乃井の跡継ぎにはなれないのだ。

 かつて母の従僕セバスチャンがレグルスくんに家を乗っ取られる心配が……なんて私に言ったけど、あれは私がこの話を知らないと思ってたんだろう。

 主の疎んじてる子供とはいえ、よくも跡継ぎを侮ってくれたもんだ。いつかこの落し前はつけてもらう。

 ……じゃなくて。

 蛇の道は蛇というか、そこは抜け道が用意されている。

 その方法にロマノフ先生は思い至ったのか、わずかに眉を上げた。


 「……一般論では酷なことを、ですね」

 「一般論ならそうでしょう。しかし、うちには当てはまらない。母は伯爵夫人……領主です。彼女が身につけているドレスもアクセサリーも、元は全て領民の血税だ。富を吸い上げて、それを均等とは言わないまでも、民に再配分するのが領主の役目。能力的にそれが出来ないなら、出来る人物を登用するのも領主の使命でしょう。そう言ったことをせず、利益だけを得るのは許されない。だから領主として最低限の義務を果たしてもらうだけです。それが酷なことでしょうか?」

 「いえ、あくまでも一般論です。ただ……何も実情を知らない人間はそのように思う、とだけは知っていてください」

 「はい、それは重々。ご協力くださいますよね?」


 余人に後ろ指を指されても、やらなくてはいけないことがある。

 手を握ったまま、ロマノフ先生を見上げると、直ぐ様膝を折って目線をあわせてくれて。


 「勿論です。降りかかる火の粉は私達大人が払いましょう」

 「ありがとうございます」

 「しかし先ずは賭けに勝たなくてはね」


 わしゃわしゃと頭を撫でられる。

 そうこうして間に、私たちのいる屋敷のエントランスに、レグルスくんと奏くんがやってきた。


 「にぃに、れー、ひとりでふくきれたー!」

 「この服、みんなおそろいなんだな!」


 同じ色でスカーフ留めの刺繍だけが違うセーラー服に身を包み、奏くんとレグルスくんがきゃっきゃ歓声をあげる。

 私も同じセーラー服で、菊乃井応援団の完成だ。


 「では、行くとしますか」

 「はい!」


 今日はラ・ピュセルとエストレージャの応援に行く日。

 空は快晴だった。

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