第102話 今日の友は明日も友

 「いらっしゃーい!」


 ロマノフ先生の転移魔術でバビュンッと跳んだ先で迎えてくれたのは、ヴィクトルさんの明るい声だった。

 宮廷音楽家の筆頭、ヴィクトル・ショスタコーヴィチ卿におかせられては、帝国劇場に専用の楽屋をお持ちだそうで、今回ロマノフ先生が転移先に選んだのはそこ。

 宮廷音楽家、恐るべし。

 事前にロマノフ先生が跳ぶ場所と時間を連絡してくれていたので、出迎えに来てくれたのだ。

 ラ・ピュセルの楽屋は大部屋で、他のパフォーマー達と仲良く……したいのに、マリアさん以外仲良くしてくれなくて、彼女の楽屋に避難しているとか。


 「んん? マリアさんの楽屋って……マリアさん個室なんですか?」

 「そりゃそうだよ。彼女は第二皇子お抱えの歌手だもん。扱いも存在も別格さ」

 「そうなんですか」


 マリアさん──第二皇子お抱えの歌手もコンクールには出場している。

 他にも大貴族お抱えの歌手や演奏家が出場しているそうで、そう言うのがちょっと弱いラ・ピュセルは結構嫌味を言われたりしているとか。


 「僕も警戒してずっと一緒にいたんだけど、ちょっとお手洗いとかいった隙に色々言われてるのをマリア嬢が助けてくれたんだって」

 「そんなことが……」

 「うん。『平民風情が粋がってる』とか『身の程知らず』とか色々それはもう」

 「うちが名ばかりの伯爵家なせいで、お嬢さん方にはしなくていい苦労をさせてしまいましたね」


 ちくせう。

 家名に伴う力がないと、こう言うことになる。

 ぎりっと握った手に力をいれると、拳に私より小さな手が触れた。

 ふわふわの金髪が今日もひよこの羽毛のような私の弟。

 この子も奏くんも屋敷の皆もラ・ピュセルもエストレージャも、懐に入れたもの全てを守るためにも、早急に力を手にしなければ。

 強いというのは力を持つことだけではないのは分かっているけれど、それでも振るえる力がなければお話にならない。


 「だいじょうぶだよ、若さま。おれらそんなに弱くないから」

 「へ?」


 自分の内側に沈みこんでいたようで、目の前にはちょっと屈んだ奏くんの顔。

 「へへっ」と笑って鼻の下をする。


 「悪口なんて言いたいやつには言わせとけばいい。どうせ悪口いうやつは、お姉ちゃんたちが良いとこのお姉ちゃんたちでも、かげでこそこそ悪口言うんだから」

 「ああ、うん。あの達もそういってマリア嬢をポカンとさせてたっけ」

 「おれらお姉ちゃんたちのおうえんに来たんだ。イヤなこというやつより大きい声でお姉ちゃんたちをおうえんして、元気になってもらわなきゃ! 悪口言うやつのこと考えておこるより、そのぶん腹に力いれてがんばれって叫ぶほうが、なんぼかお姉ちゃんたちのためになるぜ」

 「にぃ……あにうえ、れー、じゃない、わたしもがんばりましゅっ!」


 最近レグルスくんは「す」を噛んじゃうことが多いんだけど、これはこれで可愛くて和むわー。

 いや、もう、解ってたけどさ。


 「奏くんってさぁ、男前だよねー」

 「そっか?」

 「うん。世界一カッコいい。そういうとこ好き」


 しみじみ言うと、ロマノフ先生とヴィクトルさんが「え?」みたいな顔したけど、何でさ。

 レグルスくんもウゴウゴしながら「れーは?」って聞いてきたけど、レグルスくんは世界一可愛いひよこちゃんです。異論は認めない。

 てくてくと長い回廊と階段を歩くと、マリアさんの楽屋のいつかの屋根裏キューポラに着く。

 かつてマリアさんはここでその歌手生命を奪われそうになった。

 そんな場所を専用の楽屋として用意するとか、どういうことなの?

 訝しく思ったのは私だけじゃないようで、ロマノフ先生がヴィクトルさんにどういうことか訊ねる。

 すると、ヴィクトルさんは「それがね」と肩を竦めて話し出した。


 「色々忘れないために、だそうだよ」


 あの日、喉が治ったのは奇跡だったこと。

 自分が誰に守られ、誰を守らねばならないか。

 あの事件はマリアさんの中に、そう言う大事なことを深く刻み込んだのだそうで。

 それをより意識できるからと、「ニヤリ」と笑ってこの部屋を使っているそうだ。


 「強い娘だよ。あの時レッスンを断らなくて良かった。あのご縁がなかったら、魅力的な歌手が一人、世の中から消えちゃってたかもだしね」

 「それだけじゃない。ヴィーチャがマリアさんのレッスンを断ってあの悲劇が起こってたら、ラーラとの縁も切れていたかも知れないんです。鳳蝶君は私達に報酬を払ってないと言いますが、充分前払いしてくれているんですよ」

 「そんな大袈裟な……」


 人と人の縁は不思議なもの、どこでどう繋がっているか解らない。

 私はその時にマリアさんが必要としたものを渡しただけに過ぎないのに、そこまで言われたらお尻の座りが悪くなっちゃう。

 何とも言えなくて、困っていると、ヴィクトルさんが苦く笑いつつ楽屋の扉をノックした。

 中からのいらえに、扉を開けると何とも華やかな光景が。


 「お邪魔します」

 「ようこそ、私の楽屋へ。お久しぶりですこと、ご機嫌よろしくて?」

 「はい、マリアさんもあれからご活躍の様子で……」

 「ええ、色々と。でもそれはお互い様でしょう?」


 薔薇色の唇に笑みを乗せたマリアさんの後ろには、私の作った白のステージ衣装を着たラ・ピュセルのメンバーがきゃっきゃうふふしてるとか、凄く目の保養。

 そう思っていると、するりとマリアさんの視線が、私から外れて左右の奏くんとレグルスくんに注がれる。

 二人を紹介しなくっちゃ。

 そう思って奏くんを見ると、目と口を大きく開いてポカンとしてて。

 つつくと、はっとした様子で「おひめさまがいる……」と呟いた。


 「こちらは私の友人の奏くん、金髪の小さい子は私の弟のレグルスです」

 「あ、あ、の、か、奏です。初めまして……」

 「菊乃井レグルスです! よろしくおねがいします!」

 「まあ、ご丁寧に。私はマリア・クロウと申します」


 ぺこんと頭を下げた二人に、マリアさんは実に美しいカーテシーで返してくれた。

 貴婦人というに相応しいその所作に、マリアさんに侍るようにしていたラ・ピュセルのメンバーがうっとりと溜め息を漏らす。

 そう言えば私もレグルスくんも奏くんも、ラ・ピュセルのメンバーたちも、皆礼儀作法はラーラさんから教わっているんだから、姉弟弟子になるのかしら。

 豪奢な青のドレスに身を包み、柔らかに微笑む姿は、確かにお姫様のようだ。髪には私が以前差し上げたつまみ細工の髪飾り。

 ラ・ピュセルのお嬢さん方には刺繍で作ったお揃いだけど色違いの小花のイヤリングと髪飾りを渡してある。

 見た目は決して負けていない。

 後は歌でどこまでマリアさんに迫れるかだけど、彼女達には楽しく歌って貰えればそれでいいかな。

 そんな事を考えていると、マリアさんがじっと私を見て、それから含みのある笑顔を浮かべた。


 「やはり私の眼に狂いはありませんでした。ラーラ先生をご紹介してよう御座いましたね」

 「あ、そうだ。その件のお礼がまだでした! 良い方をご紹介頂きありがとうございました。ラーラさんには大変お世話になっております」

 「たった数ヵ月でそんなにお痩せになったのだもの、ラーラ先生の手腕はお分かり頂けましたでしょう? とてもお可愛らしくなられて、私も鼻が高う御座います。その見たことのない服も素敵でしてよ」

 「ありがとうございます。マリアさんは今日も凄くお綺麗で。その青のドレスもさることながら、花と小鳥の刺繍の緻密さも、マリアさんの華やかさを引き立てていらっしゃる」


 いやはや、私は馬子にも衣装ってやつだけど、マリアさんのは本当に着てるものと着てる人が見事に調和している。

 口許に扇をあてて笑う仕草も本当に優美だ。


 「マ、マリアさま、すごくきれいだなぁ」

 「しゅごいねぇ……かーいー」


 二人でこっそり話してるつもりのレグルスくんと奏くんの言葉に、おさげがトレードマークの美空さんがくすっと笑う。

 リュンヌさんやシュネーさんも。


 「私達の応援に来てくれたんでしょ? もっと励ましてよね!」

 「そうそう、若様もひよ様も奏くんもマリア御姉様だけじゃなくて、私達にも言うことあるでしょ!」


 ステラさんがポニーテールを揺らしながら、凛花さんもちょっと唇を尖らせているけれど、目は二人とも悪戯に笑っている。


 「ええ、皆さんとても可愛くて美人ですよ!」

 「うん、すげぇかわいい! おれ、おうえんしてるから!」

 「おねーしゃんたち、がんばって! れーも、おうえんするー! あと、かーいーよ?」


 かーいーってのは可愛いってことだよね。可愛いのは両手を振って、ちたぱた応援する君です。


 「さて、いい具合に緊張が解れたね」

 「「「「「はい!」」」」」

 「出番はもうすぐだよ、皆!」

 「「「「「はい!」」」」」


 パンパンとヴィクトルさんが手を打ち鳴らす。

 「えいえいおー!」と入れた気合いにマリアさんも私達も交ざる。

 開演のベルが鳴るまで後もう少し。

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